大正時代から昭和の中期まで活躍した俳人「日野草城」。
彼は、はじめホトトギス派に学び、端正な写生句を多く残し、後にホトトギス派を離れて新たな俳句の可能性を求めて作風も変化させていきました。
今回は、彼の代表作でもある「ものの種にぎればいのちひしめける」という句をご紹介します。
今朝の花🌸
春爛漫♪
・ものの種にぎればいのちひしめける 日野草城 pic.twitter.com/nNIhHCJQY2— 小野町子 (@onomachiko) April 2, 2019
本記事では、「ものの種にぎればいのちひしめける」の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「ものの種にぎればいのちひしめける」の作者や季語・意味
ものの種 にぎればいのち ひしめける
(読み方:もののたね にぎればいのち ひしめける)
こちらの句の作者は「日野草城」です。
明治後期に生まれ、大正、昭和の中期に活躍した俳人です。
季語
この句の季語は「種」です。
種は冬の間をじっと耐えて過ごし、春になって芽を出しますので、「春の季語」として扱われています。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「植物の種をにぎりしめてみると、命そのものがひしめき合っているのを感じる。」
という意味になります。
「ひしめける」とは、「ひしめきあっている」ということ。にぎりしめた種は一粒ではなく、たくさんであることが分かります。
「ものの種にぎればいのちひしめける」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 句切れなし
- 暗喩
- ひらがなを多用し、一文字だけ漢字を使っていること。
になります。
句切れなし
意味や内容、調子の切れ目を「句切れ」といいます。
「句切れ」には俳句にリズム感を持たせる効果がありますが、今回の句については、句の意味が最後まで切れることがありません。
すなわち、「句切れなし」ということになります。
作者は種から得た命のエネルギーに対する感動を句切ることなく、ひといきに詠んでいます。
暗喩
暗喩とは、「~のように」「~のごとく」といったような例えであることがわかる言葉を使わない比喩表現のことを言います。
(※同じ比喩表現に「直喩」というものもあり、こちらは「~のように」「~のごとく」などを例えであることがわかる言葉を使います)
たとえば、「彼の言葉の刃が私の胸につきささった。」という表現は暗喩、「彼の言葉が刃のように私の胸につきささった。」と言う表現は直喩になります。
直喩よりも暗喩の方が、少ない言葉でより印象を強めることができるため、俳句ではよく用いられる表現技法になります。
今回の句は、にぎった「種」に「いのちひしめける」というところに暗喩の表現が用いられています。
言い切りの形で断言しているところに力強さも感じます。
ひらがなを多用&一文字だけ漢字を使用
この句は「種」のみ漢字表記で、他はすべてひらがなが使われています。
一文字だけ画数の多い漢字「種」を使うことで、視覚的にこの文字を目立たせ、強調する効果があります。
「種」の持つエネルギーがより強く印象付けられます。
「ものの種にぎればいのちひしめける」の鑑賞文
【ものの種にぎればいのちひしめける】は、種に触れて感じた命のエネルギーに対する感動を素直に詠み込んだ句です。
「種」というものは、一粒であってもそれが発芽して成長し、実りの時を迎え、多くの種をつけます。
つまり、種一粒は小さく見えても、大きな可能性を秘めているのです。
春の種まきなのでしょうか、作者は種をにぎりしめ、手のひらから伝わる触覚で、種の持つ生命感・伸び行く可能性を感じています。
また、句にひらがなを多用することで読み手に「種」が一粒一粒、小さいことをイメージさせる一方で、一文字だけ「種」という漢字を用いることで、種の持つ確かな硬さや秘められたエネルギー、可能性を鋭く強調しています。
句の一文字一文字から作者の強い思いが伝わってきます。
日野草城の第一句集「花氷(はなごおり)」について
(花氷 出典:Wikipedia)
この句は、日野草城の第一句集「花氷(はなごおり)」に所収されている句(昭和2年)になります。
この句は、句集の「春の句」に分類されており、前後の句を見ると、春の戸外での活動、遊び、農作業について詠んだ句とともに並べられています。
ここで簡単に、そのあとに続けられている句を2つほどご紹介します。
踏む麦の 夕焼けて来し 寂しさよ
(意味:麦を踏む作業をしていたら、夕焼け空が広がり、もの寂しい気持ちになったものだ。)
麦の芽の青々とした色と夕焼け空の赤が対比され、何とはいえぬ寂しさを詠み込んだ抒情的な句です。
昼蛙 二つ鳴き合へり 菜を植うる
(意味:昼、蛙が二匹鳴き合っている中で、畑に菜をうえることだ。)
「昼蛙」は、蛙の鳴き声のこと。これから育つ菜、生命感のあるのどかな句です。
どの句も「種まき」「麦踏み」「菜を植える」と農作業の様子が句題になっています。人々の生活の中の風物詩を見つけだす作者の観察眼の鋭さが感じられます。
句集「花氷」刊行以降、日野草城は、俳句にエロティシズムを持ち込んで物議をかもしたり、無季俳句を詠むなど、新興俳句の推進活動に邁進した俳人としてよく知られています。
しかし、自然の光景を写生的にうつしとり、季節感あふれる句もたくさん詠んでいました。
作者「日野草城」の生涯を簡単にご紹介!
日野草城(ひの そうじょう)は、明治34年(1901年)東京都生まれ、本名は克修(よしのぶ)と言います。
草城忌,東鶴忌,銀忌
俳人・日野草城の1956(昭和31)年1月29日の忌日。
無季俳句、連作俳向を率先し、モダンな作風で新興俳句の一翼を担った。「春の灯や 女は持たぬ のどぼとけ」 pic.twitter.com/eKkMZHNuK8
— 久延毘古⛩陶 皇紀2679年令和元年師走 (@amtr1117) January 28, 2019
ソウルで子ども時代を過ごし、京都の第三高等学校、京都帝国大学に進学しました。「京大三高俳句会」で活動し、山口誓子らと句作をしました。
その後、日本の俳壇の第一人者のホトトギス派の高浜虚子に師事。俳句雑誌「ホトトギス」に新風を吹き込む活躍もしましたが、昭和9年(1934年)エロティックな連作「ミヤコホテル」を発表したことで騒動になり、結局「ホトトギス」除名となりました。
その後、エロティシズムを扱った句、無季の句なども詠み、新興俳句をすすめていく一人となりました。
しかし、戦後の昭和24年(1949年)に結核を発症。晩年は病と闘いつつも句作を続け、昭和31年(1956年)に亡くなりました。
日野草城のそのほかの俳句
- 春暁や人こそ知らね木々の雨
- 春の灯や女は持たぬのどぼとけ
- みずみずしセロリを噛めば夏匂う
- ところてん煙の如く沈み居り
- 高熱の鶴青空に漂へり
- 夏布団ふわりとかかる骨の上
- 見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く