俳句は、五・七・五の十七音からなる短い詩です。
選び抜かれた言葉で、自然の姿の美しさや人の心の複雑なあやを詠みこみます。
世に名句と言われるものは、俳句を作る人にはお手本として、俳句を詠まない人でも優れた文学として知っておいて損はありません。
今回はそんな数ある俳句の中でも「おりとりて はらりとおもき すすきかな」という飯田蛇笏の句を紹介していきます。
「おりとりて はらりとおもき すすきかな (飯田 蛇笏)」ススキの穂、ふわり.。.:*☆ pic.twitter.com/54GkU7WP
— maria。.:*☆ (@cozy_maria) November 21, 2012
本記事では、「おりとりてはらりとおもきすすきかな」の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者について徹底解説していきます。
ぜひ参考にしてみてください。
目次
「おりとりてはらりとおもきすすきかな」の作者や季語・意味・詠まれた背景
おりとりて はらりとおもき すすきかな
こちらの句の作者は「飯田蛇笏(いいだ だこつ)」[/marker]です。
飯田蛇笏は明治から昭和にかけて活躍した俳人の一人です。美しい自然を詠み込んだ句を多く作りました。
正岡子規や高浜虚子の「ホトトギス」に投句し、自然を客観的に写生し詠む伝統的な俳句の一派です。
一度進学のために上京していますが、帰郷した後は要請があっても故郷である山梨県に留まったまま、「雲母」という俳句雑誌の主宰をしていました。
季語
こちらの句の季語は「すすき」、季節は「秋」です。
すすきはイネ科の多年草で、秋に銀色の穂をつけます。秋の七草のひとつにも数えられています。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「すすきを折り取って手にすると、はらりと軽やかに穂がなびいて見えたのに、意外にも持ち重りするものだなあ。」
という意味になります。
「おりとりて」は、「折り取りて」。つまり、『折って手に取ってみて』ということです。
この句の生まれた背景
この句は、飯田蛇笏が昭和5年(1930年)に刊行された「雲母」に始めて集録されました。
そして、2年後に刊行された飯田蛇笏の初めての句集「山廬集(さんろしゅう)」に収録されています。
「山廬」とは、かつて飯田蛇笏が使っていた俳号でもあり、また飯田蛇笏の住居をこのように言い習わしていました。山深い草の庵、粗末なすまいといった意味合いの言葉です。
故郷山梨の風土を愛し、その自然を句に詠み込み続けた蛇笏が、自宅やその周辺の里山の風景に愛着を持っていたことがよくわかります。
「おりとりて はらりとおもき すすきかな」も、里山のすすきを手折っての一句であったかもしれません。
この句を詠み、「山廬集」(さんろしゅう)を刊行したころ、蛇笏は郷土の古い俳句や俳人の研究をしたり、主宰していた俳句雑誌「雲母」の編集所を自宅に移したりするなど、作句活動の他に俳句の研究や普及にも努め、精力的に活動していた時期でもありました。
「おりとりてはらりとおもきすすきかな」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 「すすきかな」の切れ字「かな」、句切れなし
- ひらがなの多用
になります。
「すすきかな」の切れ字「かな」、句切れなし
「かな」「や」「けり」などの言葉を切れ字といいます。感動の中心を表す言葉で「~だなあ」というような意味になります。
この句では「すすきかな」とあるので、作者はすすきに感動していることが分かります。
切れ字のあるところ、ふつうの文でいえば句点「。」がつくところでは、意味の上で一度句が切れ、これを句切れと呼びます。
この句は、結句の「すすきかな」まで切れるところがありません。このような場合を「句切れなし」と言います。
すすきに目を止め、手折ってその意外な重さに気づくまでの動作が流れるように目に浮かぶ句です。
ひらがなの多用
この句はすべてがひらがなで書かれているところが大きな特徴となっていますので、ここでも解説します。
この句の漢字にできるところをすべて漢字にすると・・・
折り取りて はらりと重き 芒かな
となります。
ひらがなだけで書かれている場合と見た目の印象がだいぶ変わります。
この句は、ひらがなをもちいることによって、すすきの穂が柔らかな弧を描いて軽やかに広がる様をよく伝えています。
すすき全体の雰囲気としての柔らかさ、軽やかさ、そして秘めたるしなやかなつよさを印象的に表現しています。
「おりとりてはらりとおもきすすきかな」の鑑賞文
