【雪残る頂ひとつ国境】俳句の季語や意味・読み方・表現技法・作者など徹底解説!!

 

四季折々の美しい光景や繊細な心の動きを、五・七・五の十七音につめこむ「俳句」。

 

小学校、中学校、高校の国語の教科書でも取り上げられ、なじみのある句も多くあることでしょう。

 

名句と呼ばれる優れた美しい句はたくさんありますが、今回はそんな名句の中から【雪残る頂ひとつ国境という正岡子規の句を紹介していきます。

 

 

本記事では、『雪残る頂ひとつ国境』の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説していきます。

 

俳句仙人

ぜひ参考にしてみてください。

 

「雪残る頂ひとつ国境」の作者や季語・意味・詠まれた背景

 

『 雪残る 頂ひとつ 国境 』

(読み方:ゆきのこる いただきひとつ くにざかい)

 

この句の作者は「正岡子規(まさおかしき)」です。

 

正岡子規は、和歌や俳諧などの国文学の研究もよくし、近代の短歌や俳句の礎を築き上げた明治時代の文学史に燦然と輝く星のような文学者です。

 

俳句だけではなく、短歌、小説、随筆など多彩な創作活動をしていました。

 

 

季語

こちらの句の季語は「雪残る」です。

 

「雪残る」は冬の季語と間違えやすいですが、春の季語に分類されます。

 

音読みにして「残雪」(ざんせつ)とも言います。「雪残る」「残雪」とは、春になったのに消えないで残っている雪のことです。

 

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単に「雪」であれば冬の季語なのですが、「残る」という言葉がつくと「春なのにまだ残っている」という意味が加わって春の季語になるのです。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「国境(くにざかい)の山の一つの頂きにのみ、雪が残っているよ。」

 

という意味になります。

 

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平野の雪は解け、高い頂に雪が残るのみとなった、早春の句になります。

 

この句が生まれた背景

こちらの句は、明治32年(1899年)に詠まれた句です。

 

正岡子規は、若いころから結核菌に冒されており、晩年の数年間を子規はほぼ病床で過ごしました。

 

そして、この句が詠まれたのは亡くなる二年ほど前のことです。

 

一見するとこの句は、目の前にある景色を言葉で写し取ったかのような趣のある句ですが、実際は頂に雪を残した山を現実に目にして詠まれた句ではありません。

 

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病床にあって、早春の外の世界に想いを馳せて詠まれた句なのです。

 

「雪残る頂ひとつ国境」の表現技法

 

こちらの句で用いられている表現技法は・・・

 

  • 倒置法
  • 「国境」の体言止め

 

になります。

 

倒置法

倒置法とは、普通の言葉の順とをさかさまにして、印象を強めたり、余韻を残すような効果を上げる表現技法です。

 

この句は、言葉の並びそのままに意味をとると「雪が残る山の頂が一つあることだよ、国境に。」となります。

 

一方、普通の言葉の並びでは、「国境に、雪が残る山の頂きが一つあることだよ。」です。

 

言葉の並びを変えることで余韻を残し、読み手にその情景を伝えやすく工夫されています。

 

「国境」の体言止め

体言止めとは、文の終わりを体言(つまり名詞)にすることで、意味を強めたり、余韻を残したりする効果があります。

 

この句では「国境」部分がそれにあたります。

 

最後に「国境」という名詞で終わることで、読み手に「国境」という言葉を印象付けます。

 

国境を超えて旅をしていくのでしょうか?それとも国境の向こうにある何かに心ひかれているのでしょうか?

