日本で受け継がれてきた詩と言われると何を思い浮かべるでしょうか?
日本特有の詩の形式は、「俳句」「川柳」「短歌」「和歌」「狂歌」など様々存在します。
どれも「歌」「句」と呼ばれ、教科書で見たことのあるものもあると思います。しかし、この5つのジャンルは何がどのように異なっているのでしょうか?
散歩中に撮った短歌か俳句か川柳かなにかわからないけどそんなやぁつ pic.twitter.com/r6nf7LwfI2
— 北大路京介 (@princekyo) February 18, 2018
そこで今回は、俳句・川柳・短歌・和歌・狂歌の特徴や時代について違いを解説していきます。
ぜひ参考にしてみてください。
目次
俳句・川柳・短歌・和歌・狂歌の違い
生まれた時代
現在でも詠み続けられていますが、それぞれの歌が生まれ、主に詠まれた時代が異なります。
順番としては、「古い|和歌(短歌含む)・短歌・狂歌・俳句・川柳|新しい」になります。
生まれた時代とその流れ
最初である和歌は非常に古く、伝説では素戔嗚尊(スサノオノミコト)が詠んだとされる歌があります。
和歌の中から生まれた短歌は奈良時代頃からみられ、形式もこの頃に整えられています。ただし近年では短歌という言葉は「近代短歌」、つまり明治以降の短歌を指すことも多いです。
狂歌は平安時代からあるものの江戸中期に最も詠まれるようになり、その後衰退します。そして俳句の原形とされるものは室町時代にあり、形式として完成したのは江戸前期になります。
最後である川柳の原形は俳句と同じですが、形式は江戸中期頃にでき、老若男女問わず詠まれるようになりました。
文字数
例外がありますが、5つの歌は文字数で分けることができます。
✔ 和歌・短歌・狂歌・・・五・七・五・七・七
✔ 俳句・川柳・・・五・七・五
これは歌の成り立ちに関係があります。
和歌の中には31文字以上の長いものもありましたが、少しずつ削られ七・七の下の句が削られた俳句や川柳が出現しました。
内容の違い
歌を内容で分類すると、それぞれの特徴が見えやすくなります。
それぞれの特徴
- 俳句:季節や技法を用い、景色の裏に思いを込め余韻をつくる
- 川柳:特殊な技法を用いず、世間や人情を軽妙に面白く詠む
- (近代)短歌:特別な技巧を使わず、主観的な目線で詠む
- 和歌:修辞技巧を用いて作者の気持ちを伝える手段・貴族のたしなみとして詠む(※近代以前の短歌を和歌に含みます)
- 狂歌:社会風刺や皮肉を込めて詠む
それぞれ内容や詠む目的が異なるため、歌のジャンルでおおよその内容をつかむことができます。
俳句とは?歴史や特徴を詳しくご紹介!
歴史
原形である連歌は、室町時代頃から始まりました。
この頃は短歌の上の句と下の句を別人が交互に百句詠み続ける形式(五七五、七七、五七五、七七…と百句続く)でルールも複雑なため、上流階級の教養とされていました。
江戸時代頃に連歌の最初の五七五(発句)だけが詠まれるようになり、ルールが簡略化したことで俳句は庶民も詠めるものとなりました。松尾芭蕉は俳句を確立させ浸透させる功績を残しています。
明治期以降になると、ルールが細分化され、形式を守り写生する(物事をありのまま詠むこと)「ホトトギス派」、ホトトギス派に叙情を加えた「馬酔木」、季題や五七五調にこだわらない「新傾向俳句」、形式から抜け出した「自由律俳句」など様々な形が生まれました。
現代では十七音で詠まれる世界最短の定型詩として、国や年齢を問わず親しまれています。
特徴
俳句の原則は五七五調で詠まれ、「季語」と呼ばれる季節を示す言葉が入っています。
十七音を活かすために表現技法が確立されており、文章の切れを示す「切れ字」や文章を名詞で終える「体言止め」、余分な言葉の省略などがあります。
そのため、俳句は詠まれた背景を想像する必要があり、場合によってはどのような状況で詠まれたかが追記されていることもあります。
ただし、形をあえて破ろうとする自由律俳句も俳句の一つであり、形式にこだわらない作風も存在します。
有名俳句の一例
有名な俳句としては、松尾芭蕉の以下の句が挙げられます。
『 閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声 』
立石寺という静かな山寺で詠まれたこの句は、その静けさと蝉の声を対比してわび・さびを表現しています。
一方、現代の俳句の例では坪内稔典の以下の句が挙げられます。
『 たんぽぽの ぽぽのあたりが 火事ですよ 』
口語体で書かれており、親しみやすい文体でわかりやすく詠みつつ、季語を詠み込む風潮がわかる一句です。
川柳とは?歴史や特徴を詳しくご紹介!
