
十七音の短い中に、詩人の魂を詰めることのできる「俳句」。
日本の伝統的な文芸でありつつも、常に革新と進化を続けています。令和の現代でも俳句をたしなむ人、鑑賞する人は増える一方です。
時代ごとの世相に合わせて俳句も変わり続けていますが、名句と呼ばれる句はすぐれた文学としての普遍性を持ち、多くの人々に衝撃を与えたり、共感を得たりしています。
今回は、そんな数ある俳句の名句の中から「たんぽぽのぽぽと綿毛のたちにけり」という加藤楸邨の句を紹介していきます。
今日の一輪
✨たんぽぽの綿毛✨✧たんぽぽのぽぽと綿毛のたちにけり
ポツンと一本のたんぽぽ…なんだか寂しそう
空高く綿毛を飛ばして! pic.twitter.com/ocrhPJXP7U— Himawari71🌻 (@You_dosukoi71) May 25, 2020
本記事では、「たんぽぽのぽぽと綿毛のたちにけり」の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者について徹底解説していきます。

ぜひ参考にしてみてください。
目次
「たんぽぽのぽぽと綿毛のたちにけり」の作者や季語・意味

たんぽぽの ぽぽと綿毛の たちにけり
(読み方:たんぽぽの ぽぽとわたげの たちにけり)
この句の作者は、「加藤楸邨(かとうしゅうそん)」です。

(加藤楸邨 出典:日本近代文学館)
明治時代から平成にかけて活躍した俳人であり、国文学者でもあります。
「人間探求派」の俳人ともいわれ、自己の内面に向き合った句を多く詠みました。
季語
この句の季語は「たんぽぽ」、春の季語です。
たんぽぽはキク科の植物で、春先に鮮やかな黄色い花を咲かせます。花が咲き終わると茎は一度倒れ、花を咲かせていた時よりもっと高くに再び持ち上がり、綿毛のついた種を風にのせて飛ばします。
ちょっとした地面の割れ目でもたくましく根を下ろして成長する生命力の強い草です。
たんぽぽという言葉が持つ語感、春らしい身近な野草であること、鮮やかな黄色のかわいらしい花をつけること、生命力のつよさなどから、たんぽぽの俳句は明るい口調のものが多く見受けられます。

花が終わったあとの綿毛も特徴的で、この句のようにたんぽぽの綿毛を詠んだ俳句も数多くあります。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「たんぽぽの綿毛が、ぽぽとした様子で立ち上がっていることよ。」
という意味になります。
「ぽぽと」というのは、綿毛が一本一本立ち上がっている様子を表した擬態語になります。
「たんぽぽのぽぽと綿毛のたちにけり」の表現技法

こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 切れ字「けり」、句切れなし
- 「ぽぽと」の擬態語
の2つになります。
切れ字「けり」、句切れなし
切れ字とは、感動や詠嘆を表す言葉のことで「かな」「や」「けり」が代表的なものになります。
「…だなあ」くらいの意味で、一句の中の感動の中心を表します。
今回の句においては「綿毛のたちにけり」の「けり」部分が切れ字に当たります。
「けり」はとくに強く言い切る働きがあり、強い感動を表しますので、作者が立ち上がった綿毛の様子に感興を催し、この句を詠んだことが分かります。
また、俳句は切れ字のあるところできれ、それを句切れと呼びますが、この句は最後の「けり」まで切れるところがありません。
このような句を「句切れなし」と呼びます。

たんぽぽの綿毛を一息で吹き飛ばすような勢いのある句です。
「ぽぽと」の擬態語
擬態語とは、ものごとの様子をそれらしく言い表した言葉です。
例えば・・・「にこにこと笑う」の「にこにこ」や「ぐっすりと眠っている」の「ぐっすりと」などのことです。
この句では、たんぽぽの綿毛が一本一本立ち上がっている様子を「ぽぽと」と表しています。
たんぽぽのぽぽをそのまま擬態語にしたという点で特徴的な表現になっています。
「たんぽぽのぽぽと綿毛のたちにけり」の鑑賞文

