
日本に古くから伝わる俳句。
最近では、授業で習ったり趣味としてよむ人も多くなってきました。授業以外でもテレビ番組などで耳にする機会も増えてきましたね。
今回は、そんな数ある俳句の中でもよく耳にする「降る雪や 明治は遠く なりにけり」という句を紹介していきます。
降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)#俳句 pic.twitter.com/mSKUD4YVyI
— koma (@niyan1go) December 26, 2016
こちら句は精錬された言葉が並び、奥深い味わいがあるため、「この句について詳細を知りたい!」という方も大勢いらっしゃると思います。
本記事では、「降る雪や 明治は遠く なりにけり」の季語や意味・表現技法・作者について徹底解説していきます。
目次
「降る雪や明治は遠くなりにけり」の季語や意味・作者

降る雪や 明治は遠く なりにけり
(読み方;ふるゆきや めいじはとおく なりにけり)
この句の作者は、「中村草田男(なかむら くさたお)」です。

(画像:中村草田男)
中国・アモイ生まれの俳人であり、本名は清一郎です。
高浜虚子に師事し、客観写生を学びつつ、西洋思想の影響を受けた人間性や生活に根ざした作風を追求し、「人間探究派」と称されました。

この句は昭和6年、作者は30歳のときに詠まれたものと考えられています。
季語
この句に用いられている季語は「雪」です。
「雪がパラパラと降っている寒い冬の日」だということがわかります。
雪を見ると子供の頃を思い出す人は少なくないと思います。

雪が降るだけでみんな外を見て休み時間に遊びにいこうと約束する…そんな童心をこの句に詠まれている雪で感じることができます。
意味
この俳句の意味は、以下の通りです。
「雪が降ってきた。その時小学生たちが外套をきて外へ飛び出していく。自分が小学生の時である明治時代にいるような気持ちになったが、その時からもう20年も経っているのかと、しみじみ痛感した。」
この句を詠んでいる時、作者は自分の母校である東京青山の青南小学校へ20年ぶりに訪れていました。
その時、沢山の雪が降り始め、外に小学生たちが外套を着て飛び出していく。そんな様子を見て作者は自分の小学生の頃をしみじみと思い出しているのです。
明治という時代は過ぎ去り、明治、大正、昭和と時代が進むごとにどんどんと活気に溢れていく街。
そんな様子を見て作者は明治という時代が遠くなってしまったことに少し寂しさを覚えたのでしょう。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」の表現技法

切れ字「や」「けり」
この句の特徴は切れ字が2回使われているところです。
まず、上の句の「降る雪や」に出てくる「や」。
これは、松尾芭蕉が読んだ「古池や 蛙飛び込む 水の音」などと同じように「余韻を残す役割」を持っています。
しんしんと降る雪のイメージや雰囲気をより強く感じさせようと、降る雪の後に「や」をつけたと考えられます。
そして最後、下の句についている「けり」。
これは、断言するような「〜した。」という過去を表す意味を持っています。
そのためこの俳句をそのまま訳すと「雪が降っている。明治が遠くなっていた。」と詠んでいることになります。

当たり前のことですが、時間はかならず進みます。明治は過去のもの。それが遠くなっていっていることをしっかり読み手に表現するために、「けり」を用いたと考えられます。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」の鑑賞文

上五の「降る雪や」は、静かに、しかし絶え間なく降り続く雪の情景を読者の心に映し出します。
眼前で繰り広げられる純白の世界は、あらゆる音を吸い込み、俗世の喧騒から切り離された静寂の空間を創り出します。
この雪は、物理的な世界を白く覆い隠すだけでなく、作者の心の中にある過去の記憶を呼び覚まし、現在と過去とを繋ぐ象徴的な役割を果たしているのです。
この句が生まれた背景には、作者の幼少時代の体験があります。
降りしきる雪の中で懐かしい学び舎を眺めていると、着物に高下駄姿だった自分の小学生時代と、目の前を通り過ぎる外套を着た現代の子供たちとの姿が対比され、時代の大きな隔たりを痛感したといいます。
中七・下五の「明治は遠くなりにけり」は、この時に込み上げてきた万感の思いを、ストレートな言葉で表現したものです。
明治という時代は、句が詠まれた昭和六年の時点ですでに約20年の歳月が流れていました。しかし、この言葉が持つ響きは、単なる年月の経過を告げるものではありません。
そこには、近代化の道をひた走った明治という時代の気概や精神、そして自らがその時代に育まれたという誇りと、それがもはや手の届かない過去のものになってしまったという一抹の寂寥感が込められています。

作者自身、後にこの句について「遠くなったと感じたのは、明治という時代の『精神』だった」と語っています。
彼が自身の原点として捉えていた明治の教育精神が、昭和という新しい時代の奔流の中で薄れゆくことへの危機感も、この句の底流には流れているのかもしれません。
激動の昭和初期、満州事変が勃発し、日本が新たな戦争の時代へと突き進んでいく不安な世相の中で、過ぎ去りし明治という時代は、ある種の輝きと安定感を持った「古き良き時代」として追憶されたのでしょう。

また、表現の上では、「降る雪や」という現在の静的な情景と、「明治は遠くなりにけり」という過去へのダイナミックな時間意識とが見事な対比を成しています。
降り積もる雪が時間をかけて風景を変えていくように、時代もまた静かに、しかし確実に移ろいでいく。
その抗うことのできない時の流れを、読者は雪景色と重ね合わせることで、より深く実感するのです。
この一句が、作者個人の体験を超えて普遍的な共感を呼ぶのは、誰もが自らの「古き良き時代」を、過ぎ去った日々を、そしてもう戻ることのない時間を持っているからに他なりません。
私たちはこの句を通して、自身の「明治」を思い浮かべ、時の流れの前に立ち尽くす人間の普遍的な感慨に心を重ねるのです。

この句は、単なる懐古趣味に留まらない、近代という時代が持つ光と影、そして止むことのない時の流れに対する深い感慨を、静謐な雪景色の中に見事に描き出しています。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」の作者『中村草田男』

この句を書いた作者は中村草田男。本名は中村清一郎と言います。
中村草田男の髪型見ると何故かこの食品サンプルを思い出してしまうんだよ。 pic.twitter.com/DvJCMkassb
— やっさんブル(川村ゆきえさん結婚おめでとう) (@atataka_yassy) November 29, 2015
父は外交官をしていたため、領事していた中国のアモイで明治34年(1901年)に長男として生まれました。
3歳で日本に帰りますが、松山、東京と転居を繰り返します。そして11歳から松山で暮らし、中学時代に伊丹万作、伊藤大輔らの回覧同人誌「楽天」に参加しました。
そのあと、東京帝大文学部独逸文学科を休学中に本格的に俳句づくりを始め、高浜虚子に弟子入りしました。
のちに、水原秋桜子の指導を受け、「ホトトギス」にて4句入選を果たすなど才能を発揮していきました。
その後成蹊大学政経学部教授に就任し、国文学を担当したり、新たに俳人協会を設立して初代会長に就任したりと文学の道を進みました。
1936年に縁談を経て福田直子さんと結婚。2人の間には4人の娘が生まれました。

中村草田男は1983年8月5日、82歳の時に急性肺炎のため東京都世田谷区北烏山の病院で息を引き取りました。
中村草田男のそのほかの俳句







