五・七・五の十七音の中で、自然の美しさや人々の心情を詠む「俳句」。
限られた文字数の中で、情緒や風景を伝えるという広がりを持った表現が魅力といえます。
今回は数ある名句の中から【夏河を越すうれしさよ手に草履】という与謝蕪村の句についてご紹介したいと思います。
「夏河を 越すうれしさよ 手に草履」
与謝蕪村が丹後の加悦周辺で詠んだ名句です。 pic.twitter.com/7YD6uEeMPX— WATARU (@wataru09666) August 4, 2016
作者はなぜ「うれしさ」を感じたのか、またこの句が読まれた背景とはどのようなものだったのでしょうか?
本記事では「夏河を越すうれしさよ手に草履」の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「夏河を越すうれしさよ手に草履」の作者や季語・意味・詠まれた背景
夏河を 越すうれしさよ 手に草履
(読み方:なつかわを こすうれしさよ てにぞうり)
この句の作者は「与謝蕪村(よさぶそん)」です。
江戸時代中期に活躍した俳人で、松尾芭蕉、小林一茶と並び「江戸の三大俳人」と称されました。
また画家としても有名で、俳句と絵を融合させた「俳画」の創始者でもあります。このことは蕪村の作る俳句にも大きく影響し、写実的で叙情性豊かな句風を確立しました。
季語
この句に含まれている季語は「夏河」で、季節は「夏」を表します。
夏河とは読んで字のごとく夏の河川を意味します。この季語が持つイメージは、梅雨や日照りなど気象によって変化するため、ひとつとは言い切れません。
例えば、降り続いた長雨による濁流の川や日照りで水量が減った川、涼を求めて子供たちが無邪気に水遊びを楽しむ川など、時と場合により姿を変えます。
この句の中での夏河は、「うれしさよ」の言葉から、透明度が高く水の冷たさが心地よい真夏の小川が想像できます。
このように季節だけでなく、季語のもつイメージに注目しながら詠んでみるのも楽しいですね。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「夏の川を、はだしで渡るのは嬉しいことだなあ 手に草履を持って」
になります。
この情景を詳しく述べると・・・
「暑い夏の日に道を歩いていると、目の前に小さな川がありました。川の向こうへ渡るため、履いていた草履をぬいで手に持ち、川の中へと入って行きました。水の冷たさが気持ちよく、子供の頃にこうして裸足で川遊びをしていたことまで思い出し、なんだか嬉しい気持ちになりました。」
という意味になります。
この句が詠まれた背景
じつはこの句の前書きには、「前に細川ありて混渓(せんかん)と長ければ」という文章があります。
現代語訳すると「細い川があって、さらさらと流れているので」となり、蕪村自身が小川を渡ったことが分かります。
蕪村が38歳から41歳頃、京都府北部に位置する丹後で過ごしていた時期に詠まれたもので、「夏河」は町内を流れる野田川ではないかといわれています。
丹後地方は、蕪村の母親の生地とされており、かつて蕪村も少年時代を一時期過ごした地でもあります。
こうした背景を元に、亡き母を偲びつつ自分の幼かった頃への憧憬を詠みこんでいる句と解釈されています。
また関東での生活が長かった蕪村は、京の都での生活に馴染めなかったとも言われています。それに比べ自然豊かな丹後では、のびのびとした時間を過ごしたことでしょう。
この句が持つ楽しそうな雰囲気は、のどかで穏やかな土地で暮らす安心感も影響しているのかもしれませんね。
「夏河を越すうれしさよ手に草履」の表現技法
絵画的に詠まれている
画家としても才能を発揮した蕪村は、絵画的、つまり「絵のように俳句を詠む」ことを得意としていました。
蕪村は、実際の風景を巧みに捉え、五・七・五からなるたった十七音の言葉でわずかな情景を詠みこんでいます。
その情景が読み手にも一枚の絵のように頭に浮かんくる、というのが絵画的といわれるゆえんです。