【たんぽぽのぽぽと綿毛のたちにけり】の句は、春の野原で見つけたたんぽぽの綿毛を独特の表現で詠んだ句です。
「ぽぽ」という音の繰り返しが作るユーモラスなリズム、ひらがなが多用された表記から受けるやわらかさやあたたかさが春らしさを感じさせてくれます。
たんぽぽは、綿毛を遠くまで飛ばすため、花を咲かせていた時よりも綿毛になったときの方が高く高く茎をのばします。
綿毛を風にのせて飛ばし子孫を残そうとする、いわば植物の知恵です。
たんぽぽの綿毛の一本一本を観察して詠んだミクロな視点の句ですが、高く伸びていこうとする茎、さらに高く飛んでいこうとする綿毛ののびやかな生命のエネルギーを感じさせてくれる句にもなっています。
「たんぽぽのぽぽ」の表現について

「たんぽぽのぽぽ」という言葉の切り取り方が非常に個性的な一句ですが、この「たんぽぽのぽぽ」という表現は、加藤楸邨以前にも俳句で使われていました。
江戸時代、寛文7年(1667年)刊行の「続山井」という俳諧集に・・・
「たんぽぽの ぽぽともえ出る 焼野かな」 By友久
(意味:野焼きをした後の野から、たくましくもたんぽぽが、ぽぽと芽を出していることよ。)
とあります。
「ぽぽと」という擬態語が綿毛の様子ではなく、焼けた大地から芽吹いている様子を表しています。
この句は、俳人坪内稔典(つぼうち ねんてん)氏が、自らが代表を務める俳句グループ「船団の会」のサイトで紹介しています。坪内氏は・・・・
「焼野(やけの)は野焼きをした後の野。「もえ出る」は萌え出る、すなわち芽が出たというのだろう。芽からぽぽという鼓の音を聞いている。たんぽぽは鼓草とも言うのだ。それにしても、「たんぽぽのぽぽ」という言い方がはるかな昔にあったことは驚きだ。この句、『続山井』(1667年刊)にあり、作者の友久は大阪の人。」
(引用:ねんてんの今日の一句)
と述べています。
「続山井」を編集したのは、江戸時代の国文学者であり、俳諧も詠んだ北村湖春。この句集には宗房という俳人の句も載っています。(※宗房とはのちの松尾芭蕉のこと)
加藤楸邨は、芭蕉の研究も行っていたので、当然この「ぽぽともえ出る焼野かな」の句を知っていて、「ぽぽと綿毛のたちにけり」の句を詠んだのでしょう。
「ぽぽと綿毛のたちにけり」の句は昭和61年(1986年)刊行の句集「怒涛」にのっています。寛文年間から時を経ること300年以上のことです。
ちなみに、自ら率いる俳句グループのサイトで「ぽぽともえ出る焼野かな」の句を紹介した坪内稔典氏には、「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」「たんぽぽのぽぽのその後は知りません」という俳句があります。
「ぽぽのあたり」とは綿毛で、放射状に毛を広げる様を火事と詠んだのか、または夕日に照らされて光って見える綿毛が飛んでいく様を詠んだものでしょうか。

「火事ですよ」「その後は知りません」などの口語表現がとても軽妙でユーモラスです。
知っておきたい!たんぽぽに関する有名俳句【5句】

「たんぽぽのぽぽ」という表現はめずらしいものですが、春の象徴としてのたんぽぽはよく俳句の題材になっています。
ほかの俳人はどのような句を詠んでいるのでしょうか。

ここでは、「たんぽぽ」に関する有名俳句を5句紹介していきます。
【No.1】加賀千代女
「たんぽぽや 折々さます 蝶の夢」
季語:たんぽぽ(春)
意味:たんぽぽが咲いているなぁ。色々な物を覚ます蝶の夢のようだ。

