俳句は十七音で作者の置かれた状況を様々な角度で表現しています。
その中でも「やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ」という句は作者が置かれた戦争の状況を的確に表現した句として知られています。
やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ
富澤赤黄男
戦場の夜は、闇である。今も昔もそれは変わらないだろう。灯りは標的となり、燃料も有限である。見えない敵から、見えない死がやってくる。古来の夜が蘇る。#一句鑑賞#俳句— 赤野四羽(句集『夜蟻』刊行!) (@AkanoYotsuba) November 12, 2019
ランプと闇が戦争の何を表現しているのでしょうか?
本記事では「やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきます。
目次
「やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ」の季語や意味・詠まれた背景
やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ
(読み方:やがてらんぷにせんじょうのふかいやみがくるぞ)
この句の作者は「富澤赤黄男(とみざわ かきお)」です。
赤黄男は、昭和期に活躍し前衛的な表現を得意とする俳人です。
季語
この句には季語はありません。
今回の句は戦争俳句と呼ばれる句ですので、季語は存在しません。戦争俳句は主題が戦争の俳句で、季節は関係なく読まれるものです。
赤黄男は季語という固定化した題材に頼らず、俳句を近代化しようと模索した一人でした。そのため、季語を入れるという概念から外れています。
意味
この句を現代語訳すると・・・
「ランプに小さな明かりが今は灯してあるが、やがてこの灯は消され、ここは戦場になる」
という意味になります。
この句が詠まれた背景
この句は1938年頃、赤黄男が戦地で詠んだ作品で句集「天の狼」に収録されています。
この頃の赤黄男は戦争に召集され、中国大陸へ将校として赴いていました。日中戦争は既に始まっており、戦況が激しくなっている時期でもあります。
この句は「ランプ」と題された連作の一つで、赤黄男が戦地で拾ったランプを手に塹壕で一晩を過ごしている時の様子を詠んでいます。
この連作は軍事郵便で日本へ郵送されていることから、過去を思い出して詠んでいるのではなく、戦地の生の声になります。緊張感のある状況でリアリティのある俳句です。
「やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ」の表現技法
戦争俳句
戦争俳句とは、戦争に関する俳句のことを言います。
今回の句は世界大戦に関連する日中戦争での出来事を詠んでいます。戦争俳句は戦争を主題とするため、主題がぼやけてしまわないよう季語は用いません。
破調
破調とは、定型俳句の「五・七・五」の音節をこえる表現方法です。
破調は読み手に不安感・危うい雰囲気を与えるため、戦場のどうなるかわからない不安感を表現されています。
「やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ」の鑑賞
【やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ】は、戦地の不安定な様子が伝わってくる緊張感のある句です。
この句は連作の一つであるため、赤黄男は銃声や靴音を聞いています。つまり、戦場の夜に真っ暗闇で音も静かな中で、赤黄男は小さなランプを手にしていることになります。
明るい光では戦場で目標にされるため、小さな明かりしか灯すことができません。
もしその明かりも消す事態となれば、それは戦闘状態の時です。いつそのような事態になるかわからない様子を破調で表現しています。
そして「戦場の闇がくる」という表現は戦闘状況や敵だけでなく、自分の運命も重ねています。
小さな灯(ともしび)があるということは、自分の命のともしびもあるということです。しかし、戦闘に入って灯が消えれば、自分の灯も消えるかもしれません。
単なる明度の暗さではなく、戦いが目前である様子や自分の運命の暗さも示しています。
明かり一つで戦争がどのようなものであるか、読み手は想像を巡らせることができます。
作者「富澤赤黄男」の生涯を簡単にご紹介!
神田古本まつり最終日。盛林堂ブースで3冊いただきました。富澤赤黄男の名は間章がエッセイかライナーノーツに引用していたので高校生の頃から知っていますが書物は初めてです。書棚の本の並びが気になりますね。全部で2500円でした。 pic.twitter.com/Z7xB6Otifg
— いそがいはじめ (@ISOGAI_1) November 4, 2019
富澤赤黄男(とみざわ かきお)は1902年生まれ1962年没。本名は富澤正三(とみざわ しょうぞう)。愛媛県出身の俳人です。
赤黄男は開業医の長男で、早稲田大学を卒業します。卒業後は国際通運(現在の日本通運)で勤務しますが、父が目を患い医師を廃業し材木業を始めます。
そのため愛媛県へ戻り家業を手伝いながら、国立第二十九銀行(現在の伊予銀行)に務めます。
このころ句作を始め、俳誌「ホトトギス」に投句しますが選ばれることはありませんでした。
1937年には戦争で召集され中国戦地へ赴きますが、マラリアにより帰国し、1941年に再度召集され北海道の北千島へ赴任します。この召集されている間の句を句集「天の狼」として発表しています。また、戦後も俳人として活躍し、数々の俳誌を創刊します。
句の特徴は抽象的で読み手に内容を考えさせるものが多く、オノマトペを使用したり、言葉に象徴的な意味を持たせるなど前衛的な表現方法が挙げられます。
富澤赤黄男のそのほかの作品
- 蝶墜ちて大音響の結氷期
- 鶴昏れて煙のごとき翼ひけり
- 翡翠よ白き墓標のあるところ
- 豹の檻一滴の水天になし
- 靴音がコツリコツリとあるランプ
- 砲音の輪の中にふる木の実なり
- 花粉の日 鳥は乳房をもたざりき
- 窓あけて虻を追ひ出す野のうねり
- 秋暑し豹の斑の日に粘り
- 冬蝶の夢崑崙の雪雫