歴史
川柳の始まりは俳句と同じですが、成り立ちが異なります。
どちらも連歌から始まりますが、川柳は前句付けと呼ばれる手法から分離しています。
前句付けとは連歌の形式で、七七のお題に対し上の句を考えることです。そのため、俳句とは異なる特徴・趣旨を持ちます。
明治期はプロレタリア思想の表現や詩としての性格が強まりますが、戦前になると川柳は縮小傾向になりました。
現代の川柳は、サラリーマン川柳など一般の詠み手が多く存在し、娯楽の側面が再び脚光を浴びています。
特徴
川柳は主に五七五調の話し言葉で詠まれ、社会風刺や皮肉を踏まえた内容です。
連歌から分離しましたが、前句付けを由来としていたため季語や句切れなどの表現技法が受け継がれませんでした。
破調(五七五の中で文字が多くなる、句切れをまたいだ文章など)も多く、川柳は自由な言葉遊びの側面を持ちます。
内容は幅広く、生活の中で生まれた洒落や性的なものなどもあり、庶民の娯楽として扱われていました。そのため俳句とは異なり一般公募作品から生まれた、大勢から共感されやすい無名の句が多く存在します。
有名川柳の一例
川柳の有名な句としては、麻生路郎の以下の句が挙げられます。
『 俺に似よ 俺に似るなと 子をおもい 』
自分に似た子に育って欲しいが、やはり似ないで欲しいという複雑な父親の心を詠んでいる一句です。また、現在では「サラリーマン川柳」が有名です。毎年公募が行われて発表されているので、気になった人は見てみるとよいでしょう。
短歌とは?歴史や特徴を詳しくご紹介!
歴史
短歌は奈良時代頃には既に存在し、長歌(五七を3回以上繰り替えす歌)に対して最後に添える歌として詠まれました。
時代と共に長歌が詠まれなくなると短歌が台頭しました。歴史が長いため「短歌」の言葉が指すものが時代によって異なります。
平安時代からは漢詩に対しての和歌を「短歌」と呼び、明治時代以降は西洋詩に対して日本的な詩「短歌」を指しています。
そのため、平安時代以降の短歌と明治時代以降の短歌は約束事や趣向が異なります。
特徴
(※明治時代以前の「短歌」=和歌のため、ここでは近代短歌について説明します)
短歌は五・七・五・七・七で詠まれ、自由な作風が特徴です。
大きく分けて二種類の表現方法があります。
✔ アララギ派
正岡子規が提唱した万葉調(古代短歌の作風)や写生(物事をありのまま詠むこと)を重視して作った短歌です。短歌雑誌「アララギ」に集まった歌人が中心に詠んでいます。内容は生活に密着し、素朴な作風が多いです。表現方法では、枕詞(特定の言葉に係る言葉)などの平安時代から続く技法が使われている句も見られます。
✔ 前衛的な短歌
古代の短歌にあった表現技法や題材を使わず、叙景詩・叙事詩・抒情詩として詠んでいる句です。主観的な表現を重視しているため、作者によって表現内容が多岐になりました。現代の短歌は話し言葉で詠まれ、個人的出来事や主張などの内容が増えています。そのため一般にも広く受け入れられ、ベストセラー短歌集がいくつか出現しています。
有名短歌の一例
近代の短歌として有名なのは、石川啄木の以下の歌が挙げられます。
『 はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る 』
花鳥風月を詠む和歌とは違い、主観で詠まれています。生活の苦しさを汚れた手を見ることで読者に訴えかける力を持った一首です。
和歌とは?歴史や特徴を詳しくご紹介!