「蝶の夢」とあると、「蝶になった夢を見たのか、今までが蝶の自分が見ていた夢だったのか」という「胡蝶の夢」を連想します。そんな夢から覚ますような美しいたんぽぽの黄色が目に飛び込んで来た様子を詠んだ句です。
【No.2】正岡子規
「馬借りて 蒲公英多き 野を過る」
季語:蒲公英(春)
意味:馬を借りて、たんぽぽが多く咲いている野原を横切る。

この句からは「野を横に 馬牽むけよ ほととぎす」という松尾芭蕉の俳句が連想されます。わざわざ馬を借りて野を横切ることで、松尾芭蕉の旅の様子を再現しているようにも感じる句です。普段は見かけない馬上から見るどこまでも広がる野原を見て、感動している様子を詠んでいます。
【No.3】夏目漱石
「犬去って むっくと起る 蒲公英が」
季語:蒲公英(春)
意味:犬が去って、むっくと起きるたんぽぽがある。

犬に踏みつけられていたのか、それまでは倒れていたたんぽぽが「むっく」と起きた様子を面白く感じている一句です。犬がいる状態ではまた踏まれてしまうかもしれないとわざと倒れたままでいたのではないか、と感じる作者のユーモアが光ります。
【No.4】水原秋桜子
「蒲公英や 激浪(げきろう)寄せて 防波堤」
季語:蒲公英(春)
意味:たんぽぽが咲いているなぁ。激しい波が防波堤に打ち寄せている。

たんぽぽが美しく咲く岸辺と、激しく波が打ち寄せている防波堤を対比して詠んだ一句です。もしも防波堤が無ければ、波はそのままたんぽぽの咲いている場所まで来て押し流してしまったでしょう。たんぽぽを守るように激浪から守る防波堤を感慨深く眺めている様子が伺えます。
【No.5】松本たかし
「たんぽぽの 閉づれば天気 変るなり」
季語:たんぽぽ(春)
意味:たんぽぽの花が閉じると天気が変わる。

たんぽぽの花は、曇ったり雨が降ってきたりすると閉じてしまいます。このことから、たんぽぽの花が閉じたら天気が悪くなるのだと外で遊ぶ子供たちもなんとなく知っていることでしょう。作者はそんなたんぽぽと天気の関係を俯瞰して見ています。
作者「加藤楸邨」の生涯を簡単に紹介!

(加藤楸邨 出典:日本近代文学館)
加藤楸邨は、本名を健雄(たけお)といい、明治38年(1905)の生まれの昭和から平成初めまで活躍した俳人です。若くして父を亡くし、働きながら苦労して学びました。
俳句を作りはじめたころは水原秋桜子に師事。秋桜子の主宰する俳句雑誌である「馬酔木」の発行所に勤め、秋桜子の勧めもあり、東京帝国大学で国文を学びます。
句作に自己の内面の悩みや人間というものの追求を重ねるようになり、秋桜子に難解と言われたこともあります。
自らが主宰する俳句雑誌「寒雷」では、「俳句の中に人間を生かす」と、人間性を追求することを信条として俳句を詠み続けました。石田波郷、中村草田男らとならび、「人間探求派」の俳人ともいわれました。
日本の俳壇で、高浜虚子率いるホトトギス派が主流にいる中、ホトトギス派に属することが一度もなくて、俳句の新たな流れを作り出したという点も、俳人加藤楸邨のなしえたことのひとつです。
作風の幅は広く、俳句の可能性を求め続けた俳人でもありました。
後進の育成にも熱心で、伝統的な俳句を詠む人、社会性俳句を志す人、前衛的な俳句に進んだ人、多様な俳人を育てました。楸邨には多様な俳人たちが連なることから、「楸邨山脈」といったりもします。
平成5年(1993年)享年88歳で永眠しました。
加藤楸邨のそのほかの俳句

- 鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる
- 秋刀魚焼く匂の底へ日は落ちぬ
- 鰯雲人に告ぐべきことならず
- 隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな
- 燕はや帰りて山河音もなし
- 木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ
- 寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃
- 火の奥に牡丹崩るるさまを見つ
- 雉の眸(め)のかうかうとして売られけり
- 蟇(ひきがへる)誰かものいへ声かぎり







