【算術の少年しのび泣けり夏】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

五・七・五のわずか十七音に心情や風景を詠みこむ「俳句」。

 

俳句は、趣味として幅広い年齢層に親しまれています。また、現代では学校の国語の教材としても親しまれ、夏休みの宿題になっているところも多いです。

 

今回は、そんな俳句の中でも人気のある句「算術の少年しのび泣けり夏」という句をご紹介します。

 

 

本記事では、「算術の少年しのび泣けり夏」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「算術の少年しのび泣けり夏」の俳句の季語や意味・詠まれた背景

 

算術の 少年しのび 泣けり夏

(読み方 さんじゅつの しょうねんしのび なけりなつ)

 

この句の作者は、「西東三鬼(さいとうさんき)」です。

 

三鬼は伝統的な俳句にとらわれず、自由な発想で俳句を詠んでいました。

 

歯科医として勤めていたころ、外来患者の勧めによって俳句を始めたと言われています。

 

季語

この句の季語は「夏」、季節は「夏」です。

 

季節の名前はそのまま、季語となります。夏でも、3つの区分に分けることができ、現在の暦だと5月ごろを初夏、6月を仲夏、7月を晩夏といいます。

 

俳句で使われている季語は、旧暦を使用しており、約1か月、季節にずれがあります。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると…

 

「夏、算数を解いている少年がしくしくと泣いている。」

 

という意味です。

 

ここでの夏は、「夏休みの終わり」と現代語訳されている場合が多いです。

 

算術とは、算数のこと。しのび泣くは、「忍び泣く」とも書きます。ひそかに泣く、人目をはばかってこっそりと泣くという意味もあります。

 

この句が詠まれた背景

この句は、西東三鬼の昭和15年に発表した第一句集「旗」に収められています。

 

「西東三鬼全句集」の「自句自解」において三鬼は以下のように述べています。

 

「愚息は父親に似て数学的頭脳を持っていない。宿題が出来ないで一人シクシク泣く。それは哀れであるし、父から見れば気の毒であった。」

 

この句は、三鬼の息子がモデルとなっています。

 

夏休みに宿題がわからないで、泣いているのか、また夏休みの終わりに宿題が終わっていないで泣いているのか、そんな息子を可哀そうと思うと同時に、数学が苦手な自分に似て気の毒だと感じているようです。

 

「算術の少年しのび泣けり夏」の表現技法

句またがり

この句は2通りの読み方ができます。

 

  • 俳句の五・七・五の型に沿う形:算術の/少年しのび/泣けり夏
  • 意味に沿う形:算術の/少年しのび泣けり/夏

 

意味に沿うと、五・十・二と区切れてしまうため、俳句の五・七・五のルールから外れてしまうと思ってしまうかもしれません。

 

この場合、「しのび泣けり」という言葉が、五・七・五の七・五をまたいでしまうため、句またがりとなります。

 

※句またがり・・・17音を守っているが、区切りがずれていること。また、五・七・五の型に沿ったときに言葉が句をまたいでしまうこと。

 

区切れは、中間(ちゅうかん)切れとなります。

 

中間切れとは、二句(五・七・五の七)にあたる部分で切れ字や言い切りの表現が使われる区切れのことです。

 

この場合、五・七・五の型で考えると、三句(結句)に切れ字の「けり」があります。この場合は、特殊な中間切れとなります。

 

西東三鬼は、伝統的なかたちにとらわれることなく、自由な発想で俳句を詠んでいました。

 

「泣けり」の「けり」の切れ字

切れ字は「や」「かな」「けり」などが代表とされ、句の切れ目を強調するときに使います。

 

この句は「しのび泣けり」の「けり」が切れ字にあたります。

 

「けり」は、断言するような強い調子を与えます。また、過去を表して、過去のことを断言するような意味合いにもなります。

 

この句の場合は、過去ではなく泣いている動作を強調しています。

 

「夏」の体言止め

体言止めは、語尾を名詞や代名詞などの体言で止める表現技法です。

 

体言止めを使うと、美しさや感動を強調する、読んだ人を引き付ける効果があります。

 

あえて夏の終わりや夏休みなどとせず、「夏」という名詞を持ってくることで、読む人にどのような状況か想像させています。

 

「算術の少年しのび泣けり夏」の鑑賞文

 

この句は、夏休みの終わるころの自分の体験と、重ねて覚えている人も多いのではないかと思います。

 

西東三鬼は、息子が算数の宿題が終わらずに泣いている姿を句に詠みました。

 

同じように、夏休みの終わりに宿題が終わらなくて、焦ったり泣いてしまったりしたことのある人もいるのではないでしょうか。

 

そんな息子の姿を可哀そうだと思い、また、親に似て数学が出来なくて気の毒だという親心も感じられます。

 

作者「西東三鬼」の生涯を簡単にご紹介!

 

西東三鬼は、本名を斎藤敬直(さいとうけいちょく)といいます。

 

1900年(明治33年)515日、現在の岡山県津山市南新座に生まれました。

 

家は代々、漢学者の家系でした。父母が亡くなったのち、東京の兄のもとへ移住します。

 

1921年に日本歯科医学専門学校(現在の日本歯科大学)に入学。1925年に卒業し、歯科医師となります。

 

1933年、30代で外来患者の勧めで俳句を始め、様々は俳誌に俳句を投句しています。

 

このころ、サンキューをもじった「三鬼」の俳号を使い始めます。三鬼は遅く俳句をはじめたため、伝統俳句の形にとらわれず、無季俳句などの自由な発想で多くの句を詠みました。

 

そして昭和初期に始まった新興俳句運動の中心人物としても活躍します。

 

新興俳句運動とは、高浜虚子の花や鳥といった自然の美しさを詩歌に詠みこむ花鳥諷詠の考え方が俳句を些末なものにしているとし、伝統俳句からの脱却をはかった運動です。

 

1947年には全国規模の俳句団体のひとつである現代俳句協会を設立しました。この頃、山口誓子の句集に感嘆し1948年には山口誓子を擁して「天狼」を創刊しました。

 

1961年に胃がんを発病し、196241日に61歳で亡くなりました。

 

1992年には故郷の岡山県津山市で三鬼の業績をたたえ「西東三鬼賞」が創設されました。

 

西東三鬼のそのほかの俳句

 

  • 水枕ガバリと寒い海がある
  • 中年や遠くみのれる夜の桃
  • おそるべき君等の乳房夏来る
  • 露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す
  • 枯蓮のうごくとき来てみな動く