五・七・五の十七音で四季の美しさや心情を詠みあげる「俳句」。
日本のみならず、世界でもその価値が認められ、高い評価を得るに至っています。
名句と呼ばれる優れた句を知っていることは、単に教養としての知識というにとどまらず、人生を豊かにする心の栄養となってくれることでしょう。
今回はそんな数ある俳句の中でも有名な「秋空を二つに断てり椎大樹」という高浜虚子の句をご紹介します。
【秋の空:10月の季語】秋空を二つに断てり椎大樹/真っ青に澄み切った秋の空を、椎の大木は、その空を断ってしまうかのような勢いでそびえている(高浜虚子) pic.twitter.com/r9K1p8P23G
— うちゆう (@nousagiruns) October 29, 2013
本記事では「秋空を二つに断てり椎大樹」の季語や意味・表現技法・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「秋空を二つに断てり椎大樹」の作者や季語・意味・詠まれた背景
秋空を 二つに断てり 椎大樹
(読み方:あきぞらを ふたつにたてり しいたいじゅ)
こちらの句の作者は「高浜虚子(たかはまきょし)」です。
高浜虚子は女性のような名前ですが、じつは男性です。明治から昭和にかけて活躍した俳人の一人です。
季語
こちらの句の季語は「秋空」で、季節は秋になります。
植物の「椎(シイ)」も季語に見えますが、「椎」単体だけでは季語になりません。
「椎」はブナ科の樹木で日本では本州から九州、沖縄にかけて広く分布する木です。
そして椎の木も含めて、ブナの仲間の木が実らせる実のことをどんぐりと言います。この「どんぐり」や「椎の実」という言葉であれば秋の季語になります。
また、椎の木は夏に花を咲かせるため、「椎の花」という言葉の場合は夏の季語になります。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「秋の空を二つに断ち割っているようだよ、椎の大木が。」
という意味になります。
「断てり」というのは、切断する・切り離す・断ち割るという意味です。
つまり、この句は大きな椎の木が空を二つに切り分けるかのようにそびえたっている様を詠んでいます。
スケールの大きな、ダイナミックな一句です。
「秋空を二つに断てり椎大樹」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 「二つに断てり」での二句切れ
- 倒置法
- 擬人法
- 「椎大樹」の体言止め
になります。
「二つに断てり」での二句切れ
句切れとは、一句の中で意味やリズムの切れ目となるところです。俳句では特に、「や」「かな」「けり」などの切れ字と呼ばれる感動や詠嘆を表す言葉で句切れることが多くあります。
この句の場合、切れ字は用いられていませんが、「断てり」という言葉が「断ち割っている」と言い切りの形になっています。
(※つまり、普通の文章でいえば句点「。」がつくところです)
「二つに断てり」はこの一句の二句目にあたり、二句のところで切れるので、二句切れと言います。
ここで一度言い切ることで、「断ち割っている」という部分の印象を強めています。
倒置法
倒置法とは、普通の言い方の言葉の順序を入れ換える手法です、こうすることで、感動していることや感興を催していることを効果的に表すことができます。
この句は、普通の言葉の並びで言えば、「椎(の)大樹(が)秋空を二つに断てり」(椎の大木が秋空を二つに断ち割っている)となります。
しかし、言葉の順序を入れ換え「秋空を二つに断てり椎大樹」(秋の空を二つに断ち割っているようだよ、椎の大木が。)とすることで、大空をも二つに分かつほどの椎の木の大きさやダイナミズムさを強く読者に訴えることができます。
擬人法
擬人法とは、人ではないものを人に見立てて表現する技法のことです。
椎の大樹が「断てり」(断ち割っている)という動作を実際に行っているわけではなく、そびえ立つ木の様子を「断てり」(断ち割っている)と、まるで意志をもってその動作を行っているかのように描いています。
こういった技法を用いることで、句に力強さを感じさせます。
「椎大樹」の体言止め
体言止めとは、体言、名詞で文章を終えること。余韻を持たせる働きがあります。
こちらの句は「椎大樹」と名詞で終わるため、体言止めの句になります。
余計な言葉を使わずに、椎の木の大きさをストレートに伝えています。
「秋空を二つに断てり椎大樹」の鑑賞文
【秋空を二つに断てり椎大樹】の句は、秋空を二つに分かつがごとくそびえ立つ椎の木の雄大さをまっすぐに詠みこんだ句です。
この椎の木の木立(こだち)ではなく、一本で堂々と断つ大木でしょう。
(※木立・・・群がり生えている木のこと)
椎の木は、山野に広く自生する木でもあり、日本人には馴染みのある木です。
常緑樹で照りのある葉をおびただしく繁らせ、大木ともなると木肌もゴツゴツとして凸凹もでき、幹も捻れたりして迫力のある様子になります。
秋の澄んで広がる空に天高く屹立する椎の木。
広々としたスケールの大きさ、椎の木の生命力や力強さが生き生きと伝わってくる一句です。
作者「高浜虚子」の生涯を簡単にご紹介!
(高浜虚子 出典:Wikipedia)
高浜虚子は明治7年(1874年)、現在の愛媛県松山市に生まれました。本名は高浜清(たかはまきよし)。虚子は、本名清からくる雅号です。
少年高浜清は国の仕組み、生活の在り方、文化に至るまで、大きく変革していった明治初期に多感な時期を過ごして成長しました。
同郷にあの有名な「正岡子規」がいます。正岡子規は江戸以前から続いていた和歌や俳諧といった短型詩を、短歌や俳句として大成した偉人です。高浜虚子は正岡子規に師事し、文学の道を志すこととなります。
また、同じく正岡子規の弟子に河東碧梧桐がいます。若い頃は師である正岡子規のもと、志を一つにしていた高浜虚子と河東碧梧桐ですが、のちに方向性の違いからそれぞれ違う俳句の在り方を求めるようになりました。
新傾向の俳句を模索した河東碧梧桐に対し、高浜虚子は伝統保守な俳句を詠み続けました。
俳句雑誌「ホトトギス」の編集にも携わり、「ホトトギス」から何人もの俳句の名人を輩出することとなりました。
昭和34年(1959年)、明治の終わりから半世紀を暮らした神奈川県鎌倉市で85歳にて病没しました。
高浜虚子のそのほかの俳句
(虚子の句碑 出典:Wikipedia)