【おりとりて はらりとおもき すすきかな】の句は、すすきのしなやかさが伝わってくるような句[/marker]です。
「はらりと」というのは、ふつうは軽いものが広がったり、こぼれたり、舞い落ちたりするときに対して使う擬態語です。
(※擬態語:もの後の様子をそれらしく言う言葉。にこにこ、きっぱり、ふんわりなど。)
すすきの穂がなよやかに風になびいて広がっている様は「はらりと」というにふさわしい様子です。
しかし、軽やかに見えたすすきを実際に手折ってもってみると、意外とずっしりと重く、しっかりしたものだと気づきます。すすきという植物の命の重みを感じているといえるかもしれません。
「はらりと」と言う言葉で軽さをイメージさせておいて反対の意味の「おもき」と言う言葉を持ってきているところにこの句の面白さがあります。
また、すすきの命の重さを感じつつも、ひらがなのみで表記することによって、あくまでも軽やかに感動を表現しています。
「おりとりてはらりとおもきすすきかな」の補足情報
句の初稿と推敲
この俳句は、昭和4年に大阪の大蓮寺で詠まれた句です。
関西旅行をしていた作者は、大阪の大蓮寺において飯田蛇笏歓迎の句会に出席しました。雨天にも関わらず、大蓮寺の本堂には、関西一円の俳人が蛇笏を迎え、堂内は一糸乱れぬ静けさに満たされ句会は始まったと言われています。
その席題に「すすき」が出され、「おりとりて」の俳句はその時に詠まれました。一句は、秋の山野にあって、はかないすすきが「はらりとおもき」という手のなかの重さへ変化してゆく瞬間を表現している見事な一句を句会で披露しています。
当初この句は全てが平仮名で構成されていた訳ではありません。
昭和5年の「雲母」掲載の紀行文「素描旅日記」では、「折りとりてはらりとおもき芒かな」と表記されています。「折りとりて」と「芒」が漢字で表現されていました。
その後、昭和7年に刊行された句集の『山廬集』においても表記はそのままでしたが、昭和12年刊の第二句集『霊芝』では「芒」が平仮名に直され、「折りとりて」のみが漢字になっています。
さらに昭和16年に刊行された紀行文集『旅ゆく諷詠』では「をりとりてはらりとおもきすゝきかな」と平仮名のみの表記になっていて、現在の形になりました。
昭和4年に詠んだ俳句を12年の間推敲し、最終的に全て平仮名で表現したところに、作者のしなやかな感性を見出すことが出来ます。
ススキを「折りとる」ことは可能か?
この句では「戯れに手折ったススキの重さに驚いている」と詠んでいます。しかし、実際のススキはイネ科の植物であり、手で折りとるのは酷く困難です。
農作業や草刈りをした人は実感できるでしょうが、イネ科の茎を刈り取るには鎌などの刃物を使用する必要があります。「折りとる」にはススキが芽生えてすぐの5月頃でないと無理でしょう。
そのため、この句はあくまで空想の世界を詠んでいることになります。儚く風に揺れるススキは簡単に手折ることができるように見えます。そんなススキを折りとり、その穂の予想外の重さに驚くという想像の中の世界を詠んでいるのです。
これは、この句の初披露が句会であったことも大きいでしょう。雑誌に投句するのではなく、その場で席題に従って即興で詠んでいくため、「すすき」という季語が持つ本意を感じさせるこの句に、同席していた俳人たちも作者の作り上げた空想の世界を感じたのではないでしょうか。
作者「飯田蛇笏」の生涯を簡単にご紹介!
(飯田蛇笏 出典:Wikipedia)
飯田蛇笏(いいだだこつ)は明治18年(1885年)山梨県生まれです。本名は武治(たけはる)です。
山梨県の農村で生まれ育ち、山梨の風土を愛した俳人でもありました。山梨が江戸時代から続く俳諧文芸がさかんな地でもあったことから、幼少期から俳句に親しんでいました。
上京し、早稲田大学の学生だった頃に、詩人の若山牧水らとも知り合い、俳句作りにさらに熱をあげるようになります。日本の俳壇で一大勢力となりつつあった俳句雑誌「ホトトギス」の主宰、高浜虚子に師事、「ホトトギス」誌上に句が載るようになります。
大正時代には、ホトトギス派の有名な俳人となり、ホトトギス派を盛り上げるのに一役買いました。
ふるさとである山梨に拠点を置き、伝統俳句を重んじながら、風土を愛する気持ちにあふれた格調高い俳句を詠んだ俳人です。
昭和37年(1962年)に死去しました。
飯田蛇笏のそのほかの俳句
(飯田蛇笏句碑 出典:Wikipedia)
- 死病得て爪うつくしき火桶かな
- たましひのたとへば秋のほたるかな
- 芋の露連山影を正しうす
- なきがらや秋風かよふ鼻の穴
- おりとりてはらりとおもきすすきかな
- 誰彼もあらず一天自尊の秋