俳句は、五・七・五の十七音からなり、短い言葉に季節ごとの自然に対する感動や、日常生活の中で得られた感興、人生に対する思いまで、様々なことを詠いあげることができます。
名のある俳人はとくに文学として優れた句を多く残しています。
今回は数ある名句の中から中村草田男の句、「蟾蜍長子家去る由もなし」をご紹介します。
そして今日の収穫。びびびさんとほん吉さんしかまわれなかった。森澄雄関連がけっこう出ていたので欲しい方は今のうち。草田男の『長子』は戦後まもない昭和21年の再刊の初版。タイトルの由来になってる「蟾蜍長子家去る由もなし」の「蟾」の活字が飛び跳ねたようにずれているのはご愛敬かw pic.twitter.com/dhWbTcpuBQ
— hashimotosunao 다리책선생 (@musashinohaoto) May 20, 2018
本記事では、「蟾蜍長子家去る由もなし」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「蟾蜍長子家去る由もなし」の作者や季語・意味
蟾蜍 長子家去る 由もなし
(読み方:ひきがえる ちょうしいえさる よしもなし)
こちらの句の作者は「中村草田男」です。
中村草田男の俳句は時に難解ともいわれます。この句も、分かりやすい句ではありませんが、深い味わいのある句です。
季語
この句の季語は「蟾蜍(ひきがえる)」で、季節は「夏」を表します。
ひきがえるは、大きくて背中にイボのあるカエルです。たけやぶや林に棲み、冬は冬眠します。春には水中で産卵をしますが、活発に活動するのは夏で「夏の季語」となっています。
水に入るのは産卵の時くらいで陸上で暮らすカエルであり、民家の庭先などに住み着くことも多くある生き物です。
一度住み着くとあまり住む場所を変えないという特徴もあります。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「住まいを変えぬひきがえるのように、長子である私が家を去る理由はない。」
という意味になります。
「蟾蜍(ひきがえる)」や「家」が何を象徴しているのか、解釈の分かれる句です。
ひとところにすみ続けるひきがえるの生態から、ひきがえるが長子は家を継ぐものであるという風習の象徴であるともいわれます。
「家」も社会的通年としての家、家長制度のこととも、俳句の世界での自らの宿命のようなものを表しているとも解釈できます。
「蟾蜍長子家去る由もなし」が生まれた背景
この句は、昭和11年(1936年)刊行、中村草田男の第一句集「長子」に収録されています。
この句にちなんで句集が「長子」と名付けられました。作者にとって思い入れのある句であるというわけです。
句集「長子」の中で、作者は・・・
「責任上、私の俳句的立場だけを一應明らかにして置かうならば、私はこゝに於いても亦、「負ふべきもの」を全体から負ひ、「為すべきこと」を全体の中に為さうとする者であると言はざるを得ない。」
と述べています。
俳句の道を歩む決意をした自分の立場を明らかにすると、「負うべきもの」を全体の中において荷い、「為すべきこと」を全体の中で成し遂げとげようという決意をもって、俳句の創作にのぞむのだといったようなことでしょうか。
「負うべきもの」「為すべきこと」について具体的言及はありませんが、俳句の世界でやっていこうとする決意表明ととれます。
また、作者はこの句を自ら解説した「自解」で・・・
「此句全体の暗示しているものは「宿命の中の決意」に近いものである。家族制度とか、新憲法とか、そういう観念や事実と、此想念は勿論関係を持ち得ないとは断言しない。しかし、此想念は、それらが結びつく範囲よりもつと奥深い、人間的紅血の通った私のこころの奥処(おくど)において誕生した。」
(意味:この句の暗示する「宿命の中の決意」は、伝統的な家族制度や国家憲法のあり方といった社会的事実や考え方とも関係があるが、それだけではない。もっと奥の深い、人間としての自分の心の内奥から湧き出す想いから生まれたものである、)
と述べています。
皮相的に、家長制度や、社会の在り方、俳句の世界での己の立ち位置を詠ったものではなく、複層的な意味のこめられた深い句なのです。
「蟾蜍長子家去る由もなし」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 句切れなし
- 暗喩
になります。
句切れ
句切れとは、意味やリズムの切れ目のことです。
