【鷹羽狩行の有名俳句 20選】山形県出身の俳人!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

俳句は五七五の十七音で構成され、季節を表す季語を詠むことでさまざまな風景や心情を表現する詩です。

 

江戸時代に始まった俳句は昭和、平成を経て現代俳句として発展を続け、多くの俳人が世に生まれています。

 

今回は、昭和から平成、令和にかけて活躍している「鷹羽狩行(たかは しゅぎょう」の有名俳句を20句紹介します。

 

 

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ぜひ参考にしてください。

 

鷹羽狩行の人物像や作風

 

鷹羽狩行(たかは しゅぎょう)は、1930年(昭和5年)に山形県新庄市に生まれました。

 

高校時代の教師の教えを受けて校内俳句雑誌への投稿を初め、佐野まもるの「青潮」、山口誓子の「天狼」、加藤かけい主宰の「環礁」、秋元不死男が創刊した「氷海」と多くの俳句雑誌に投句をしています。

 

戦後も山口誓子に師事し、「氷海」の編集長や第一句集の発売を経て俳人協会賞を受賞、翌年俳人協会幹事になるなど、複数の俳句雑誌にまたがって精力的に活動を続けてきました。

 

また、1978年に「狩」を主宰し多くの門人を輩出しています。2019年には宮中行事である歌会始の召人にも選ばれました。

 

 

鷹羽狩行の作風は、自己肯定性や外向性についてユーモアやウィットを持って詠む句風です。

 

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躍動的な現代生活を描き出した師である山口誓子の影響を受けながらも、知的な生活の写生も加えた新しい作風になっています。

 

鷹羽狩行の有名俳句・代表作【20選】

 

【NO.1】

『 紅梅や 枝々は空 奪ひあひ 』

季語:紅梅(春)

意味:紅梅の花が咲いている。枝が空にのびて、奪い合うように密集している。

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紅梅の赤と枝の茶色、空の青とまるで絵画や写真のような一句です。競うように天に枝をのばす梅の生命力が伝わってきます。

【NO.2】

『 春昼(しゅんちゅう)や 魔法瓶にも 嘴(はし)ひとつ 』

季語:春昼(春)

意味:春のおだやかな昼だ。魔法瓶にもくちばしのような注ぎ口が一つある。

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魔法瓶の注ぎ口を鳥のくちばしに例えた一句です。春の昼間ということは本物の鳥が外で鳴いていて、魔法瓶もまるで鳥のくちばしのようだとユーモアをまじえて詠んだものと考えられます。

【NO.3】

『 手に受けて 少し戻して 雛あられ 』

季語:雛あられ(春)

意味:雛あられを手に受けるように取り出し、少し戻して食べている。

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手に菓子を出すときに、出しすぎて少し戻してしまった経験がある人も多いでしょう。この句はそんなよくある日常の風景を切り取って表現しています。

【NO.4】

『 鶯の こえのためにも 切通し 』

季語:鶯(春)

意味:ウグイスの鳴き声を遠く届かせるための切通しなのだ。

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「切通し」とは、小高い山や丘をトンネルではなく谷のように削って道を作る方法です。鎌倉の切通しが有名ですが、ウグイスの声が山でさえぎられないように通り道を作っているという解釈が面白い一句になっています。

【NO.5】

『 一本も なし南朝を 知る桜 』

季語:桜(春)

意味:かつてこの吉野の地にあったという南朝を直接知っている桜は1本もないのだ。

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「南朝」とは室町自体の南北朝のことで、奈良県の吉野に南朝の拠点が構えられていました。600年以上昔のことなので、桜の名所として長く伝えられた地の桜でも当時を偲ぶものはない、という感慨深さを詠んだ句です。

【NO.6】

『 天瓜粉(てんかふん) しんじつ吾子は 無一物 』

季語:天瓜粉(夏)

意味:天瓜粉を我が子に付けていると、本当に私の子は何も持たずに生まれたのだなぁ。

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天瓜粉は天花粉とも呼ばれている白いデンプンで、お風呂上がりなどに子供のあせもや湿疹の防止に使われたものです。「しんじつ」という平仮名の表現が、何一つ持ち込むことなく自分たちのところに生まれてきたわが子への愛情を感じます。

【NO.7】

『 摩天楼より 新緑がパセリほど 』

季語:新緑(夏)

意味:摩天楼のような高いビルから見下ろすと、新緑もパセリのようにわずかに見える。

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高いところから地上を見下ろすと、多くのものは小さく見えます。新緑の街路樹も添えられたパセリのように小さく見えてしまうというユーモアのある表現です。

【NO.8】

『 麦の秋 朝のパン昼の 飯焦し 』

季語:麦の秋(夏)

意味:麦の秋というべき初夏の日だ。新妻は朝のパンも昼の飯も焦がしている。

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家事に不慣れな新妻の様子を、初夏である麦の収穫期と合わせて詠んでいます。慣れないながらも始まった新生活を楽しんでいる様子が「朝のパン」「昼の飯」という並びから伺える句です。

