【夕涼みよくぞ男に生まれけり】俳句の季語や意味・背景・表現技法・鑑賞など徹底解説!!

 

美しい日本の風景や詠み手の心情を俳句は、四季をもつ日本ならではの伝統文芸です。

 

俳句と聞くと、難解で高尚なイメージをもたれる方も多いかもしれませんが、決してそうではありません。深読みを必要とせずわかりやすい表現で、作者が感動したことを素直に詠んだ句も数多く残されています。

 

今回は数ある名句の中から【夕涼みよくぞ男に生まれけりという宝井其角の句についてご紹介します。

 

 

作者はなぜ夕涼みの場面で「よくぞ男に生まれけり」と感じたのでしょうか?

 

本記事では「夕涼みよくぞ男に生まれけり」の季語や意味・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「夕涼みよくぞ男に生まれけり」の作者や季語・意味

 

夕涼み よくぞ男に 生まれけり

(読み方:ゆうすずみ よくぞおとこに うまれけり)

 

この句の作者は「宝井其角(たからいきかく)」です。江戸時代前期の俳諧師で、松尾芭蕉の門に入り俳諧を学びました。

 

其角の句風はわび・さびを特色とする芭蕉の俳諧とは異なり、生粋の江戸っ子らしく豪放闊達な都会風で、「洒落風の祖」とも呼ばれています。

 

季語

この句に含まれている季語は「夕涼み」で、季節は「夏」を表します。

 

夕涼みとは、夏の暑さも和らぎはじめる夕暮れ時に、戸外に出て夕風にあたることを指します。

 

冷房設備が整った現代では、あまり見かけなくなった光景かもしれませんね。しかし当時の人々にとっては、暑かった一日がようやく終わり、涼しい風がふきはじめる時間はほっとできるひと時だったことでしょう。

 

このように季節を象徴する花や天候だけでなく、風流ともいえる夏の過ごし方も季語に含まれているのが、俳句の面白いところですね。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「暑い一日が終わり、縁側に座り夕涼みをしている。浴衣がはだけても気にせず、団扇を扇ぐ。ああ、男に生まれて良かったなぁ」

 

という意味になります。

 

「夕涼みよくぞ男に生まれけり」が詠まれた背景

 

この句が詠まれた江戸時代には、クーラーや扇風機といった冷房装置はありません。人々は日中の暑さも和らいできた夕暮れ時になると、表に出て涼を取っていました。

 

入浴や行水の後さっぱりとした気持ちで、浴衣を崩し涼しい風に当たっていたことでしょう。中には褌一丁で縁側に寝そべっていたかもしれません。

 

しかし、女性が同じことをしようとすると抵抗がありますよね。自宅の縁側といえど、きちんと浴衣を着て簡単な帯も締めておかなければいけません。

 

当時の婦人にとっての浴衣はあくまで湯上りの体にまとうものであり、外出することさえなかったといわれています。

 

こうした夕涼みは「男性だからこそできること」なので、「よくぞ男に生まれけり」という文章に繋がります。江戸時代の生活を見ていくと、「男は楽でいいなぁ」とくつろぐ作者の気持ちがありありと伝わってきますね。

 

ちなみに明治時代に入ってからは西洋文化が流入し、裸体禁止令により褌一丁での外出は禁じられてしまいます。

 

この句に詠まれている風景から、蒸し暑い夏を生きる江戸っ子の姿がいきいきと感じられます。

 

「夕涼みよくぞ男に生まれけり」の表現技法

切れ字「けり」(句切れなし)

切れ字とは、句の切れ目に用いられ、強調や余韻を表す効果があります。特に「や・かな・けり」の三語は、詠嘆の意味が強く込められており、切れ字の代表ともいえます。

 

「けり」は、それまで気がつかずにいたことに気付いたときの感動を表現する際に用いられ、句末に持ってくるのが最も基本的な使い方とされています。

 

文末の「生まれけり」に、感慨を表す「けり」がついていますので、男性に生まれたことへの感動が込められています。

 

子どものように素直な表現ではありますが、それだけ作者の喜びがストレートに伝わってきます。

 

