
俳句は昔から、気軽に始められる趣味の一つとして人気ですね。
気軽に始められることもあり、かつての作品を参考にされる方も大勢いらっしゃるかと思います。
そうして調べていく中で、有名な句である「春風や闘志いだきて丘に立つ」を教科書や参考書・Web上など様々なところで目にします。
今日は関東で春一番が吹くかもしれないとのこと。
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— 鎌倉と文学 (@kamakura_bunko1) February 21, 2020
そして、「この句はどんな意味で詠まれたんだろう?」という疑問をもたれる方もいらっしゃるかと思います。
そこで今回は、「春風や闘志いだきて丘に立つ」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきます。

ぜひ参考にしてみてください。
目次
「春風や闘志いだきて丘に立つ」の季語や意味・詠まれた背景

春風(はるかぜ)や 闘志(とうし)いだきて 丘に立つ
(読み方:はるかぜや とうしいだきて おかにたつ)
こちらの句の作者は「高浜虚子(たかはしきょし)」です。

(高浜虚子 出典:Wikipedia)
虚子は明治時代から昭和時代にかけて、俳人そして小説家として活躍した人物です。
正岡子規に師事した虚子は、その一生を終えるまで忠実に子規の教えを貫き、自由律俳句を擁護する活動が高まりを見せるなかで、伝統俳句を守り続けました。
虚子の句風は「花鳥風体」と呼ばれており、写実的な表現を用いた句が特徴です。
季語
こちらの句の季語は「春風」、春の季語になります。
季語は事象の様子が決まっていることが多いですが、この句は少し様子が違います。
一般的には「春風」の表現は暖かく穏やな風を表現し、「はるかぜ」と「しゅんぷう」のどちらでも読まれています。
しかし今回は暖かく穏やかであっても、爽やかさも兼ね備えた風を表現しています。

読み方は虚子の直筆文によると「はるかぜ」となっています。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「春の風が吹きわたっていることよ。強い闘志をみなぎらせ、風を感じて丘の上でたたずんでいる。」
という意味になります。
この句が詠まれた背景
こちらの句は、高浜虚子が39歳の時に、俳壇へ復帰した際に詠んだ句です。
この句を詠んだ時、虚子は遠ざかっていた俳壇へ復帰する決意を固めていました。
俳句をやめていたはずだったのに、なぜ復帰することにしたのでしょうか?
かつて正岡子規の弟子であった虚子ですが、子規の後継者としての立場を蹴り、俳句文芸誌「ホトトギス」の運営をしていました。
子規の没後は俳句はやめ、小説の創作に勤しんでいましたが転機を迎えます。
そんな最中、虚子と同じように、子規の弟子であった河東碧梧桐が新しい作風を提唱し始めました。
その作風は従来の五七五調や季語といった形式にとらわれない新傾向俳句と呼ばれ、虚子の作風とは正反対のものでした。
虚子は碧梧桐と親しかったのですが、この芸術性には相容れず猛反発しました。
伝統的な五七五調の季語を用いて客観写生したものが俳句だとする「守旧派」として、虚子は再出発することを決意。

その時に詠んだのが「春風や闘志いだきて丘に立つ」の句になります。
「春風や闘志いだきて丘に立つ」の表現技法

初句切れと「丘に立つ」
この句の中で注目したいのは初句切れの使い方です。
初句には「春風や」の「や」という意味切れを示す、切れ字が使用されています。
(※切れ字・・・意味を切ることで作者の感動ポイントを示す表現技法のこと)
この「や」という切れ字のある作品は同時に「かな」という言葉を使う作品も多くみられます。
例えば、この句であれば「春風や闘志いだきて丘にたつかな」と字余りでも句切れを重視する方法です。この方法ですと、闘志を持って丘を登りきったことに対する軽い感嘆も併せて表現することができます。
しかし今回はそれを避け、丘に立つという表現をしています。
こうすることで困難に立ち向かう闘志が沸き上がっていることを強調し、闘志に焦点が合います。
つまり虚子は登り切った感嘆より、闘志の燃え上がりが強調されていることがわかります。
「春風や闘志いだきて丘に立つ」の鑑賞文

