【茗荷よりかしこさうなり茗荷の子】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

俳句は日本が誇る伝統芸能の一つです。

 

限られた文字数で綴られる物語は世界中の人々から愛され、親しまれています。

 

今回は、数ある名句の中から正岡子規の作「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」という句を紹介していきます。

 

 

本記事では、「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきます。

 

俳句仙人

ぜひ参考にしてみてください。

 

「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」の季語や意味・詠まれた背景

 

茗荷より かしこさうなり 茗荷の子

(読み方:みょうがより かしこさうなり みょうがのこ)

 

この句の作者は「正岡子規(まさおかしき)」です。

 

正岡子規は、和歌や俳諧などの国文学の研究もよくし、近代の短歌や俳句の礎を築き上げた明治時代の文学史に燦然と輝く星のような文学者です。

 

俳句だけではなく、短歌、小説、随筆など多彩な創作活動をしていました。

 

 

季語

こちらの句の季語は「茗荷の子」で、季節は「夏」を表します。

 

同じく「茗荷」を使った「茗荷竹」と言われる茗荷の若芽は春の季語、そして「茗荷の花」は秋の季語です。

 

意味

この句の現代語訳は・・・

 

「茗荷の親の葉より、ぽってりとした赤紫色の茗荷の子(花穂)は、実にかしこそうに見えるもんだなぁ。」

 

といった意味になります。

 

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「茗荷を食べると物忘れがひどくなる」という俗信がこの句の根底にあります。

 

この句が詠まれた背景

この句が詠まれた背景に「茗荷を食べると物忘れがひどくなる」という俗信があります。

 

昔々、お釈迦様のお弟子さんに周梨槃特(シュリハンドク)という物忘れがひどく、自分の名前すら憶えていられない人物がいました。

 

あまりの物忘れのひどさに、お釈迦様は周梨槃特に自分の名前を書いた名札を首から下げておくようにいいました。

 

物忘れはひどいものの、与えられた役割は非常に熱心に取り組み、人一倍まじめであった周梨槃特は、誰よりも早く悟りの境地に達したとそうです。

 

周梨槃特が亡くなると、お墓から何やら見慣れぬ草が生えてきました。これが「茗荷」で、周梨槃特のお墓から生えてきたものであることから、この植物(茗荷)を食べると物忘れがひどくなるとの逸話が生まれました。

 

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通常、子は親に似るものですが、この俗信があまりに有名な話であったことから「茗荷の子の限っては親に似ず、賢い」と裏をかいて詠んだのかもしれません。

 

「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」の表現技法

 

この句で使われている表現技法は・・・

 

  • 擬人法
  • 体言止め

 

になります。

 

擬人法

擬人法とは、人間以外のものを人間に見立てて表現する技法のことです。擬人法を使うことによって細かい説明を省き、読み手がイメージしやすくなるといった効果があります。

 

「茗荷」と「茗荷の子」を人間に例えて、「親」と「子」に見立てて詠んでいます。

 

「茗荷」と「茗荷の子」を人間っぽく扱うことで、句全体が生き生きとしてきます。

 

体言止め

体言止めとは、文末を名詞や代名詞などの体言で止める技法です。

 

文末を体言止めにする事で、文章全体のイメージが強調され読者に伝わりやすくなり、また句にリズムを持たせる効果もあります。

 

この句は語尾を「茗荷の子」で締めくくることによって、読み手にイメージを委ねています。ぽってりとした赤紫色の茗荷の花穂が鮮明に思い浮かんでくるようです。

 

「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」の鑑賞文

 

【茗荷よりかしこさうなり茗荷の子】は、「茗荷を食べると物忘れがひどくなる」という俗信の裏をかいて、ユーモア交えて詠んだ句です。

 

一般的に子は親に似るものですが、茗荷に限っては親よりも子の方が賢いんだと茗荷の子の代弁をしていると捉えることもできます。

 

俳句に関して子規は「写生」を強く意識しています。

 

目の前のものを絵に描くように、ありのままに詠むわけですが、この句では擬人法を用いることによって「茗荷」や「茗荷の子」が自然と頭に浮かんできます。

 

