【乳母車夏の怒涛によこむきに】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

古くから日本人に親しまれてきた俳句。

 

現代でも口語体で詠まれた作品や、有季定型にとらわれず自由なスタイルで表現する自由律俳句など、現代を生きる人々にも受け入れられています。

 

今回は、大正から昭和にかけて活躍した女流俳人・橋本多佳子の作である「乳母車夏の怒涛によこむきに」という句をご紹介します。

 

 

本記事では、「乳母車夏の怒涛によこむきに」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。

 

「乳母車夏の怒涛によこむきに」の作者や季語・意味

 

乳母車 夏の怒涛に よこむきに

(読み方:うばぐるま なつのどとうに よこむきに)

 

この句の作者は「橋本多佳子(はしもとたかこ)」です。

 

この句は、橋本多佳子の第三句集『紅絲』(1951年)に収録されていることから、多佳子が50歳前後のときに詠まれた作品であると言われています。

 

季語

こちらの句の季語は、「夏」です。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「高波が押し寄せる夏の海のほとりに、乳母車が放っておかれている。」

 

といった意味になります。

 

激しい高波が打ち寄せる浜辺に乳母車を押す母親の姿を見て、いまにも乳母車が高波にさらわれそうな不安感を表現した一句です。

 

この句は、実は多佳子本人による経験に基づくものであり、小田原の御幸が浜を訪れた際に作られた作品です。

 

娘と話に夢中になっていて、気がつくと孫を乗せた乳母車が浜にぽつんと置き去りになっていた…「はっ」と気づいたときの心境が綴られています。

 

「乳母車夏の怒涛によこむきに」の表現技法

濁音の多用

「乳母車(うばぐるま)」「怒涛(どとう)」といった濁音を用いることで、句全体に力強さが感じられます。

 

単に「高波」といわずに「怒涛」と表現したところにテクニックが感じられます。

 

「よこむきに」という表現

浜に乳母車が置き去りになっている様子を「よこむきに」と淡々と写実することで、「海の怒涛」と「乳母車のよこむき」を対比させています。

 

「動」と「静」という相対する二つの事象を描くことで、句に奥行きを持たせています。

 

句切れ

句切れとは、意味やリズムの切れ目のことです。

 

句切れは「や」「かな」「けり」などの切れ字や言い切りの表現が含まれる句で、どこになるかが決まります。

 

この句の場合、初句(五・七・五の最初の五)に、「乳母車」の名詞で区切ることができるため、初句切れの句となります。

 

「乳母車夏の怒涛によこむきに」の鑑賞

 

この歌からは、乳母車の描写はあくまでも写実であり、その無防備な乳母車を怒涛のように打ち寄せる波がさらっていってしまうかもしれないという危機感を醸し出しています。

 

海辺に打ち寄せる波を「高波」ではなく、「怒濤」と表現しているところに、波の力強さ、そして同時に恐怖感を読み手に効果的に与えています。

 

作者は、浜辺に押し寄せる波に対し、横向き放置されている乳母車が見るからに頼りなく、今にも波にさらわれてしまいそうな不安感を覚えたのでしょう。

 

また、「怒涛のような高波」と「ぽつんと置き去りにされている乳母車」。この相対する二つの事柄が見事に対比されている一句だといえます。

 

そして、句で詠まれている乳母車の中は空であると考えるのが、自然です。乳母車に子を乗せて海を見に来た母親は、浜辺で子を抱き、そして作者である多佳子と話し込み、気づいたら乳母車は波打ち際にぽつんと取り残されていたのでしょう。

 

作者「橋本多佳子」の生涯を簡単にご紹介!

 

橋本多佳子(1899年~1963年)は東京都出身の俳人で、本名を多満(たま)といいます。

 

祖父は箏の山田流家元の山谷清風、父は官僚という由緒正しい家柄に生まれました。

 

多佳子は、菊坂女子美術学校(のちの女子美術大学)で日本画科を専攻しますが、病弱のため中退を余儀なくされます。

 

1917年に建築家であり実業家であった橋本豊次郎と結婚し、福岡県小倉市(現北九州市小倉北区中井浜)に「櫓山荘」を建築し、移り住みます。「櫓山荘」へ高浜虚子や杉田久女が来遊したことを期に、句作をはじめたといわれています。

 

1929年、『ホトトギス』400号記念俳句大会で山口誓子と出会い、1935年より山口誓子に師事することとなります。そして同年4月には水原秋桜子が主宰する『馬酔木』の同人となります。

 

1937年、38歳のときに夫豊次郎と死別し、以降は句作に専念。1941年には第一句集『海燕』を発表します。1950年に『七曜』を創刊・主宰します。

 

女性の哀しみや不安などを女性目線で表現するスタイルが特徴ですが、「乳母車夏の怒濤によこむきに」といったように力強い作品も多く残されています。

 

同時期に活躍した中村汀女、星野立子、三橋鷹女とともに「四T」と呼ばれ、称されました。

 

1963年、病のため享年64歳でこの世を去りました。

 

 

橋本多佳子のそのほかの俳句