日本が誇る文芸のひとつである【俳句】。
江戸時代の俳諧・発句もしかり、明治に正岡子規が俳句の革新運動を進めて以降、様々な句が詠まれてきました。その時々の世相を映し、人の心を映し続けてきたのです。
その中でも、名句と言われるものには普遍的な価値があります。
今回はそんな数ある俳句の中でも有名な「芋の露連山影を正しうす」という飯田蛇笏の句を紹介していきます。
今日もありがとうございます🍀
「芋の露 連山影を 正しゅうす」
飯田 蛇笏背景に丹沢山系🌾
「蛇笏」の句が好きです💕おやすみなさい🌙
— マカロン (@teishi_chugu) September 25, 2016
本記事では、「芋の露連山影を正しうす」の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者について徹底解説していきます。
ぜひ参考にしてみてください。
目次
「芋の露連山影を正しうす」の作者や季語・意味・詠まれた背景
芋の露 連山影を 正しうす
(読み方:いものつゆ れんざんかげを ただしうす)
こちらの句の作者は「飯田蛇笏(いいだ だこつ)」です。
飯田蛇笏は山梨県出身で、自然風土に根差した伝統俳句を重んじた俳人の一人です。
季語
こちらの句の季語は、「芋の露」、または「露」とされます。秋の季語です。
俳句で「芋」と言えば、ほとんどがサトイモを指します。サトイモは古来から日本で広く栽培されてきた農作物です。そして露とは、空気中の水分が夜間に水滴となって草葉などにつくものです。
秋にしか出現しないというわけではありませんが、秋になって気温の寒暖差が大きくなると沢山つくようになることから、秋の風情を感じられるものとして秋の季語となります。
「芋の露」とは、サトイモの葉につく露のことです。サトイモの葉は、映画「となりのトトロ」で、トトロが傘の代わりに持っている、長い茎のついた大きくて丸い葉です。緩やかに中央がくぼみ、ここに水滴が集まるようにして、大粒の露がつくことがあります。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「サトイモの大きな葉にたまった朝露に、連なる山々の姿が整然と映っていることよ。」
という意味になります。
「連山」というのは、連なった山々のこと。飯田蛇笏はこの句を詠んだころ、山梨県にある南アルプスの山脈のことです。
この句が生まれた背景
こちらの句は、大正3年(1914年)11月に、俳句雑誌「ホトトギス」の巻頭を飾った句です。
飯田蛇笏は、明治38年(1905年)に初めて俳句が「ホトトギス」に掲載されました。
その時、弱冠20歳の青年で「飯田蛇骨」という俳号でした。
若くして俳句の才能を見出され、高浜虚子の俳句の会に最年少で参加するなど、将来を嘱望されていたのですが、明治41年(1908年)に高浜虚子が俳句から身を引くことを聞き、「ホトトギス」への投句をやめることとなります。
そして、翌年には家庭の事情もあり、故郷の山梨へ帰り、家業の農業をするようになりました。
大正2年(1912年)、高浜虚子が、河東碧梧桐ら新傾向俳句を提唱する俳人たちに反論する形で俳壇に復帰すると、山梨にすんでいた蛇笏も「ホトトギス」への投句を再開。
「芋の露連山影を正しうす」の句は、「ホトトギス」へ復帰したばかりのころの句にして、このあとの蛇笏は次々と名句を発表し、「ホトトギス」を代表する俳人となっていくのでした。
「連山影を正しうす」と蛇笏は詠んでいますが、整然と居住まいをただした連山の姿に、決意新たに俳句に向き合おうとする己の姿を投影していたのかもしれません。
「芋の露連山影を正しうす」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 「芋の露」での省略
- 「連山影を正しうす」の擬人法
- 句切れなし
になります。
「芋の露」での省略
省略とは、文章の中の言葉を省き、読み手に推測させることで余韻を残す表現技法のことです。
俳句は短い音数で内容を表現しなければならないため、よく使われる技法です。
この句の「芋の露」とは、「芋の葉の上においた露」ということですが、作者は大胆にも「芋の露」とまとめあげました。
「正しうす」の擬人法
「正しうす」は、「正しくす」の音便形です。姿勢を正す、居ずまいを正すというくらいの意味で用いられています。
この「正しうす」の主語に当たる部分が「連山」です。