「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」の補足情報

生姜と茗荷が取り違えられた

実は茗荷は東アジア原産、生姜はインド付近が原産の植物です。

 

このため、「周利槃特の墓から生えてきたのが茗荷」というのはありえない伝説になるでしょう。

 

生姜は『論語』で「少量を食べる」とされているうえ、11世紀の中国の『東坡志林』では、「生姜多食損智(生姜は多く食べると智を損なう)」と書かれています。

 

また、16世紀にできた『本草綱目』においても「生姜は久しく服すると志を少くし智を少くし心氣を傷つける」としていて、あまり良い印象を抱かれていなかったことが分かります。

 

これらのことを考えると、「物忘れ」という茗荷の効能に近いのは実は生姜の方であり、生姜と取り違えられて茗荷が物忘れをしやすくなる、という捉え方をされてしまっているようです。

 

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特に周利槃特のエピソードでは「名を荷なう」から「茗荷」と名付けたとあるため、物忘れとは無縁の植物でしょう。

 

東アジア原産の茗荷が仏教説話に登場する理由

東アジア原産である茗荷が周利槃特のエピソードに出てくるというのはどこかおかしいとおもいませんか?

 

実はこの話は江戸時代に作られたと考えられています。

 

安楽庵策伝という人が江戸時代初期にまとめた『醒酔笑(せいすいしょう)』という本に、茗荷が物忘れ関連のエピソードで二度も出ていました。

 

【1つ目】

「振舞の菜に茗荷のさしみありしを、人ありて小児にむかひ、これをば、古より今に至り、物読みおぼえむ事をたしなむほどの人は、みな鈍根草となづけ、物忘れするとてくはぬ。」

(訳:振る舞われた野菜に茗荷の刺し身があったのを、子供に向かって言う人がいる。これこそは、昔から今に至って物を読み覚えることをたしなむ人はみんな鈍根草と名付けて、物を忘れるとして食べないのだ。)

【2つ目】

「あるとき児、茗荷のあへ物をひたもの食せらるる。中将見て、それは周利槃特が塚より生じて鈍根草といへば、学問など心掛くる人の、くふべき事にてはなし。」

(訳:あるとき子供が、茗荷の和え物を食べていた。中将はそれを見て、それは周利槃特のお墓から生えてきた鈍根草というのでら学問を心がける人は食べないものなのだ。)

 

2つ目はまさに「周利槃特の墓から生えた茗荷を食べると物忘れが酷くなる」というエピソードです。

 

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このエピソードがいつから伝えられていたかはわかりませんが、少なくとも江戸時代初期には既に茗荷を食べると物忘れをしやすくなると認識されていたようですね。

 

作者「正岡子規」の生涯を簡単にご紹介!

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(正岡子規 出典:Wikipedia)

 

正岡子規(1867年~1902年)は伊予国温泉郡藤原新町(現愛媛県松山市花園町)の松山藩士の家庭に生まれ、本名を常規(つねのり)といいます。

 

日本の近代文学に多大な影響を及ぼした文学者で、幼いころから漢詩や戯作、書画などをたしなんでいたといわれています。特に絵画に関しては、子規は画家でもあった与謝蕪村を尊敬しており、自らもスケッチを描いたりしていました。

 

1895年に開戦した日清戦争で子規は従軍記者として遼東半島に渡ったものの、喀血して重態に陥ってしまいます。

 

その時の自分の様子を「鳴いて血を吐く」といわれているホトトギスと重ね、ホトトギスの漢字表記「子規」を自らの俳号とすることに決めたそうです。

 

この頃から晩年まで、子規は自宅でほぼ寝たきりの状態でした。しかし、子規の作品は病床にあるからといって陰惨さは感じられず、むしろユーモアが感じられるものが多く残されています。

 

庭の草花や、お弟子さんたちが持ち寄る旅の土産などを、ありのままに詠んでいます。

 

「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」。淡々とした中にも深い味わいが感じられる一句です

 

正岡子規のそのほかの俳句

(前列右が正岡子規 出典:Wikipedia)