【NO.9】

『 手渡しの 重さうれしき 鰻めし 』

季語:鰻(夏)

意味:手渡しで渡された弁当の思いがけない重さが嬉しい。中身は鰻めしだ。

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旅の別れで駅弁を渡されたのでしょうか。思いがけない重みと鰻というご馳走をことさらに喜んでいる旅の風景を詠んでいます。

【NO.10】

『 ラムネ店 なつかしきもの 立ちて飲む 』

季語:ラムネ(夏)

意味:ラムネを売っている店がある。懐かしいものを感じで買って立って飲んでみた。

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現在ではラムネを売っているというと、コンビニが主流でお祭りの屋台くらいしか思い浮かびません。この句が詠まれた時にはすでに駄菓子屋などは見かけなくなっていた頃なのでしょう。

 

【NO.11】

『 露の夜や 星を結べば 鳥けもの 』

季語:露(秋)

意味:露の夜だ。星と星を結べば鳥や動物の姿が浮かび上がる。

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秋の夜空に輝く星と、その星座を詠んでいる句です。一つ一つは露のように輝く星ですが、線で結べば昔から言い伝えられてきた鳥や動物の姿に変わります。

【NO.12】

『 旅に出て 忘れ 勤労感謝の日 』

季語:勤労感謝の日(秋)

意味:旅に出ているとうっかり勤労感謝の日であることを忘れていた。

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勤労感謝の日はもとは秋の収穫を祝う新嘗祭が起源であるとされています。現在では紅葉の時期と連休であることも重なり、祝日の元の意味を忘れてしまっているという皮肉も感じ取れる句です。

【NO.13】

『 ことごとく 秋思(しゅうし) 十一面観音 』

季語:秋思(秋)

意味:十一面観音像の顔がことごとく秋を思って寂寥感を感じているように見える。

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「秋思」とはものを見てしみじみと秋を感じることです。この句では十一面観音を出すことで、これから訪れる冬に対して寂寥感や人生について物思いにふけっている様子を表現しています。

【NO.14】

『 胡桃割る 胡桃の中に 使はぬ部屋 』

季語:胡桃(秋)

意味:クルミを割ると、クルミの中に使わない部屋のような空洞があった。

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クルミを割ると中が空洞だった、というめずらしい現象を詠んでいます。作者の自解では「ものごとの核心には空虚があるようになんらかの不可解な目的のための空洞なのかもしれない」と語っている句です。

【NO.15】

『 村々の その寺々の 秋の暮 』

季語:秋の暮(秋)

意味:秋の村から村へ、その中にある寺から寺へと日が暮れていく。

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次々と夕暮れを迎えている様子が「村々」「寺々」という繰り返しのリズムでテンポよく表現されています。あっという間に暗くなる秋の夕暮れが映像のように見えるようです。

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寒い冬の中で見事に咲いている牡丹の花を太陽と月に例えています。2つの牡丹の花が寄り添っていたのか別々の場所に咲いていたのか、太陽と月のイメージによって位置関係の想像が変わってくる句です。

【NO.17】

『 みちのくの 星入り氷柱 われに呉れよ 』

季語:氷柱(冬)

意味:みちのくの星が入っているという氷柱を私におくれよ。

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「みちのく」とは東北地方のことで、夜空の星を封じ込めたようなキラキラとした氷柱が欲しいなぁと詠んでいます。夜空に光る氷柱を「星入り」と表現するユーモアのあふれる一句です。

【NO.18】

『 スケートの 濡れ刃携へ 人妻よ 』

季語:スケート(冬)

意味:スケート靴の濡れている刃を携えた人妻よ。

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この句が詠まれた時代では、未だに妻は家から出て娯楽を楽しむことが少なかったのでしょう。そんな中で遭遇した人妻の行動力への簡単が「人妻よ」という表現から伝わってきます。

【NO.19】

『 一対か 一対一か 枯野人 』

季語:枯野(冬)

意味:1組のペアなのか、一人一人なのか、枯野をゆくあの人たちは。

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枯れ野を2人の人が歩いています。お互いに知り合いなのか、一人一人偶然そこに居合わせただけなのか、どのような関係なのだろうと想像をめぐらせている一句です。

【NO.20】

『 人の世に 花を絶やさず 帰り花 』

季語:帰り花(冬)

意味:我々の世界に花を絶やさないように帰り花が咲くのだ。

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「帰り花」とは冬に咲かない花が咲く現象のことです。冬は花が少なくなりますが、そんな季節でも花を絶やさないように咲いてくれるのだという自然への感謝と憧憬を感じさせる句になっています。

以上、鷹羽狩行の有名俳句20選でした!

 

 

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今回は、鷹羽狩行の作風や人物像、有名俳句を20句ご紹介しました。

現代の生活に合わせてユーモアやウィットに富んだ作風を好んだ作者の俳句は、現代俳句の礎になっています。
明治や大正期の近代俳句とはまた違った印象の俳句が多いので、ぜひ読み比べてみてください。