【飛ぶものは雲ばかりなり石の上】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞など徹底解説!!

 

俳人達の中には、各地を行脚して数多くの作品を残した者も存在します。

 

なかでも松尾芭蕉は後世にまで名を残すほど、名句を詠んだ俳人として今なお私たちに親しまれています。

 

今回は、松尾芭蕉の弟子が旅先で詠んだ句「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」をご紹介します。

 

 

本記事では、「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」の季語や意味・詠まれた背景・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてください。

 

「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」の俳句の季語・意味・詠まれた背景

 

飛ぶものは雲ばかりなり石の上

(読み方:とぶものは くもばかりなり いしのうえ)

 

この俳句の作者は「麻布(あざぶ)」です。

 

麻生とは師匠である松尾芭蕉の下で、俳句の修行に従事していた弟子の一人です。

 

【※参考】松尾芭蕉は蕉風と呼ばれる独特の句風を確率した、江戸時代前期に活躍した俳人のひとりです。代表作「奥の細道」など、歴史に残る数々の名作を残しています。

 

 

季語

こちらの句には「季語」はありません。

 

俳句は詠み手が句をつくった季節を示すために、季語を含んで句作するのが一般的です。また、基本的に一つの句に対して、季語は一つであると決められています。

 

一方で、必ずしも五七五のリズムに従い、季語を含めて俳句を読む必要はなく、こちらの句についても季節を示す語句が存在しません。

 

この句のように季語を含まない俳句は「無季俳句」と呼ばれており、型にはまらずに作者が見たままの情景や感じたままの心情を表現できます。

 

意味 

この句を現代語訳すると・・・

 

「石の上を飛んでいるものは雲ばかりである」

 

という意味です。

 

この句は詠んだままストレートに直訳できますが、作者が俳句を詠んだ背景を理解していないと、その本当の意味は分かりません。

 

「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」とは、松尾芭蕉と旅をしていた麻布が那須の殺生岩を訪れた時に詠んだ作品です。

 

殺生石は先人達が「生き物を殺すほどの殺傷力のある石」として恐れてきた溶岩石です。殺生石の周辺には火山ガスが絶えず噴出しているので、21世紀を迎えた今でも立ち入りが規制されています。

 

この句の意味は、石の上を飛ぶものは雲ばかりで、生き物の姿はどこを見てもいないという内容です。それほど、殺生石には有毒なガスが発生しており、危険なエリアであると読み取れます。

 

この句が詠まれた時代背景

(殺生石の句碑 出典:文学散歩

 

この俳句は松尾芭蕉の孫弟子が詠んだ句として、那須の殺生石に句碑が今なお残されています。

 

しかし、いつ詠まれた作品であるか明確な年月日に関しては不明です。

 

「奥の細道」のなかに、芭蕉が那須の温泉地にある殺生石を訪ねたと記されています。また、その中には「石の毒気によって、おびただしい数の蝶や蛾が地面の色も見えないほど、折り重なって死んでいる」との記載があります。

 

うっかり殺生石の上を飛ぼうものならば、有毒ガスの力によって、あっという間に命を奪われてしまう「死や地獄を連想させるおどろおどろしい作品」です。

 

殺生石には、松尾芭蕉自身が詠んだ「石の香や夏草赤く露あつし」が刻まれた句碑も現存しています。

 

(殺生石の句碑 出典:文学散歩

 

こちらの句の意味は、殺生石のガスの影響により本来緑であるはずの夏草が赤く変色し、冷たい露も熱く沸騰しているという内容です。

 

どちらの句からも「殺生石が恐ろしい場所」であることが伺えます。

 

「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」の表現技法

 「雲ばかりなり」の「なり」が切れ字

俳句で使われる切れ字とは、「や」・「かな」・「けり」・「なり」・「ぞ」・「がも」などです。切れ字とは「〜だよ」と詠嘆を示すと同時に、その句の切れ目を表現する技法です。

 

「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」では、「飛ぶものは雲ばかりなり」がひとまとまりの文章になっており、下句の「石の上」に続いています。

 

これにより、飛んでいるのは雲だけで、虫や鳥の姿が存在しないことが、読者の心に強く残ります。

 

文末「石の上」の部分の体言止め

体言止めとは、文末を名詞または代名詞で結んで、印象に残る作品に仕上げる技法です。

 

この句では下五の「石の上」が体言止めによって、特別な場所であると強調されています。

 

唯一、飛べるのは雲だけで、生命があるものは石の上を飛ぶことすらも許されないという意味を伝えるために、下五を「石の上」と体言止めで結んでいるのです。

 

「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」の鑑賞文

 

松尾芭蕉とその孫弟子ある麻布は、那須温泉郷の観光名所である殺生石を訪れています。

 

殺生石は「生き物を殺す岩」と言われるだけあって、火山性ガスの独特のにおい、溶岩など、この世とは思えない風景です。

 

生き物がうっかり近づいてしまえば、瞬く間に命を失ってしまう様子から、地獄を連想したのかもしれません。

 

 

殺生石の上を飛んでいるのは雲ばかりであって、生き物はなに一つとして飛ぶことはできないことを詠んだ作品です。

 

雲という存在は青空を連想させる言葉ですから、空とは打って変わり、地表はおどろおどろしい状態であるとも読み取れるでしょう。

 

作者「麻布」の生涯を簡単にご紹介!

 

松尾芭蕉の孫弟子「麻布」については、殺生石で「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」を詠んだという記載しかなく、人物についての詳細な内容は不明です。

 

芭蕉が愛弟子と認めた「芭蕉十哲」のなかにも、麻布は存在していません。

 

参考までに、「芭蕉十哲」とは芭蕉の弟子のなかでも、極めて才能が豊かな者たちを集めた10人を示します。

 

最後に、「芭蕉十哲」に含まれる弟子たちが残した代表的な作品をご紹介します。

 

芭蕉十哲の作品

 

  • 切られたるゆめはまことのかみのあと(宝井其角)
  • ふとん着て寝たる姿や東山(服部嵐雪)
  • 秋風や白木の弓に弦はらん(向井去来)
  • 鷹の目の枯れ野にすわるあらしかな(内藤丈草)
  • 秋も早かにすぢかふ天の川(森川許六)
  • がつくりと抜け初むる歯や秋の風(杉山杉風)
  • 淋しさや一尺消えて行く蛍(立花北枝)