【飯田龍太の有名俳句 36選】知っておきたい!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

五・七・五の十七音で、自然の姿や生活の中で覚えた感興を詠み上げる「俳句」。

 

今回は、山梨県の風土を愛した俳人「飯田龍太」の有名俳句作品(代表作)を紹介していきます。

 

 

俳句仙人

ぜひ参考にしてみてください。

 

飯田龍太の人物像と作風

(写真:飯田龍太)

 

飯田 龍太(いいだ りゅうた)は1920年(大正9年)に山形県に生まれました。

 

父は高浜虚子に師事し、山梨の風土に根差した句を多く詠んだことで知られる「飯田蛇笏(いいだ だこつ)」です。

 

 

龍太は蛇笏の四男でしたが、兄たちが戦死しまた若くして病に倒れたために家督を継ぎます。昭和10年代から句作をはじめ、父・蛇笏と同様に山梨の自然風土を愛して俳句を詠みました。

 

龍太は山梨の大自然やそこでの暮らしについて、しなやかで繊細な感性で格調高く詠んだ句を多く残しています。

 

 

また、「かな・や・けり」といった切れ字はあまり用いられない点も、飯田龍太の句の特徴です。戦後の、伝統俳句を引き継いだ俳人の代表的な存在として俳壇で広く活躍しました。

 

父とともに山梨県境川村(現笛吹市)の自宅、「山廬(さんろ)」に住み、父の創刊した俳句雑誌『雲母』を引き継いで創作活動に励みました。

 

山梨文学館の創設など、地元の文化振興にも大きな業績を残し、2007年(平成19年)に86歳で亡くなりました。

 

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次に、飯田龍太代表的な俳句を季節(春夏秋冬)別に紹介していきます。

 

飯田龍太の有名俳句・代表作【36選】

(「水澄みて四方に関ある甲斐の国」句碑 出典:Wikipedia

春の俳句【9選】

 

【NO.1】

『 白梅の あと紅梅の 深空あり 』

季語:梅(春)

意味:白梅が咲き、その後、紅梅が咲く。青い空に梅の花がよく似合うことだ。

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白梅、紅梅、澄み切った青空の色彩の対比が美しい、早春のすがすがしさを詠んだ句です。「深空」は「みそら」と読み、高く深く透き通った青空のことです。

 

【NO.2】

『 入学児 脱ぎちらしたる 汗稚く 』

季語:入学(春)

意味:入学したばかりの子どもが脱ぎ散らした服は、若々しく汗ばんでいる。

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入学式から帰ってきて、解放感にあふれたこどもの様子を詠んだ句です。子どもの汗に焦点を当てているところにこの句の特徴で、子どもの成長を喜ぶ、優しい目線が感じられます。飯田龍太は30代の頃、次女を亡くしています。それだけに、句に込められたこどもをいとおしむ思いは強いといえます。

 

【NO.3】

『 いきいきと 三月生る 雲の奥 』

季語:三月(春)

意味:三月は、いきいきと雲の奥から生まれるようにやってくるのだ。

俳句仙人
弾むような躍動感やエネルギーをもって、春の到来を詠んだ句です。雲の奥から三月が生まれてくる、というのはとても独特で、またスケールの大きな句でもあります。

 

【NO.4】

『 春の鳶(とび) 寄りわかれては 高みつつ 』

季語:春の鳶(春)

意味:季節は春、空に二羽の鳶が舞っている。二羽は、近づいたり、遠ざかったりしながら天高くのぼってゆく。

俳句仙人
「鳶(とび)」だけでは季語になりませんが、「春」という言葉とともに詠みこむことで季語となります。「鳶」は、大型の猛禽類で、上昇気流にのって輪を描きながら滑空する鳥です。「ピーヒョロロ」という独特な鳴き声でも知られています。大空を舞う鳶に目を向けることでのびのびとした空間を詠んでいます。

 

【NO.5】

『 夕されば 春の雲みつ 母の里 』

季語:春の雲(春)