この句からも真夏の炎天下の中、草履を手に涼しげな小川をにこにこしながら渡っている蕪村の姿や、周りの緑溢れる風景が鮮やかに浮かび上がってきます。
「うれしさよ」の切れ字「よ」
中七の末尾には、「よ」という感動・詠嘆を表す切れ字が使われています。
切れ字とは、句の切れ目や末尾に置いて表現を言い切る働きをする語のことです。切れ字にはその直後に余情を生み出し、読み手を句の世界に引き込む効果があります。
特に「や」「かな」「けり」の三語は特に詠嘆の意味が強く、切れ字の代表格としてご存知の方も多いかもしれません。
しかし古くは十八種類もの切れ字が使われており、「よ」もその中の一つに含まれています。
語の持つ意味は感動を表す「や」と似ていますが、「よ」は「や」よりも口語的で軽やかな表現が特徴です。
この句での「うれしさよ」では、「思わず嬉しくなってくる」作者の心弾む様子がストレートに伝わってきます。
「草履」の体言止め
下五の「草履」では体言止めが使われています。
体言止めとは、文末を助詞や助動詞ではなく、体言(名詞・代名詞)で結ぶ表現方法です。
断ち切ることで言葉が強調され、「余韻・余情を持たせる」「リズム感をつける」効果があります。
この句では体言止めによって「手に草履を持って 裸足で小川を渡っている」様子が強調され、まるで少年のようにはしゃぐ蕪村の姿が想像できます。
「夏河を越すうれしさよ手に草履」の鑑賞文
この句は蕪村の絵画的な表現や、日常感覚豊かな句風が感じられる作品となっています。
炎天の日に清らかな小川で足をつけた時の水のつめたさや、童心にかえり裸足で川を渡ろうとする作者の高揚感が伝わってきます。
蕪村が丹後で生活していた頃は、これまで以上に画の制作活動に励んだといわれています。生活がかかっていたため、絵を描くことに追われることもあったかもしれません。
そんな生活の中、ふと亡き母を懐かしく思い、子供の頃にかえったような嬉しさを感じる時間は、蕪村にとって貴重な憩いのひと時だったことでしょう。
作者「与謝蕪村」の生涯を簡単にご紹介!
(与謝蕪村 出典:Wikipedia)
与謝蕪村(1716年-1784年)は、江戸時代中期の日本の俳人で、画家でもありました。
摂津国東成郡毛馬村(現在の大阪府都島区)の生まれで、20歳の頃江戸へ出た蕪村は早野宋阿(はやのそうあ)の内弟子として俳諧を学びました。
27歳の折に師匠である巴人が亡くなると、芭蕉を尊敬してやまない蕪村は、北関東から東北までを中心に長い放浪生活を送りました。
その後36歳で京都へ移り住み、優れた絵師や俳人との交流に感化され充実した創作活動に勤しみます。俳諧の弟子も次第に集まり、45歳頃に結婚し一人娘を儲けました。
その後も精力的に活動を続けますが、持病の悪化など体調を崩した蕪村は、心筋梗塞により68歳の生涯を閉じました。
与謝蕪村のそのほかの俳句
(与謝蕪村の生誕地・句碑 出典:Wikipedia)
- 春の海終日のたりのたりかな
- 夕立や草葉をつかむむら雀
- 花いばら故郷の路に似たるかな
- 斧入れて香におどろくや冬立木
- さみだれや大河を前に家二軒
- 菜の花や月は東に日は西に
- 笛の音に波もよりくる須磨の秋
- 涼しさや鐘をはなるゝかねの声
- 稲妻や波もてゆへる秋津しま
- 不二ひとつうづみのこして若葉かな
- 牡丹散りて打かさなりぬ二三片
- 月天心貧しき町を通りけり
- ところてん逆しまに銀河三千尺
- 易水にねぶか流るゝ寒かな
- 鰒汁の宿赤々と燈しけり
- 二村に質屋一軒冬こだち
- 御火焚や霜うつくしき京の町
- 寒月や門なき寺の天高し
- 古庭に茶筌花さく椿かな
- ちりて後おもかげにたつぼたん哉
- あま酒の地獄もちかし箱根山
- ゆく春やおもたき琵琶の抱心
- 朝霧や村千軒の市の音
- 休み日や鶏なく村の夏木立
- 帰る雁田ごとの月の曇る夜に
- うつつなきつまみ心の胡蝶かな
- 秋の夜や古き書読む南良法師
- 雪月花つゐに三世の契かな
- 朝顔や一輪深き淵の色
- さくら散苗代水や星月夜
- 住吉に天満神のむめ咲ぬ