5・7・5の定型文を基本とした俳句は「知ってる!」という方も多いと思います。
しかし、俳句と似たような言葉として、短歌や川柳、俳諧といったものもあります。
どれも学校の授業で習ったような気がするけれど、「それぞれ何が違うのか、わからない!」と言う方も多いのではないでしょうか?
俳句と俳諧の違い判ってる人ってどんだけいるのかな・・・
— 珍獣@並運ドクター (@higansugi) February 2, 2011
そこで今回は、特に「俳諧」にスポットを当てて、「俳句」と「俳諧」の違いについて簡単にわかりやすく解説していきます。
目次
俳句と俳諧の違い
これらの違い一言で言うと、「俳諧は俳句の元となったもの」です。
昔、連歌と呼ばれる貴族の遊びだった文芸が、滑稽的な表現となり、江戸時代に一般庶民に浸透したものが「俳諧」と呼ばれるようになりました。
そして後に俳諧のはじめの一句という意味で「発句」と呼ばれるようになり、松岡子規らが短詩文学の革新を唱えたことで、発句の新しい名称として「俳句」となった経緯があります。
以下に、俳句と俳諧の特徴やルールの違いをまとめました。
ー形式的な違いー
・俳句は一句で完結するが、俳諧は連歌の形式で上の句と下の句を次々に繋げていく
(※連歌とは、五・七・五に他の人が七・七をつけ、さらに他の人が五・七・五を付け加えといった様子で続けていく形式)
・連歌から派生したのが俳諧、俳諧から派生したのが俳句
・俳句は1人で読むが、俳諧は2人以上で読み合う
・俳句は五・七・五の十七音という定型文があるが、俳諧はさまざまな形式がある(発句や連句、漢詩形式の和詩や仮名詩なども含まれる)
ー内容的な違いー
・俳句は五・七・五の十七音で考え抜いた内容だが、俳諧は自由な形式で即興的な内容
・俳句は季語を入れることによって季節感を大切にしているが、俳諧は言葉遊び的な滑稽さがある
以上の「形式的な違い」と「内容的な違い」が俳句と俳諧との大きな違いです。
しかしながら、俳句の元が俳諧となっている経緯もあり、両者は切っても切れない関係であることは間違いないでしょう。
意外と知らない!俳句・俳諧の誕生の歴史
俳諧の誕生の歴史
俳諧が誕生したのは、平安時代のことです。
古代の時代から人々は自分たちの心情や自然の美しさを表現するために、和歌を読んできました。
俳諧の原点は、日本で最初の勅撰和歌集「古今和歌集」巻19に58首の和歌が「俳諧歌」として収録されたことにあります。
また、平安末期には藤原清輔が歌学書「奥義抄」で・・・
【 俳諧の本質は、その場その場で歌を詠む即興性やその才能にあって、連歌が正しい系統なのであれば、その逆を大事にすることで、自然や人間の真実に迫ろうとする文芸だ 】
としました。
この考えは江戸時代まで続き、江戸時代には松永貞徳(まつなが ていとく)を中心とする「貞門派」という一門が俳諧を全国で行いました。
松永貞徳 (出典:Wikipedia)
俳句の誕生の歴史
貞門が行う俳諧は平安時代から続く、言葉遊び的な滑稽さを中心としていたため、すでに新鮮みに欠けていたのです。
そこで登場したのが「松尾芭蕉(まつおばしょう)」。
松尾芭蕉 (出典:Wikipedia)
彼が俳諧の読み方を和歌や連歌と同じく、感情を表す優美な文芸としての地位を高めました。
このように連歌が元になっている俳諧ですが、江戸時代末期から明治時代にかけて、連歌の1番はじめに読まれる句(発句)のみが独立するようになってきます。
発句には必ず季語と切れ字を入れなければならないという決まりがありますので、これが俳句となりました。
最後に、俳句という言葉自体は明治時代に正岡子規によって後から付けられたもので、俳諧の連歌から派生した発句のみの文芸を「俳句」と名付けられたのです。
正岡子規 (出典:Wikipedia)
知っておきたい有名俳句【5選】
今ここでは筆者おすすめの有名俳句を5つご紹介します。
【NO.1】田原坊
『 松島や ああ松島や 松島や 』
現代語訳:松島という場所はなんと表現したら良いのだろうか・・。本当に松島は・・
【NO.2】加賀千代女
『 朝顔に 釣瓶とられて もらひ水 』
現代語訳:朝顔のつるが井戸の釣瓶に巻き付いていた。水を汲むためにつるをちぎってしまうのは可哀想なので、隣の家に水をもらいに行った。
【NO.3】松尾芭蕉
『 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 』
現代語訳:なんて静かなのだろう。石に染み入るように蝉が鳴いている。
【NO.4】中村草田男
『 万緑の 中や吾子の歯 生え初むる 』
現代語訳:野山は夏らしく草木に覆い尽くされて一面の緑。そんな中、大切な我が子に初めての白い歯が生えてきた。
【NO.5】山口素堂
『 目には青葉 山ほととぎす 初鰹 』
現代語訳:目には初夏の青葉が爽やかに映り、耳にはホトトギスの声が届き、口には初物の鰹を味わえる素晴らしい夏だ。
以上、俳句と俳諧の違いについてでした!
