江戸時代は、「俳諧」、「発句」などと言われていた「俳句」。
江戸時代の俳諧師で特に名高いのが、松尾芭蕉、小林一茶、与謝蕪村の三人です。
その中でも与謝蕪村は絵師でもあり、絵画のような写生的な句を多く残しています。
今回は与謝蕪村の数ある名句の中でも「寒月や門なき寺の天高し」という句をご紹介します。
寒月や門なき寺の天高し(与謝蕪村) #俳句 #冬 pic.twitter.com/lfRWkVyVaX
— iTo (@itoudoor) December 25, 2015
本記事では、「寒月や門なき寺の天高し」の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「寒月や門なき寺の天高し」の作者や季語・意味
寒月や 門なき寺の 天高し
(読み方:かんげつや もんなきてらの てんたかし)
こちらの句の作者は「与謝蕪村」です。江戸時代の中期に活躍した俳人になります。
こちらの句は、「蕪村句集」という句集に所収されている句になります。
季語
この句の季語は「寒月(かんげつ)」、季節は「冬」です。
「寒月」とは、冬の夜に出る、冷たく冴えわたった月のことを指します。
単に、「月」という場合は、秋の季語になります。月は満ち欠けしながら年中出ているものですが、特に秋の月が美しいとされ、秋の季語とされるのですが、「寒月」となると冬の季語です。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「寒い夜、空には冴えわたった月が出ている。門もない小さな寺の上には、澄み切った空が天高く広がっている。」
という意味になります。
「寒月や門なき寺の天高し」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 切れ字「や」(初句切れ)
- 「寒月」と「門なき寺」の対比
になります。
①切れ字「や」(初句切れ)
切れ字とは句の流れを断ち切り、作者の感動の中心を効果的に表す語を指します。
「や」「かな」「けり」は代表的なものとしてよく知られていますが、他にもたくさんの切れ字が存在します。
この句では、「寒月や」の「や」が切れ字に当たります。
つまり、冬の寒い夜空にかかる、冷たい月に対して覚えた感動がこの句を詠むきっかけになったことがわかります。
また、切れ字のあるところでは、意味の上でもリズムの上でも句が一旦切れます。
この句は初句に切れ字「や」がありますので、「初句切れ」の句となります。
②「寒月」と「門なき寺」の対比
対比とは、複数のものを並べて、その共通点または相違点を比較し、それぞれの特性を際立たせて印象付ける技法のことです。
この句では、「寒月」と「門なき寺」が対比されています。
天に高くある寒月と、地にある門さえもない小さな寺。
並べてみることで、月のかかる天の高さ、小さな寺の慎ましい様子がより一層際立って感じられます。
「寒月や門なき寺の天高し」の鑑賞文
【寒月や門なき寺の天高し】は、凍えるような冬の夜の月を絵画的に詠んだ句です。
冬の夜空の空気は澄みきって、月はくっきりと浮かんで見えています。
お月見をする中秋の名月のような穏やかさはなく、冷たい夜気に玲瓏と冴えた光を放つ、静かな月です。
天に高くある月と、門さえもないつつましい小寺との対比が印象的です。
月のかかる空はどこまでも果てしなく広がっているように見え、小寺はいよいよひっそりとしずまって見えるのでしょう。
その光景をながめやる作者の白い息さえ感じられそうな句となっています。
与謝蕪村の寒月の句
【寒月や門なき寺の天高し】の句は、「蕪村句集」という句集に所収されている句になります。
この句集は、与謝蕪村の門人・高井几董(たかいきとう)が、蕪村の一周忌に合わせて編集したものです。
この句が果たしてどういうときにどういう光景を詠んだものなのか、詳しいことはわかっていません。
「寒月」という句題は蕪村にとって興味深いものだったようで、多くの句に「寒月」を詠みこんでいます。
蕪村は「寒月」を冷たく超然と地上を見下ろす存在のように描いています。
ここでは、「寒月」を詠み込んだ蕪村の句をいくつか紹介します。
寒月や 鋸岩の あからさま
(意味:冷たい冬の月が皓々としている。鋸のようにごつごつした岩山が、月の光に照らされてはっきりと見えている。)
寒月や 開山堂の 木の間より
(意味:冷たい冬の月の光が、開山堂を覆う木立の隙間から漏れてきている。 ※開山堂とは、反寺にある建物で、その寺に初めて住んだ僧をまつった建物のこと。)
「寒月」と「鋸岩」、「寒月」と「開山堂」がそれぞれ対比されている句です。天にある月と、地にある無生物(建物や岩)を対比するという趣向は、今回取り上げている句とも通ずるものがあります。
寒月や門を敲(たたけ)ば沓(くつ)の音
(意味:冷たい月の光に照らされてやってきて、門をたたくと、こちらの合図に気づいてくれたものか、向こうからくつの音がする。)
寒月や僧に行き合ふ橋の上
(意味:冷たい月に照らされて歩いていると、橋の上で僧侶と行き会ったことだ。)
寒月に木を割る寺の男かな
(意味:冷たい冬の月のもとで木を割っている、寺の下働きの男がいることよ。)
寒月や衆徒の群議の過て後
(意味:月の光の下で、僧兵たちが戦の相談をしていった。その僧兵たちも去り、残るは冷たい冬月ばかりである。)
こちらの4つの句は、寒月とその下の人の様子を対比させた句です。
寒々しい凍えるような夜気の中でも、人の営みを興味深く見つめる作者の鋭い観察眼が感じられます。
作者「与謝蕪村」の生涯を簡単にご紹介!
(与謝蕪村 出典:Wikipedia)
与謝蕪村、本名は谷口信章と言われています。享保元年(1716年)に摂津国(現在の大阪府)に生まれました。
地元の有力者の子どもだったともいわれますが、どのような子ども時代を送ったのか、詳しいことはわかりません。家庭環境的にはあまり恵まれていなかったのではないかともいわれています。
江戸に出て、20歳くらいのころから俳諧を学んだようです。独学で絵も描くようになり、絵師としても生計を立てていました。句を書き添えた絵、俳画の祖は与謝蕪村です。
江戸時代前期に活躍した俳聖・芭蕉を尊敬し、芭蕉の絵も何点も描いています。
天明3年(1784年)に亡くなりました。
明治時代、松尾芭蕉や与謝蕪村の俳諧や発句を研究し、近代の俳句にまで高めた人物に正岡子規がいます。子規が、与謝蕪村を高く評価したことで広く世に知られるようになりました。
与謝蕪村のそのほかの俳句
(与謝蕪村の生誕地・句碑 出典:Wikipedia)
- 夕立や草葉をつかむむら雀
- 鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな
- 花いばら故郷の路に似たるかな
- さみだれや大河を前に家二軒
- 菜の花や月は東に日は西に
- 笛の音に波もよりくる須磨の秋
- 涼しさや鐘をはなるゝかねの声
- 稲妻や波もてゆへる秋津しま
- 不二ひとつうづみのこして若葉かな
- 春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな
- 御火焚や霜うつくしき京の町
- 古庭に茶筌花さく椿かな
- ちりて後おもかげにたつぼたん哉
- あま酒の地獄もちかし箱根山
- 夏河を越すうれしさよ手に草履
- ゆく春やおもたき琵琶の抱心
- 斧入れて香におどろくや冬立木