俳句は、日本の伝統文芸であり、今なお進化を続ける文学でもあります。
手軽に楽しめる趣味として俳句をたしなむ人から人生をかけて詠みこむ人、鑑賞するだけの人、関わり方はさまざまですが、多くの人か俳句に興味を持っています。
今回は明治から平成のはじめころまでを生きた俳人・山口誓子の「かりかりと蟷螂蜂のかほを食む」という句をご紹介します。
かりかりと
蟷螂蜂の
かほを食む 山口誓子
#秋の俳句#山口誓子 pic.twitter.com/hO6cyq2A40
— 桃花 笑子 (@nanohanasakiko) September 22, 2015
本記事では、「かりかりと蟷螂蜂のかほを食む」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「かりかりと蟷螂蜂のかほを食む」の作者や季語・意味
かりかりと蟷螂蜂のかほを食む
(読み方:かりかりと とうろうはちの かおをはむ)
こちらの句の作者は「山口誓子」です。山口誓子は、大正から、昭和、平成の初めまで長く活躍した俳人です。
この句は、大正15年(1926年)の作です。山口誓子の第一句集『凍港』に所収されています。
季語
この句の季語は「蟷螂」。蟷螂とはカマキリのことで、秋の季語になります。
カマキリは他の昆虫を捕食して食べる肉食の昆虫で、夏から秋に成虫がよく見られます。
秋になると、産卵し子孫を残すために、捕食活動を活発化。交尾前後のメスのカマキリがオスのカマキリを食べてしまうこともあります。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「かりかりと音を立てて、カマキリがハチのかおを食べていることよ。」
という意味になります。
生き物どうしの非情な関わりを映しとっています。
「かりかりと蟷螂蜂のかほを食む」の表現技法と鑑賞
句切れなし
俳句では、意味の上・リズムの上で切れるところを「句切れ」と呼びます。
「かな」「や」「けり」などの切れ字のあるところや、普通の文でいえば句点「。」がつくところが句切れとなります。
しかし、この句においては最後まで句切れるところがありませんので「句切れなし」の句となります。
作者はカマキリが休むことなく蜂を食べている様子を一息に句にしています。
擬音語「かりかり」
擬音語とは、物の音や声などをそれらしく言い表した言葉のことです。
(※例えば「くすくす笑う」「どかんとはぜる」の「くすくす」や「どかんと」など)
この句では、カマキリが蜂のかおを音を立てて食べる様子を「かりかり」と表現しています。
「かりかり」という表現を用いることで、弱肉強食の生き物のリアルが生々しく伝わってきます。
「かりかりと蟷螂蜂のかほを食む」の鑑賞文
【かりかりと蟷螂蜂の顔を食む】の句は、生き物どうしの非情な関わりを映しとった句になっています。
「カマキリが蜂を捕まえて食べている、カリカリと言うかみ砕く音まで生々しく伝わってくる」というありのままの光景を五・七・五の十七音の言葉で切り取っています。
山口誓子の、即物非情(感情や主観を交えず、ものそのものをありのままに捉える)の句として有名です。
人の世とはまた違う、昆虫の生の在り方を作者は冷静に見つめています。
山口誓子は蟷螂に関する句をほかにも詠んでいる
今回ご紹介した句は、大正15年(1926年)の作品です。山口誓子の第一句集『凍港』に所収されています。
この句集は、昭和7年(1932年)刊行で、大正13年(1924年)から昭和7年(1932年)の句がまとめられています。また、句集には「虫界変」という句集が連作となっています。
この連作「虫界変」にも、蟷螂に関する句がいくつか収められています。
「蟷螂(とうろう)の 鋏(はさみ)ゆるめず 蜂を食う」
(意味:カマキリが抑え込むはさみの力をゆるめることなく、蜂を食べている)
「蜂ねぶる 舌やすめずに 蟷螂(いばむしり)」
(意味:蜂をなめまわす舌をやすめることもなく、一心不乱に食べ続けるカマキリであることだ。)
いずれの句もカマキリが蜂を平らげていく様子を、感情を交えることなく冷静に観察して詠んでいます。
作者「山口誓子」の生涯を簡単にご紹介!
(山口誓子 出典:Wikipedia)
山口誓子(やまぐち せいし)本名新比古(ちかひこ)は、大正から昭和、平成の初期にかけて活躍した俳人です。
生まれは明治34年(1901年)で、京都府出身です。幼いころに祖父に引き取られ、樺太(からふと:現在のロシアのサハリン島)で数年を過ごしました。
帰郷して京都の学校に進んだ大正9年(1920年)に、京大三高俳句会に出席し、句作に腰を入れるようになりました。
俳句雑誌「ホトトギス」へ投句を行い、昭和の初期には水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)、高野素十(たかのすじゅう)、阿波野青畝(あわのせいほ)らとともに、ホトトギス派の四Sと呼ばれるに至りました。
しかし、ホトトギス派とは創作の方向性にずれが生じ、ホトトギス派から離脱。やがてホトトギス派から離れた水原秋桜子らと新興俳句をすすめていく運動に力を入れるようになりました。
その後も数多くの名句を生み出し、平成6年(1994年)92歳で亡くなりました。
山口誓子のそのほかの俳句
( 摂津峡にある句碑 出典:Wikipedia)
- 学問のさびしさに堪へ炭をつぐ
- 突き抜けて天上の紺曼珠沙華
- 匙なめて童たのしも夏氷
- ほのかなる少女のひげの汗ばめる
- 夏草に機缶車の車輪来て止まる
- 海に出て木枯らし帰るところなし
- 夏の河赤き鉄鎖のはし浸る
- 炎天の遠き帆やわがこころの帆
- ピストルがプールの硬き面にひびき
- 流氷や宗谷の門波荒れやまず