わずか17音の芸術、「俳句」。
俳句は日本が誇る伝統芸能の一つですが、限られた文字数で綴られる物語は、世界中の人々から愛され、親しまれている文芸です。
今回は、数ある名句の中から正岡子規の作「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」という句をご紹介します。
茗荷よりかしこさうなり茗荷の子 正岡子規
Japanese ginger…裏窓から見える茗荷…夏が終わる頃採れる!
今期最後のマーマレード♪ もう一度作る気力あり♪ 甘夏木に残っているから^♡^&向日葵 pic.twitter.com/eI1bIqNUai— 根子 (@mi_chiamo_neko) July 7, 2016
本記事では、「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。
目次
「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」の季語や意味・詠まれた背景
茗荷より かしこさうなり 茗荷の子
(読み方:みょうがより かしこさうなり みょうがのこ)
この句の作者は「正岡子規」です。
正岡子規は俳諧や和歌を研究し、自らも創作活動に励んだ明治期の俳人です。江戸時代から続いてきた俳諧を、俳句という芸術に進化させたのも彼です。
彼の生涯は儚くも短いものでしたが、成し遂げた業績は偉大です。
季語
こちらの句の季語は「茗荷の子」で、季節は「夏」を表します。
同じく「茗荷」を使った「茗荷竹」と言われる茗荷の若芽は春の季語、そして「茗荷の花」はなんと秋の季語です。面白いですね。
意味
この句の現代語訳は・・・
「茗荷の親の葉より、ぽってりとした赤紫色の茗荷の子(花穂)は、実にかしこそうに見えるもんだなぁ。」
といった意味になります。
「茗荷を食べると物忘れがひどくなる」という俗信がこの句の根底にあります。
この句が詠まれた背景
この句が詠まれた背景に「茗荷を食べると物忘れがひどくなる」という俗信があります。
昔々、お釈迦様のお弟子さんに周梨槃特(シュリハンドク)という物忘れがひどく、自分の名前すら憶えていられない人物がいました。
あまりの物忘れのひどさに、お釈迦様は周梨槃特に自分の名前を書いた名札を首から下げておくようにいいました。
物忘れはひどいものの、与えられた役割は非常に熱心に取り組み、人一倍まじめであった周梨槃特は、誰よりも早く悟りの境地に達したとそうです。
周梨槃特が亡くなると、お墓から何やら見慣れぬ草が生えてきました。これが「茗荷」で、周梨槃特のお墓から生えてきたものであることから、この植物(茗荷)を食べると物忘れがひどくなるとの逸話が生まれました。
通常、子は親に似るものですが、この俗信があまりに有名な話であったことから「茗荷の子の限っては親に似ず、賢い」と裏をかいて詠んだのかもしれません。
「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」の表現技法
この句で使われている表現技法は・・・
- 擬人法
- 体言止め
になります。
擬人法
擬人法とは、人間以外のものを人間に見立てて表現する技法のことです。擬人法を使うことによって細かい説明を省き、読み手がイメージしやすくなるといった効果があります。
「茗荷」と「茗荷の子」を人間に例えて、「親」と「子」に見立てて詠んでいます。
「茗荷」と「茗荷の子」を人間っぽく扱うことで、句全体が生き生きとしてきます。
体言止め
体言止めとは、文末を名詞や代名詞などの体言で止める技法です。
文末を体言止めにする事で、文章全体のイメージが強調され読者に伝わりやすくなり、また句にリズムを持たせる効果もあります。
この句は語尾を「茗荷の子」で締めくくることによって、読み手にイメージを委ねています。ぽってりとした赤紫色の茗荷の花穂が鮮明に思い浮かんでくるようです。
「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」の鑑賞文
【茗荷よりかしこさうなり茗荷の子】は、「茗荷を食べると物忘れがひどくなる」という俗信の裏をかいて、ユーモア交えて詠んだ句です。
一般的に子は親に似るものですが、茗荷に限っては親よりも子の方が賢いんだと茗荷の子の代弁をしていると捉えることもできます。
俳句に関して子規は「写生」を強く意識しています。
目の前のものを絵に描くように、ありのままに詠むわけですが、この句では擬人法を用いることによって「茗荷」や「茗荷の子」が自然と頭に浮かんできます。
作者「正岡子規」の生涯を簡単にご紹介!
(正岡子規 出典:Wikipedia)
正岡子規(1867年~1902年)は伊予国温泉郡藤原新町(現愛媛県松山市花園町)の松山藩士の家庭に生まれ、本名を常規(つねのり)といいます。
日本の近代文学に多大な影響を及ぼした文学者で、幼いころから漢詩や戯作、書画などをたしなんでいたといわれています。特に絵画に関しては、子規は画家でもあった与謝蕪村を尊敬しており、自らもスケッチを描いたりしていました。
1895年に開戦した日清戦争で子規は従軍記者として遼東半島に渡ったものの、喀血して重態に陥ってしまいます。
その時の自分の様子を「鳴いて血を吐く」といわれているホトトギスと重ね、ホトトギスの漢字表記「子規」を自らの俳号とすることに決めたそうです。
この頃から晩年まで、子規は自宅でほぼ寝たきりの状態でした。しかし、子規の作品は病床にあるからといって陰惨さは感じられず、むしろユーモアが感じられるものが多く残されています。
庭の草花や、お弟子さんたちが持ち寄る旅の土産などを、ありのままに詠んでいます。
「茗荷よりかしこさうなり茗荷の子」。淡々とした中にも深い味わいが感じられる一句です
正岡子規のそのほかの俳句
(前列右が正岡子規 出典:Wikipedia)
- 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
- 紫陽花や昨日の誠今日の嘘
- 赤とんぼ 筑波に雲も なかりけり
- 夏嵐机上の白紙飛び尽す
- 牡丹画いて絵の具は皿に残りけり
- 山吹も菜の花も咲く小庭哉
- 毎年よ彼岸の入りに寒いのは
- 雪残る頂ひとつ国境
- いくたびも雪の深さを尋ねけり
- 柿くふも今年ばかりと思ひけり
- 鶏頭の十四五本もありぬべし