意味:ふと懐かしく思い出されるのは、母とともに訪れた、母の実家でみた、夕方の春の雲のことだ。

俳句仙人
「母の里」とは、母親の実家のこと。そこには、幼い孫に優しい祖父母や伯父や伯母、遊び相手のいとこたちがいたのでしょう。幼い日の優しい思い出を、夕焼けに染まる春の雲に託して詠んだ句です。

 

【NO.6】

『 紺絣(こんがすり) 春月重く 出でしかな 』

季語:春月(春)

意味:紺絣のような色の夜空に輝く春の月は、どこか重たく感じるものだ。

俳句仙人
作者はこの句の自解で、月は母を思い出すと書いています。作者は5人兄弟の中の四男でしたが、兄たちのお下がりの紺絣の着物を着ていくうちに成長を実感したことを、春の夜空を思い出しながらこの句を詠みました。

 

【NO.7】

『 天寒く 花の遊べる 真夜かな 』

季語:花(春)

意味:天はまだ寒いが、花が遊ぶように咲いている真夜中だなぁ。

俳句仙人
作者の住んでいた山梨県は花の咲く春になっても夜はまだ寒く、「天寒く」と詠まれるほどです。そんな夜中でも花は遊ぶように咲き誇っている様子を詠んでいます。

 

【NO.8】

『 貝こきと 噛めば朧の 安房(あわ)の国 』

季語:朧(春)

意味:貝をこきこきと噛んでいると、朧のような語感の安房の国に来たのだなぁと実感する。

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「安房の国」とは現在の千葉県の南側の旧国名です。「安房」という読みが「淡」「泡」と同じなため、朧のような雰囲気がすると感じているユーモアのある句になります。

 

【NO.9】

『 いまはむかしの いろの蘇芳の 花ざかり 』

季語:蘇芳の花(春)

意味:今となっては昔のことだが、染料として使われていた蘇芳の花が盛りを迎えていることだ。

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蘇芳の花はかつて染料として使われ、赤から暗い紫まで様々な色に染める材料でした。作者が詠んだ時はもう使われていなかったようですが、それでも花は昔のように咲いているとしみじみと感じ入っています。

 

夏の俳句【9選】

 

【NO.1】

『 かたつむり 甲斐も信濃も 雨の中 』

季語:かたつむり(夏)

意味:かたつむりが雨に濡れている。遠くを見やると、甲斐の国も信濃の国も雨にけぶっていることだ。

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「甲斐」は山梨県、「信濃」は長野県の呼名です。「かたつむり」という小さな生き物にあてた視野を二つの国広げる、ダイナミックな句です。松尾芭蕉の「かたつぶり 角ふりわけよ 須磨明石 (意味:古来から、須磨と明石は這って渡れるほど近くにあるお言われるが、それほど近いものであるなら、かたつむりよ、二本の角でそれぞれ指示してみよ。)という名句の、いわばパロディとして詠まれた句です。

 

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国語の教科書にもよく取り上げられる有名句です。飯田龍太は、36歳の頃、6歳の次女を亡くしています。夏の日、無邪気に遊ぶ子どもたちに亡き娘の姿を重ね、尽きることのない愛惜の情をかみしめていたのかもしれません。

 

【NO.3】

『 炎天の 巌の裸子(はだかご) やはらかし 』

季語:裸子(夏)

意味:炎天下の河原で子どもたちが川遊びをしている。岩の上の裸の子どもの肌がやわらかくもいとおしいことよ。

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この句が詠まれたのは、昭和28(1953)。現代の夏とは暑さの質も、暑さをしのぐ方法も異なっていました。暑さを避けて川遊びに興じ、体が冷えると岩の上で体を乾かす子らの姿が浮かぶ句です。堅い岩と、瑞々しくやわらかい肌をさらす子どもの対比が鮮やかです。

 

【NO.4】

『 緑陰を よろこびの影 すぎしのみ 』

季語:緑陰(夏)