虚子はこの句を詠んだ時、並々ならぬ闘志が沸き上がっていたと考えられます。
本来の虚子の作風ならば、正岡子規から受け継いだ「写実」を重視する詠み方をします。つまり、物事をあるがままに表現し、読み手に受け取ってもらう方式を用います。
しかし、今回は燃えている闘志を重視し、心情を率直に表現しています。
普段は使わない表現からも、親友であった碧梧桐への対抗心が強く感じられます。
また、登り切った丘の上で闘志を抱いている表現から、これから始まる闘いへの決意表明が感じられます。
知っておきたい!春風に関する有名俳句【5句】

春風はどこか軽やかな雰囲気を感じる季語です。
俳人たちはこの風にどのような思いを託して詠んだのか、見ていきましょう。

ここでは、「春風」に関する有名俳句を5句紹介していきます。
【No.1】与謝蕪村
「春風や 堤長うして 家遠し」
季語:春風(春)
意味:春風が吹いているなぁ。堤が長くて家が遠い。

この句は作者の俳句と絵の集大成である『春風馬堤曲』に収録されているもので、大坂に奉公に出た娘が里帰りに長柄の堤防を故郷の家路へと急ぐ道程と情景を描いています。家に早く帰りたいと逸る気持ちが「堤長うして」という表現から見て取れます。
【No.2】小林一茶
「春の風 草深くても 古郷なり」
季語:春の風(春)
意味:春の風が吹いている。どんなに草深くなったとしても、ここが私の故郷なのだ。

久しぶりに故郷へ帰った時の一句です。江戸と違って草深い土地ですがらそれでもこここそが故郷なのだという強い思いが「なり」という表現から伝わってきます。春の風が吹いているので、新しく生えてきた草木が茂っていることがわかる一句です。
【No.3】臼田亞浪
「夕暮の 水がとろりと 春の風」
季語:春の風(春)
意味:夕暮れの水がとろりとして見える春の風だ。

「水がとろり」という面白い表現を使っています。これは春の風に吹かれて波が立った水面が、夕暮れのぼんやりとした光を受けて「とろりと」して見えたのでしょう。一瞬を切り取った写真のような一句です。
【No.4】高浜虚子
「闘志尚 存して春の 風を見る」
季語:春の風(春)
意味:闘志はなお今も燃えていて、あの時と同じ春の風を見ている。

この句は「春風や闘志いだきて丘に立つ」のかなり後に読まれた俳句です。「春風や」を詠んだ時と同じように、正岡子規から続く「ホトトギス」派の俳句を守ろうとする闘志がまだ心の中にあって、あの時と同じように春の風が吹くのを見ています。わざと単語を被せていることから関連性がよくわかる表現です。
【No.5】高浜年尾
「写真機を 据え春風の 渡月橋」
季語:春風(春)
意味:写真機を据えて写真を撮ろう。春風の吹く渡月橋を。

「渡月橋」は京都の嵐山にかかる美しい橋で、観光名所として知られています。春風の吹く頃の風景を詠んでいるので、渡月橋や川以外にも桜が咲いていたことでしょう。わざわざ写真機を据えていることから、単に風景を撮るのではなく、集合写真を撮ろうとしていることがわかる一句です。
作者「高浜虚子」の生涯を簡単に紹介!

(高浜虚子 出典:Wikipedia)
高浜虚子(1874~1959年)、本名は高浜清(きよし)。愛媛県出身で、明治・大正・昭和にかけて活躍しました。
ペンネームの由来は本名の「きよし」からきています。
17歳で正岡子規の弟子になり虚子と名乗りますが、21歳の時に子規の後継者としての立場を拒否します。
これは子規の後継者になるという責任の重さと、少しではあるものの作風が違うことから拒んだとされています。
24歳で俳句文芸誌「ホトトギス」の発行人となりますが、俳句ではなく小説を執筆しました。
39歳の時に俳壇へ復帰し、「ホトトギス」を中心に活動し、作風でもある「客観写生」と「花鳥諷詠」を提唱しました。
正岡子規が創刊に関わった俳句雑誌「ホトトギス」の主宰として長く日本の俳壇を牽引し、昭和29年(1954年)には文化勲章を受章しました。

そして昭和34年(1959年)、享年85歳で生涯を閉じました。
高浜虚子のそのほかの俳句
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(虚子の句碑 出典:Wikipedia)