 

体言止めの「国境」という言葉によって、視線が遠くに誘われて行くようです。

 

「雪残る頂ひとつ国境」の鑑賞文

 

【雪残る頂ひとつ国境】の句は早春の空のもと、国境にそびえる山、その山頂に残る雪が描かれています。

 

雪が残る山は芽吹きがまだ遠く、暗い色合いであることでしょう。

 

また、黒っぽい山肌に残る白い雪、コントラストが鮮やかです。天候まで触れられていないものの、柔らかな光のあふれる春の青空が想像されます。

 

青い空、暗い山肌、輝く白い雪。色彩イメージが豊かな句です。

 

さらに、こちらの句は目の前の早春の風景をスケッチしたような絵画的ですが、この時子規は国境の山を望める様な状態ではありません。病床にあり、遠くの国境の春を想像して詠まれました。

 

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子規は病に体はむしばまれても、その精神のエネルギーはのびやかに創作活動に向かっていたのです。

 

「雪残る頂ひとつ国境」の補足情報

作者が詠んだ山は不明

作者は病床からこの句を詠んでいますが、具体的にどの山かというのは明言されていません。

 

しかし、作者の出身地である愛媛県松山市の付近には雪が降る国境の山がいくつかあります。

 

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病床で思い浮かべているということは、もしかすると故郷の山々を回想していたのかもしれませんね。

 

愛媛県にある降雪のある山

温暖なイメージのある愛媛県松山市周辺ですが、冬には標高の高い山々で美しい雪景色や樹氷、霧氷を楽しむことができます。

 

愛媛県には降雪のある山は、主に4つあります。

 

【愛媛県にある降雪のある山 4つ】

①石鎚山(いしづちさん)

標高1982mを誇る西日本最高峰の「石鎚山」は、高知県との県境にある山で、冬になると一面の銀世界に姿を変えます。12月から5月下旬頃まで雪が残ることがあり、本格的な雪山登山を体験したい方に最適です。気温は氷点下になることも珍しくなく、しっかりとした防寒対策が求められます。冬の石鎚山は、雪と氷が織りなす絶景であり、その雄大な姿は多くの人々を魅了しています。

②瓶ヶ森(かめがもり

石鎚山系の瓶ヶ森(標高1897m)も、冬には美しい雪景色が広がる人気の山です。瓶ヶ森では、枯れ木が樹氷となって立ち並ぶ「白骨林」と呼ばれる幻想的な風景が見られます。

③伊予富士(いよふじ

伊予富士(標高1756m)は、その名の通り美しい山容を誇り、山頂からは石鎚山へと続く四国山地の雄大な雪景色を一望できます。

④大川山(だいせんざん

香川県との国境にある「大川山」も雪が降ることで有名です。大川山は標高1042.8mで、香川県で2番目に高い山です。讃岐山脈の高峰であるため冬期には積雪があり、美しい霧氷が見られることでも知られています。過去の登山記録によると、積雪が10cmから20cm程度になることもあります。

 

これらのうちどの山を作者が連想したのかは詳しく書かれていませんが、松山市から近くにあり、親しみがあっただろう石鎚山やその周辺の山を詠んでいたのでしょう。

 

もう体も動かせないほど病状が悪化する中で思い浮かべる故郷の山々は、どれだけの郷愁を感じさせたのか考えさせられます。

 

作者は明治32年以降、結核の他に脊椎カリエスが悪化し、手術をするものの症状は悪化する一方でした。

 

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痛みに耐えながら句作を続けていく中で、ふと懐かしい山々を詠んでみたくなったのかもしれませんね。

 

作者「正岡子規」の生涯を簡単にご紹介!

Masaoka Shiki.jpg

(正岡子規 出典:Wikipedia)

 

正岡子規は1867年(慶応3年)、愛媛県松山市の生まれ。本名は常規(つねのり)です。

 

じつは子規とは本来はホトトギスという鳥を指す言葉です。ホトトギスは、のどから血を流して鳴く鳥ともいわれます。

 

若いころから結核を患い、喀血を繰り返していた青年・正岡氏は、ホトトギスに我が身をなずらえ、自ら子規という俳号を名乗ったのです。

 

死に至る病と向き合いつつも和歌や俳諧といった古典文学を研究し、革新のための活動に励み、近代日本文学史に名を残しました。

 

死に向き合ってなお正岡子規の作風には、ユーモアや余裕、自らを客観視する冷静な視点がありました。

 

明治35年(1902年)享年34歳にて、惜しまれつつこの世を去りました。

 

正岡子規のそのほかの俳句

子規が晩年の1900年に描いた自画像 出典:Wikipedia