【連歌→俳諧→発句→俳句】と呼ばれ方や形式が、時代とともに変わってきたということがわかったと思います。
現代では俳句ばかりが有名ですが、是非この機会に俳句のルーツである俳諧にも目を向けてみてはいかがでしょうか。
【もっと深く知る】松尾芭蕉と2つの俳諧の流派
松尾芭蕉 (出典:Wikipedia)
先ほども少し触れましたが、現代まで続く俳句の祖とされる松尾芭蕉は、俳諧の「貞門派」と「談林派」を学んでいました。
貞門派
「貞門派」とは、江戸時代初期に活躍した俳諧師である松永貞徳を祖とする一門です。連歌や和歌、歌学を修めていたため、貞門派は古典の素養が必要でした。
芭蕉は最初に、貞門派に属する北村季吟に師事しています。さまざまな注釈書を出版することで、庶民が古典へ触れるハードルを下げた一門でもあります。
漢詩を元にした代表的な俳諧として・・・
「雪月花 一度に見する 卯木(うつぎ)かな」
(意味:卯木は、雪のような白い花を咲かせ、うつぎという言葉のとおりに月も一度に見せてくれる。)
といった言葉遊びの物もあります。「雪月花」は漢詩由来の言葉で、漢詩の要素も取り入れている芭蕉以降の俳人たちにも強い影響があった事が伺える句です。
また、古典を元にした下記の俳諧があります。
「花よりも 団子やありて 帰る雁」
(意味:花よりも団子を目当てに雁が帰っていく。)
これは『古今集』に収録されている「伊勢」という歌人の下記の歌を元にしています。
「春霞 たつを見すてて 行く鴈は 花なき里に 住みやならへる」
(意味:春霞が立ち花が咲いたのに、見捨てるように飛び去る雁は花の咲いていない里に住み慣れているのだろうか。)
談林派
もう1つの「談林派」は、西山宗因を祖として伝統的な和歌を元に自由で笑いに変える技法を元にしています。
松尾芭蕉が「桃青」を名乗っていた頃は談林派が貞門派よりも主流になり、和歌の伝統よりも笑いを重視する俳諧文化の過渡期でした。
談林派は「軽口」という優雅な古典から俗世へ転じる意外性からくる笑いを重視しています。
談林派でもあった井原西鶴は、下記の句を詠んでいます。
「軽口に まかせてなけよ ほととぎす」
(意味:ホトトギスよ、軽妙に鳴いてくれ)
この句は師である西山宗因に談林派の中心である「軽口」を読み込みながら「ホトトギス」という季題を詠んだことを絶賛されています。
また、西山宗因の有名な俳諧として、下記が挙げられます。
「阿蘭陀(おらんだ)の 文字か横たふ 天つ雁」
(意味:あの空を飛んでいる雁はまるでオランダの文字のように横たわっている。)
「雁」という伝統的な議題を読みつつ、オランダ文字なのだろうかと笑いへ転じさせる手法が見事です。