【生くることやうやく楽し老の春】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

日本の伝統的文芸であり、今なお多くの愛好家をもつ俳句。

 

名句と呼ばれる句は数多くありますが、名句を鑑賞することは、どんな人にとっても心の栄養になります。

 

今回はそんな数ある名句の中でも富安風生の「生くることやうやく楽し老の春」という句をご紹介します。

 

 

本記事では、「生くることやうやく楽し老の春」の季語や意味・表現技法・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「生くることやうやく楽し老の春」の作者や季語・意味

 

生くること やうやく楽し 老の春

(読み方:いくること やうやくたのし おいのはる)

 

こちらの句の作者は「富安風生(とみやす ふうせい)」です。

 

大正から昭和にかけて活躍し、おだやかで平明な俳風で知られた俳人です。

 

季語

こちらの句の季語は「老の春」です。

 

「老の春」は、年老いて迎える春、新年の季語になります。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「老いて迎える新年に、生きることがようやく楽しいと思えるようになって来たことだ。」

 

という意味になります。

 

この句は、「喜寿以降」という句集に所収の句で、昭和39(1964)の作です。

 

この句の前書きには「房州僑居に数へて八十歳の春を迎ふ」とあります。

 

作者は、房州の住まいで数えの80歳の新春を迎えたと言うことを意味します。

 

「生くることやうやく楽し老の春」の表現技法

 

こちらの句で用いられている表現技法は・・・

 

  • 二句切れ
  • 「老の春」の体言止め

 

になります。

 

二句切れ

俳句一句の中で、意味上・リズム上で大きく切れるところを句切れと呼びます。普通の文でいえば、句点「。」がつくところで切れます。

 

この句に句点を打つとしたら、「生くることやうやく楽し。老の春」となります。二句のところで切れるので「二句切れ」の句となります。

 

「老の春」の体言止め

体言止めとは、句の終わりを体言、名詞で止める技法のことです。余韻を残す働きがあります。

 

この句は、「老の春」という名詞で終わっています。

 

傘寿(80歳)の新年を迎えることへのしみじみとした喜びや人生への想いなどが余韻をもって伝えられています。

 

「生くることやうやく楽し老の春」の鑑賞文

 

【生くることやうやく楽し老の春】の句は、老境にあって生きる喜びをうたい上げた佳句です。

 

「生きることをようやく楽しいと感じられるようになった」という述懐には、青年期の悩みや壮年期の責務からの解放からくる楽しさでもあり、様々なことを経験して喜びも苦しみも乗り越えてきたからこその平穏を喜ぶ気持ちもあるでしょう。

 

そして、自らは年老いて死への意識もある中で、生きることの意味や楽しみ、よさをかみしめている句だといえます。

 

富安風生は、「老の春」の句を数多く詠んでいます。

 

喜寿の賀を 素直にうけて 老の春

(意味:喜寿(77歳)のお祝いを素直に受けて迎える老いの春であることよ。)

勝負せず して七十九年 老の春

(意味:勝負をしないで79年生きてきて迎える老いの春であることよ。)

うれしさと やや淋しさと 老の春

(意味:うれしいことはもちろん、やや寂しさもかみしめる老の春であることよ。)

いやなこと いやで通して 老の春

(意味:いやなことはいやという我を押し通して迎える老の春であることよ。)

 

また、ほかにも・・・

 

老いはいや 死ぬこともいや 年忘れ

(意味:老いることも死ぬこともいやだなあと思いながら、年忘れ、忘年会に興じることよ。)

 

という句もあります。この句は「年忘れ」が季語で、年末の句です。

 

どの句も軽妙洒脱でありながら、深い味わいを感じさせる句です。

 

作者「富安風生」の生涯を簡単にご紹介!

 

富安風生(とみやす ふうせい)、本名は富安謙次です。生年は明治18年(1885年)で愛知県出身です。

 

本職は、逓信省(かつて日本の郵便や通信を司っていた機関)に勤める官吏をつとめながら、俳句を詠みました。逓信省の俳句雑誌「若葉」の主宰としても活動しました。

 

日本の俳壇の巨頭、高浜虚子に師事しました。虚子からは穏やかな句風を評価されていました。

 

風生が俳句を始めたのは30代半ばと遅くはありましたが、師である虚子との関係はずっと良好でした。

 

虚子には・・・

 

風生と 死の話して 涼しさよ

(意味:富安風生と、死について語らい、涼しさを得たことよ。)

 

という句があります。昭和13年(1938年)、ともに避暑に出かけた時の作とされます。

 

「老いはいや死ぬこともいや」、「いやなことはいや」と詠んだ富安風生は、94歳という長い人生を生き、昭和54年(1979年)永眠しました。

 

 

富安風生のそのほかの俳句

(富安風生句碑 出典:Wikipedia

 

  • まさをなる空よりしだれざくらかな
  • 門松やあひだあひだの枯柳
  • 廂より垂れたる松の初雀
  • 蓬莱を掛けてアトリエ新しく
  • 春著かな両手に抱いて重き袖
  • 初富士を漁師の中に拝みけり
  • 国許の母が来て居て二の替
  • 初富士の大きかりける汀かな
  • 獅子舞の大きな門をはひりけり
  • 松立てゝ漂うてをる小舟かな
  • 腕きゝの若手揃ひの二の替
  • 渡守正月の靴を穿いてみし
  • 道の辺や羽子沈みゐる芹の水
  • 羽子板や母が贔屓の歌右衛門
  • 出初式梯子の空の上天気
  • 鯨船松飾してかかりをり
  • うらじろの剪りこぼれをる山路かな
  • 万歳の三河の国へ帰省かな
  • 初富士や茶山にかくれなし
  • 島田髷結ひ馴らすなり福寿草