意味:緑の木陰の中を、喜びを表したような影が過ぎ去って行った。

俳句仙人
「よろこびの影」という曖昧な表現が特徴的な一句です。暑さの中で木陰を見つけた時の喜びや、楽しそうな人たちが行き交う様子を表しているといった解釈がなされています。

 

【NO.5】

『 夏の雲湧き 人形の唇 ひと粒 』

季語:夏の雲(夏)

意味:夏の雲が湧き立つように見える。視線を移すと、人形の赤い唇がひと粒見える。

俳句仙人
夏の雲というダイナミックな題材と、小さな人形の唇という小さい題材を対比した一句です。大きさの他にも、空の青と雲の白、唇の赤と鮮やかな色彩が表現されています

 

【NO.6】

『 子の皿に 塩ふる音も みどりの夜 』

季語:みどりの夜(夏)

意味:子供のお皿にさらさらと塩を振ってやる音も静かに響く新緑の季節の夜だ。

俳句仙人
「みどりの夜」とは新緑の季節の夜のことです。塩を振るかすかな音が聞こえるほど、子供や自分たち家族にとって静かで過ごしやすい様子を詠んでいます。

 

【NO.7】

『 梅を干す 真昼小さな 母の音 』

季語:梅を干す(夏)

意味:真昼に梅を干している母親が立てた小さな音だ。

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6月は梅干しを作り始める時期になります。ヘタを取ったり梅の実を洗ったりと昼間から働く母親の立てる音に耳を傾けている作者の様子を詠んだ句です。

 

【NO.8】

『 極暑の夜 父と隔たる 広襖 』

季語:極暑(夏)

意味:とても暑い夜に、父と私を隔てる広い襖だ。

俳句仙人
昔の日本家屋は壁で部屋を区切るのではなく、襖で大きな部屋を区切っています。ふだんは大きな部屋として使用していたのかもしれませんが、この句では寝室として襖を区切っているために、風通しが悪く余計に暑く感じているのかもしれません

 

【NO.9】

『 闇よりも 山大いなる 晩夏かな 』

季語:晩夏(夏)

意味:夜の闇よりも山が大いなるものに感じる晩夏であることだ。

俳句仙人
真夜中でも月やほんの僅かな明かりで山の影がうっすらと見えることがあります。夜よりも暗い影としてそびえる山への畏敬の念を表している一句です。

 

秋の俳句【9選】

 

【NO.1】

『 毒茸 月薄目して 見てゐたり 』

季語:毒茸(秋)

意味:毒キノコが、薄目を開けてみていたことだ。

俳句仙人
独特なユーモアと不気味さにあふれた一句です。キノコは、条件がそろうと群生して、あっという間に大きくなります。毒キノコが、見ていないようなふりをして、薄めで月を窺っている…毒キノコを擬人化したことで、より不気味さが強調されています。

 

【NO.2】

『 黒揚羽 九月の樹間 透きとほり 』

季語:九月(秋)

意味:クロアゲハが林の中を飛んでゆく。九月になり、樹々の間も透き通っていくようだ。

俳句仙人
「黒揚羽 クロアゲハ」は、黒い大型のチョウのことです。9月になり、季節は確実に夏から秋へとうつろってゆく。林の樹々の間を抜ける風も、秋らしさを増して、透き通って感じられるのでしょう。

 

【NO.3】

『 新米と いふよろこびの かすかなり 』

季語:新米(秋)

意味:新米が稔りの時を迎え、収穫する際のよろこびはかすかにひそやかにわいてくるものだ。

俳句仙人
飯田家は、農業を営んでもいました。龍太は、若い頃、ジャガイモの増産法についての論文で賞をとったこともあるほどで、農業に対しても真摯に取り組んでいました。肉体労働の積み重ねで新米を手にし、その重みの実感するとき、いっぺんに大きな感動を味わう、というより、かすかにじわじわとわいてくるものなのだ、と詠っているのです。