山が本当に姿勢を正しているわけではなく、山が姿勢を正しているかのように見えたということです。つまり、山を人のようにたとえて言っているのです。
このように、人ではないものを人にたとえる言い方を擬人法と言います。
初句切れ
句切れとは、意味やリズムの切れ目のことです。
句切れは「や」「かな」「けり」などの切れ字や言い切りの表現が含まれる句で、どこになるかが決まります。
この句の場合、初句(五・七・五の最初の五)に、「芋の露」の名詞で区切ることができるため、初句切れの句となります。
「芋の露連山影を正しうす」の鑑賞文
【芋の露連山影を正しうす】の句は、遠景と近景を見事に一句にまとめきった句です。
遠くには、ギザギザと尖る南アルプスの山脈。作者の目の前にはサトイモ畑。これはもしかしたら作者自身が丹精している畑なのかもしれません。
丸いサトイモの葉にたまる、丸い水滴に、遠くの山脈が映ります。
芋の葉の上にたまる露というミクロな部分に作者の視線の焦点が当たりますが、そこに映し出されているのは遠くに広がる広大な連山なのです。
尖った南アルプスの山々と、丸い葉と露という形の取り合わせも特徴的ですが、露にうつった山並みを詠むことで、遠いものと近いものが見事に一句にまとまっています。
整然と、くっきりと浮かび上がった連山は、作者の決意を新たに居住まいをただす姿勢の投映とも言えます。
自然の姿を詠みながら、己の内面も潜ませている句になります。
飯田蛇笏の代表作と言われるにふさわしい格調高い句です。露がたまっていることから時間帯は早朝であり、朝焼けに染まる連山の美しさが連想される美しい一句です。
「芋の露連山影を正しうす」の補足情報
「芋の葉の露」との違い
「芋の露」とは「芋の葉にたまった露」という意味ですが、「芋の葉の露」は七夕の行事に属する全く別の意味の季語になります。
中国では「七夕の日に蓮の葉で集めた露を飲む」という風習と、「七夕の日に書を書く」という風習がありました。
これらの伝承がより露を集めやすいサトイモの葉の露となり、また歌や文章の能力が上がることを祈って「芋の葉にたまった露で歌を詠む」に変わっていったと考えられます。
そのため、「芋の露」または「芋の葉の露」と詠むと七夕の行事を表す場合もありますので、気をつけて使用しましょう。
「芋」を使用した和歌や俳句
「芋」は和歌の世界では単体で詠まれることは少なく、万葉集などでも1首しかありません。
それに対して、俳句の世界では「芋あらふ」など庶民の生活に密着した俳句が詠まれています。
そんな中でも、「芋の露」という作者と同じ題材で詠まれた俳句があります。
江戸時代中期の炭太祇が詠んだ下記の俳句です。
「芋の露 野守の鏡 何ならむ」
(訳:芋の葉に露がたまっている。野守が見た鏡とはどのようなものだったのだろうか。)
「野守の鏡」は新古今和歌集にある詠み人知らずの下記の和歌から来ています。
「はし鷹の 野守の鏡 えてしかな 思ひ思はず よそながら見ん」
(訳:人の心を映すというはし鷹の野守の鏡がほしい。あの人が思ってくれているかいないか、遠くから映して見たいのに。)
「野守の鏡」は人の心を映す水面や泉とされており、太祇の句は芋の葉にたまった露の美しさにその鏡を見出したのでしょう。
作者「飯田蛇笏」の生涯を簡単にご紹介!
(飯田蛇笏 出典:Wikipedia)
飯田蛇笏(いいだだこつ)は明治18年(1885年)山梨県に生まれました。本名は飯田武治(いいだ たけはる)といいます。
明治期に近代の俳句の基礎を築いた正岡子規の高弟である高浜虚子に師事し、虚子が主宰する俳句雑誌「ホトトギス」にも句を寄せました。
大正時代に入って、蛇笏は「ホトトギス」を代表する俳人となります。伝統俳句を重んじ、守旧派と言われた師、高浜虚子とともにホトトギス派の中心にありました。
大正7年(1917年)から俳句雑誌『雲母』(きらら)の主宰となりました。この俳誌は家督を継いだ四男、飯田龍太が引き継ぎ、平成初頭まで刊行されました。
二度の大戦をはさんで、戦後まで俳句を詠み続け、昭和37年(1962年)に77歳で亡くなりました。
飯田蛇笏のそのほかの俳句
(飯田蛇笏句碑 出典:Wikipedia)
- 死病得て爪うつくしき火桶かな
- たましひのたとへば秋のほたるかな
- なきがらや秋風かよふ鼻の穴
- をりとりてはらりとおもきすすきかな
- くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
- 誰彼もあらず一天自尊の秋