歴史
日本で最も歴史が古い歌の一つで、伝説では素戔嗚尊(スサノオノミコト)が和歌を詠んだとされています。
和歌とは、日本語詩を意味し、当初の和歌は詠み方の種類が豊富でした。しかし平安時代頃から和歌は短歌を指すようになりました。そのため、現代において和歌は歌集「万葉集」や明治時代以前の短歌を示しています。
平安時代以降の和歌は貴族の教養として詠まれ、思いを伝える手段として利用されていました。また歌会で披露され、歌集をつくるなど頻繁に詠まれていました。
特徴
✔ 初期ごろ
和歌は五七のリズムを中心として詠まれています。五七を3回以上繰り返し反歌(最後に添える短歌)がある長歌、五七五七七で詠まれる短歌、五七七五七七で詠まれる旋頭歌、五七五七七七で詠まれる仏足石歌体などが挙げられます。その場に合わせた歌の形式や内容で詠まれたため、多くのリズムが存在したとされています。また一般の人々が生活に根差して詠んだ歌もあります。
✔ 平安時代以降
五七五七七の短歌が和歌として確立します。作者は貴族や上流階級が多く、内容はテーマに沿って創作されたもの、思いを表現し贈るもの、情景を詠んだもの等が見られます。技法が多くあり、枕詞、掛詞、本歌取りなど独特の表現があります。
(※枕詞:特定の言葉を修飾する言葉/掛詞:同音語異義語/本歌取り:作品の元になる歌を取り入れること)
決まり事が多く複雑であるため、短歌が詠めることは教養があることの証でした。
有名和歌の一例
『古今和歌集』に収録されている有名な和歌として、在原業平の以下の歌があります。
『 世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし 』
散っていく桜を惜しんでいっそ桜がなければもっと春に感じる心は穏やかだろうに、と嘆いている歌です。
また、百人一首に収録されている伊勢大輔の以下の歌も有名です。
『 いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に にほひぬるかな 』
この歌は桜を献上する際に即興で詠んだとされる技巧を凝らした歌です。奈良の吉野が有名な「八重桜」と、宮中を表す「九重」を並べて今栄華を誇る宮中で咲く桜も称える当意即妙の一首です。
狂歌とは?歴史や特徴を詳しくご紹介!
歴史
古代からあったとされ、平安時代には狂歌という言葉が存在したと言われています。
狂歌がジャンルとして発達したのは江戸中期頃です。平和な風潮から娯楽性のあるものが求められ、狂歌は和歌を知る知識層から町人まで幅広く浸透しました。そのため狂歌会などの集まりが開かれるようになりました。
しかし、幕末になると人気が衰え始め、明治時代以降はほとんど見られなくなりました。
特徴
狂歌は五七五七七で詠まれた、滑稽さやパロディを中心とする歌です。
狂歌は和歌が伝統的かつ教養として存在することを避けたことで生まれたもので、滑稽な和歌すべてが狂歌にはなりません。特筆する決まり事はありませんが、和歌の素地がないと内容がわからないものも多く存在します。
内容は和歌集「古今和歌集」に収録されている和歌をパロディ化しているものや、時代を風刺したもの、洒落を表現したものがあります。
狂歌師は洒落のきいたペンネームを持ち、朱楽菅江(あけらかんこう)という狂歌師は「あっけらかん」をもじっています。
有名狂歌の一例
狂歌の例として、歴史の教科書にも載っている有名な歌を2つ挙げてみましょう。
『 白河の 清きに魚の すみかねて もとの濁りの 田沼こひしき 』
「白河」とは厳しいことで有名な天保の改革を行った松平定信の領地、「田沼」とは金銭で多少の融通を効かせていたとされる田沼意次のことを指します。今の政治が厳しすぎることを、綺麗すぎる川では生きられない魚に例えて面白おかしく風刺している歌です。
もう1つは、幕末に詠まれた歌です。
『 泰平の 眠りを覚ます 上喜撰(じょうきせん) たつた四杯で 夜も眠れず 』
この句は4艦の蒸気船で来航したペリーの様子を詠んだ歌です。「上喜撰」とは高級なお茶のことで、4杯も飲めば夜も眠れないと詠んでいます。読み方でも分かるように「上喜撰」と「蒸気船」を掛けているよくできた歌です。
さいごに
今回は、俳句・川柳・短歌・和歌・狂歌の違いについて解説しました。
5つの歌は時代背景や内容、技法が異なることで確立されていきました。
現代でも短歌や俳句、川柳などなじみ深い歌もあります。実際に詠まれている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そして時代背景や詠まれた理由は異なりますが、現代でも通用する名句、名歌が多数存在します。
気になられた方は作家や作品を解説と共に読んでみてください。