 

【NO.4】

『 亡き父の 秋夜濡れたる 机拭く 』

季語:秋夜(秋)

意味:亡き父の遺品となった机を、秋の夜、水拭きしている。

俳句仙人
句集『麓の人』に収められた、「父死す」という連作のひとつです。飯田龍太の父、蛇笏は、昭和三17(1962)193日に逝去しました。父の遺品の机、それは、俳人飯田蛇笏の句作を知り尽くした机でもあったでしょう。その机を丁寧に清めるという、哀悼の句です。

 

【NO.5】

『 満月の なまなまのぼる 天の壁 』

季語:満月(秋)

意味:満月が壁を「なまなま」とのぼっていくように感じる夜空だ。

俳句仙人
月がゆっくりと時間をかけて昇っていく様子を、壁をのぼっていくカタツムリのように「なまなま」と表現しています。満月が出てからずっと見守っているような独特の表現が特徴の句です。

 

【NO.6】

『 栗打つや 近隣の空 歪みたり 』

季語:栗(秋)

意味:栗の実を取るために木を打っている。木の近くの空が心なしか歪んで見えるなぁ。

俳句仙人
栗の実を枝を打って取っている秋の風景を詠んだ句です。空が歪んで見えるのは枝が揺れているからか、打つという行為への作者の申し訳なさが心象風景として表れているのか、解釈が分かれる句です。

 

【NO.7】

『 野茨の実のくれなゐに 月日去る 』

季語:茨の実(秋)

意味:野茨の実が紅に熟すほどに月日が経っている。

俳句仙人
野茨(のいばら)は5月頃に花を咲かせて、実が熟すのが10月頃の植物です。実が紅に染まるまで半年ほどの月日が経っているのだと実感しています。

 

【NO.8】

『 鎌倉を ぬけて海ある 初秋かな 』

季語:初秋(秋)

意味:鎌倉の山道を抜けると見えてくる海には初秋の空気が漂っていることだ。

俳句仙人
鎌倉は「切り通し」という山を削って作った道が通っているように、海までの間に山が多くあります。そんな山をようやく越えて鎌倉の海にたどり着くと、初秋の爽やかな海の空気が漂ってきたと感動している一句です。

 

【NO.9】

『 水澄みて 四方に関ある 甲斐の国 』

季語:水澄みて(秋)

意味:水が澄んで、四方に関がある甲斐の国だ。

俳句仙人
作者が住んでいた現在の山梨県を褒めている国褒めの句です。山梨県は四方を山で囲まれているため、他の場所へ移動するには関所を通る必要がありました。

 

冬の俳句【9選】

 

【NO.1】

『 手が見えて 父が落葉の 山歩く 』

季語:落葉(冬)

意味:西日に照らされて、手が白く浮かびあがって見える。父が、落ち葉を踏みしめて山を歩いているのであった。

俳句仙人
竹林の中を歩く父親の姿、特にその手が西日に照らされて白く見えたことをきっかけに詠まれた句です。この時、飯田龍太の父、蛇笏は75歳。亡くなる2年前のことです。ここで詠まれているのは、力強くたくましい父親像ではなく、年相応の衰えを見せつつも、高い精神性を見せる人生の先達としての父の姿です。

 

【NO.2】

『 一月の 川一月の 谷の中 』

季語:一月(冬)

意味:時は一月。一筋の川が、谷あいを流れている。

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飯田龍太の代表作にして、賛否両論を呼んだ衝撃的な話題作でもあります。飯田龍太自身、「幼時から馴染んだ川(狐川)に対して、自分の力量をこえた何かが宿し得たように直感した。」と述べています。抽象的な句であり、解釈も様々ですが、雪が積もって高く切り立った谷の中を、細い一本の川が清冽に流れている光景を詠んだものです。

 

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「大寒」とは、二十四節季のひとつで、一年で一番寒い時を言います。真冬の故郷の村落を詠んでいますが、その奥には、春を待つ心も潜んでいるかのようです。