句切れは「や」「かな」「けり」などの切れ字や言い切りの表現が含まれる句で、どこになるかが決まります。
この句の場合、初句(五・七・五の最初の五)に、「蟾蜍」の名詞で区切ることができるため、初句切れの句となります。
暗喩
「隠喩(暗喩)」は、「~のような」「~のごとし」といったような比喩言葉を使わずに物事を例える表現技法のことです。
例えば、「北風が冷たい刃になって突き刺さる」という言い方は暗喩です。
(※暗喩に対して、「~のような」「~のごとく」などの言葉を用いたたとえ表現を直喩と言います。例えば、「北風は冷たい刃のようになって、まるで私の体に突き刺さるかのように吹いてくる」という言い方は直喩です)
暗喩の方が言葉の数が少なく、より印象的に表現できるので俳句ではよく用いられる表現技法です。
この句では、どんな暗喩になっているかと言うと・・・
- 「蟾蜍」…その家の長男
- 「長子」…文字通り、長子という意味の他に、責任を負うべき立場の人物など
- 「家」…そのままの意味での家という意味の他に、俳句の世界など
多義的に解釈できる句なので簡単には言い切れないですが、あえてまとめるとこのようになります。
この句では、ほぼすべての言葉が別の何かのたとえとして使われ、非常に暗示的な句になっているといえます。
「蟾蜍長子家去る由もなし」の鑑賞文
【蟾蜍長子家去る由もなし】の句は、己の宿命を引き受ける決意表明の句です。
作者本人の「自解」もありますが、多様な解釈が可能で議論を呼んでいる句です。
ひきがえるは一度住み着くと住まいをあまり変えないので、毎年同じころに姿を現す生き物です。そして、グロテスクな見た目のひきがえるは、長子が家を継ぐという因習の象徴で、家を出るという選択肢のない長子の宿命、孤独や重圧のなかでの決意を詠った句ともいわれます。
しかし、ひきがえるはグロテスクな見た目しか特徴のない生き物ではありません。
あまがえるのようにピョンピョン跳び回ったりしませんが、ゆっくり動くさまは悠然として見え、一種の存在感があります。庭先にひきがえるが住み着くことを縁起がいいとすることもあります。
そう考えると、この句は長子として家のことに責任を持つことを悠然と構えて受けて立とうという気概を読み取ることもできるといえます。
「長子」や「家」もいったい何を暗示しているか、多義的な解釈が可能です。
まず、文字通りの自分の家、中村家の家長としての責任を果たそうという決意とも読み取れます。この句の所収されている句集「長子」にしても、その後の句集にしても、母、妻、子どもといった家族を詠んだ句は数多く、家庭、家族を大切する姿勢は一貫しています。
そして、中村草田男の俳人としての立ち位置を、俳句の世界という「家」における「長子」として位置づけ、俳句の世界で新境地を切り開いてやっていこうという決意表明ともとれるのです。
作者自身、この句に多義的、複層的な解釈が成り立つことを「自解」でも言及しています。
この句の字の並びや、表記を見ても、「蟾蜍(ひきがえる)」という漢字で始まって、漢字表記が多く、重厚でいかめしい雰囲気を与える句です。
作者「中村草田男」の生涯を簡単にご紹介!
中村草田男は本名が中村清一郎です。明治34年(1901年) 清国福建省で生まれました。
中村草田男の髪型見ると何故かこの食品サンプルを思い出してしまうんだよ。 pic.twitter.com/DvJCMkassb
— やっさんブル(川村ゆきえさん結婚おめでとう) (@atataka_yassy) November 29, 2015
父幼児期に帰国、愛媛県の松山と東京をいったりきたりしながら成長しました。ドイツの哲学者ニーチェに傾倒、西洋思想も学んでいましたが、文学の道へと進みました。
日本の俳壇の第一人者、高浜虚子に師事。俳句雑誌「ホトトギス」同人としても活躍しました。さまざまな新興俳句の流れが生まれる中で、草田男自身もホトトギス派の句風を超えるような句を詠みつつも、ホトトギスに身を置きました。
時に守旧派のホトトギスに批判を加えたり、一方で新興俳句の流れに対しても批判的な立場をとったりしました。様々な議論を起こしつつ、俳句を極め、その可能性を模索し続けたのです。
草田男にとって、俳句の追求は人間の追求でもありました。
加藤楸邨や石田波郷らとならんで、中村草田男は、人間探求派の俳人とも言われます。生活に密な句で内面を表現する句を多く詠みました。
没年は昭和58年(1983年)、享年82歳でした。
中村草田男のそのほかの俳句