また、切れ字が含まれるところや句点がつく場所を「句切れ」といい、句の意味や内容、リズムの切れ目になるところを指します。この句では句末に切れ字が用いられていることから、「句切れなし」といえます。

 

「夕涼みよくぞ男に生まれけり」の鑑賞文

 

暑い一日が終わり、幾分涼しい風がでてきた頃、縁側に腰をかけて夕涼みをする男性。

 

浴衣が崩れるのも気にせず団扇を扇ぎながら、「あぁ涼しいなぁ、男冥利に尽きるなぁ」と幸せを満喫している姿が目に浮かんできます。

 

花鳥風月ではなく庶民の暮らしを詠んだ句ですが、鮮やかな季節感が表現されています。

 

現代の夏ほどではないにせよ、江戸時代の夏も蒸し暑く厳しいものだったでしょう。しかしこの句からは、男性が暑ささえも楽しんでいるような余裕さえも感じられます。

 

こうした軽妙さや滑稽さ、口語的な表現が長年人々に親しまれてきたのでしょう。

 

悠久の自然よりも江戸の移ろいやすい人事を好んだ、其角ならではの一句です。

 

作者「宝井其角」の生涯を簡単にご紹介!

(宝井其角 出典:Wikipedia

 

宝井其角(1661-1707年)は、江戸時代前期に活躍した俳諧師で、東京都日本橋に生まれました。都会的な環境の中、十分な教養教育を受けて育ちます。

 

本名は竹下侃憲(ただのり)といい、別号に狂雷堂(きょうらいどう)、宝普斎(ほうしんさい)、晋子(しんし)、螺舎(らしゃ)などがあります。

 

父親の紹介で15歳の頃から、松尾芭蕉の門弟となり俳諧を学び始めました。はじめは母方の姓である榎本を名乗っていましたが、後に自ら宝井に改めます。

 

早くから頭角をあらわした其角は、「蕉門十哲(芭蕉の弟子の中でも、特に優れた10人を指す言葉)」のうちの一番の高弟と称され、蕉風の発展に尽力しました。

 

芭蕉も『去来抄』の中で、「彼は藤原定家卿のようだ。ちょっとしたことを大げさに表現すると評されたのに似ている」と述べており、修辞の巧みさを認めています。

 

芭蕉没後は日本橋に「江戸座」を開き、江戸俳諧の一大勢力となります。その句風は芭蕉とは両極のもので、「洒落風俳諧」を確立していきます。師の芭蕉は「わび・さび」といった枯淡な風情が特徴でしたが、其角は口語調でわかりやすく、江戸の人々の生活を華やかに詠みこみました。

 

非常に酒好きだったともいわれており、「十五より酒を飲み出て今日の月」と詠むほどでした。他にも、「年酒の 樽の口ぬく 小槌かな」 「酒を妻 妻を妾の 花見かな」. など、酒を楽しむ句を数多く残しています。

 

しかしこうした長年の飲酒が祟ってか、47歳でこの世を去りました。

 

宝井其角のそのほかの俳句

 

  • 鐘ひとつ 売れぬ日はなし 江戸の春
  • 雀子や あかり障子の 笹の影
  • ちり際は 風もたのまず けしの花
  • 寒菊や 古風ののこる 硯箱
  • 暮の山 遠きを鹿の すがた哉
  • あさぎりに 一の鳥居や 波の音
  • あれきけと 時雨来る夜の 鐘の声
  • 川上は 柳か梅か 百千鳥
  • 菓子盆に けし人形や 桃の花
  • 傀儡の 鼓うつなる 花見かな
  • いなづまや きのふは東 けふは西
  • 海棠の 花のうつつや 朧月
  • 水影や むささびわたる 藤の棚
  • 夕立や 田を三囲りの 神ならば
  • 小坊主や 松にかくれて 山ざくら
  • 重箱に 花なき時の 野菊哉
  • 水うてや 蝉も雀も ぬるる程
  • 稲こくや ひよこを握る 藁の中
  • うぐひすや 遠路ながら 礼かへし