この句は、意味の上で切って読むと、「だいかんの いっこもかくれなき こきょう」と、五・八・三となり、破調の句のようですが、「だいかんの いっこもかくれ なきこきょう」と、実は五・七・五の定型のリズムで作られた句です。「かくれなき」という文節が、二句と結句にまたがる、「句またがり」の句になります。

 

【NO.4】

『 山河はや 冬かがやきて 位につけり 』

季語:冬(冬)

意味:山も河も、冬を迎えて早くも輝きを増し、その存在感を強めている。

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飯田龍太の第一句集『百戸の谿(ひゃっこのたに)』の中の代表作です。飯田龍太が暮らした、山梨の故郷の村での景色を詠んだ句です。冬を迎えた澄んだ空気に満ちた故郷の姿が詠みこまれています。

 

【NO.5】

『 梅漬の 種が真赤ぞ 甲斐の冬 』

季語:冬(冬)

意味:梅漬けの種が真っ赤に染まっているぞ。甲斐の冬が来た。

俳句仙人
冬という白を連想させる季節を強調するように、「真赤ぞ」と梅漬けの赤を強調しています。厳寒期を迎える郷土に対して作者自身を奮い立たせているような赤色です。

 

【NO.6】

『 亡きものは なし冬の星 鎖(さ)をなせど 』

季語:冬の星(冬)

意味:死んでいったものはもういないのだ。冬の星は星座として鎖のように繋がっていても。

俳句仙人
作者は3人の兄を病気や戦争で亡くしています。冬の星々は星座としていつまでも共にあるが、死者と生きている自分たちは共にはいられないのだという嘆きを星に託して詠んだ句です。

 

【NO.7】

『 白雲の うしろはるけき 小春かな 』

季語:小春(冬)

意味:穏やかな空と白い雲の後ろに自然のはるかさを感じる小春の日だなぁ。

俳句仙人
「小春」は春の季語と間違いやすいですが、旧暦10月の異称であり秋の季語です。これから冬が来るとは思えないほど穏やかな空と白い雲に、自然の偉大さを感じている一句です。

 

【NO.8】

『 風の彼方 直視十里の 寒暮あり 』

季語:寒暮(冬)

意味:風の吹く彼方に直視で十里ほど見える冬の夕暮れだ。

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「十里」はだいたい39kmほどと言われていますが、ここでは見渡す限りの冬の夕暮れという意味です。都会は空が狭いと言われていますが、作者の住んでいる場所は十里も見渡せるほど広い空が広がっていることがわかります。

 

【NO.9】

『 うきうきと 咲いて淋しき 花八ツ手 』

季語:花八ツ手(冬)

意味:うきうきとしたように咲いているが、どこか寂しそうなヤツデの花だ。

俳句仙人
ヤツデの花は冬の日陰にひっそりと咲く花です。花の少ない冬に放射状に花の房をつけるため「うきうきと」見えたのでしょうが、それでもほかに咲く花のない状況にどこか寂しそうだと感じています。

 

さいごに

 

龍太の俳句は、父・蛇笏のホトトギス派の流れを汲む格調高い句、そして蛇笏の句ともまた違った新しい感性や、しなやかさや瑞々しさをもっています。

 

飯田龍太の逝去にあたって、多くの俳人が追悼句を寄せましたが、その中に、高橋睦郎の「秋の蛇笏春の龍太と偲ぶべし(秋の俳句といえば父・蛇笏、春の俳句といえば息子龍太に名句がある)」という句があります。

 

蛇笏も龍太も優れた俳人であったという、俳人・蛇笏と龍太に対する尊敬、そして哀悼の意を込めた句です。

 

奇しくも、蛇笏の命日は103日と秋、龍太の命日は225日と早春の頃でした。しなやかで繊細な飯田龍太の名句の数々、じっくりと味わってみてください。

 

俳句仙人

最後まで読んでいただきありがとうございました。