俳句は五七五の十七音の中に季語を詠みこみ、さまざまな季節や風景、心情を表す詩です。
江戸時代に始まった俳句文化は昭和、平成と現代にかけても発展を続けています。
今回は、昭和から平成にかけて活躍した「能村 登四郎(のむら としろう)」の有名俳句を20句紹介します。
老残の
こと伝はらず
業平忌 能村登四郎
#折々のうた三六五日#五月三日#咀嚼音 pic.twitter.com/E3tbnu9b39
— 菜花 咲子(ナバナサキコ) (@nanohanasakiko2) May 3, 2017
能村登四郎の人物像や作風
能村登四郎(のむら としろう)は、1911年(明治44年)に東京都台東区の谷中に生まれました。
1938年に現在の私立市川中学校・高等学校の教師として赴任、以降教頭にまでなり1978年に退職しています。
仕事を始めた1938年に水原秋桜子に師事して「馬酔木」に投句を開始して本格的に句作を開始しました。1945年に応召したときは句作が途絶えますが、戦後に復員した後は再び「馬酔木」に参加しています。
現代俳句協会賞などを受賞したのち、1970年に俳句雑誌「沖」を創刊しました。この「沖」からは筑紫磐井や中原道夫など、多くの現代俳人を輩出しています。
2001年(平成13年)に主宰を三男に譲ったのちに亡くなっています。
懐かしい写真です。今日の例句の水原春郎さんが左。右は能村登四郎さん。能村さんのお祝いの会です。更に右には宗左近さんもお元気でした。 pic.twitter.com/5JbsdWQ6
— kirakira (@kirakirast) July 2, 2012
能村登四郎の作風は、門下である中原道夫に「人間の内的風景をも取り込む優しさ、人間も自然の風景の一部であるという考え方にたっている」と評されています。
能村登四郎の有名俳句・代表作【20選】
【NO.1】
『 春ひとり 槍投げて槍に 歩み寄る 』
季語:春(春)
意味:春に1人、槍を投げて槍に歩み寄る人がいる。
やり投げの練習をしている人を見ての一句です。大会があるのか、新学年である春でも練習を欠かさない勤勉さが「槍」の繰り返しから伝わってきます。
【NO.2】
『 春愁(しゅんしゅう)の 中なる思ひ 出し笑ひ 』
季語:春愁(春)
意味:春のそこはかとなく物憂げな気分の中でも思い出し笑いをすることがある。
「春愁」とは「春の華やかさを見て感じる物憂げな気分」という意味です。少し気分が落ち込んでいる中で何かを思い出したのか、思い出し笑いをしています。
【NO.3】
『 白木蓮(はくれん)に 純白という 翳(かげ)りあり 』
季語:白木蓮(春)
意味:白木蓮の花は純白だが、純白の中にも翳りがあるのだ。
白木蓮は木蓮よりも高く成長する木で、純白の花を咲かせます。美しい白い花ですが、咲いた時からもう翳りがあるという栄枯盛衰のような作者の価値観を表している一句です。
【NO.4】
『 流し雛 見えなくなりて 子の手とる 』
季語:流し雛(春)
意味:流し雛が見えなくなったので、子供の手を握ってここから去ろう。
「流し雛」とは紙で作った人形に厄を移して川に流す行事です。無事に自分と子供の流し雛が流れて行ったのを確認してその場を去ろうとする親子の一瞬をとらえています。
【NO.5】
『 たわいなき 春夢なれども 汗すこし 』
季語:春夢(春)
意味:たわいのない春の夢だけれど、少し汗をかいてしまった。
春にしては暑い日だったのか、夢の内容がおそろしくて汗をかいてしまったのか、どちらの意味にも取れる句です。「汗すこし」と結んでいるところにはっと夢からさめて起き上がった様子が表現されています。
【NO.6】
『 はたらいて もう昼が来て 薄暑(はくしょ)かな 』
季語:薄暑(夏)
意味:働いているともう昼が来ている。外は少し汗ばむ暑さだなぁ。
仕事に熱中していて時間が経つのも忘れ、あっという間にお昼の休憩時間になった様子を詠んでいます。外に休憩に出かけてもうこんなに暑くなっていたのかという時間経過への驚きも詠嘆の「かな」から読み取れる句です。
【NO.7】
『 早苗饗(さなぶり)の 夜は紅さして 星も酔ふ 』
季語:早苗饗(夏)
意味:早苗饗の夜は女性たちも紅をさして盛り上がり、星もまるで酔ったように見える。
「早苗饗」とは田植えが終わり田の神を送り出す神事のことで、現在では田植えを終えたあとの宴会を意味します。そんな宴会の日はみな夜でも着飾って楽しみ、星もお酒を飲んで酔っているように見えたのでしょう。
【NO.8】
『 月明に 我立つ他は 箒草(ほうきぐさ) 』
季語:箒草(夏)
意味:月明かりに私が立っているほかは箒草しか見えない。
「箒草」とは「帚木」とも呼ばれている植物のことで、ほうきを作るのに使われていました。こんもりとした生え方をするため、月明かりという薄暗さでは周りがよく見えない様子を表しています。
【NO.9】
『 汗ばみて 加賀強情の 血ありけり 』
季語:汗(夏)
意味:汗ばんでいると、父の生地である加賀の強情な人柄の血が流れているのだなぁと感じる。
作者は東京生まれですが、父親は加賀の生まれであると言われています。「汗ばんで」としか表現されていませんが、熱論を交わしあっている最中を詠んだものかもしれません。
【NO.10】
『 夏痩せて 釘散らしたる 中にをり 』
季語:夏痩せ(夏)
意味:夏になって痩せているが、釘が一面に散っている中に立っている。
この句は作者の後期の作品と言われています。年をとって道具箱の釘をばらまいてしまい、自身も老いたなぁという感慨を「夏痩せ」という季語に託しているとも考えられている句です。
【NO.11】
『 長靴に 腰埋め野分の 老教師 』
季語:野分(秋)
意味:長靴に腰を埋めるようにして台風の様子を探る老いた教師だ。
長靴と詠まれていますが、描写からして腰まで覆う胴付長靴と呼ばれるものでしょう。台風の被害を確認するために外回りをしている教師たちの苦労が読み取れます。
【NO.12】
『 季すぎし 西瓜を音も なく食へり 』
季語:西瓜(秋)
意味:季節が過ぎたスイカを音もなく食べている。
スイカを食べる時は「シャクシャク」という音がしそうですが、ここでは季節外れのスイカで音もしない様子を詠んでいます。スイカは少しでも悪くなると弾力が出てきてしまうので、そういった意味での「季すぎし」なのかもしれません。
【NO.13】
『 今年より 吾子の硯の ありて洗ふ 』
季語:硯(のありて)洗ふ/硯洗(秋)
意味:今年から我が子の硯を洗う日々が始まるのだ。
「硯洗」が季語になります。七夕の前日に硯を洗って字がうまくなるように願う風習で、我が子が字の練習をする年齢になったという嬉しさが感じられる句です。
【NO.14】
『 鳥渡る 旅にゐて猶 旅を恋ふ 』
季語:鳥渡る(秋)
意味:渡り鳥が飛んでいくこの時期に旅に出ていると、旅の途中なのにまた旅が恋しくなる。
秋の旅路の途中にもかかわらず次の旅が恋しくなっている様子を詠んでいます。この句は作者の死の前年の句で、それまでの旅を思い返して旅が恋しくなっている心情を詠んだと言われています。
【NO.15】
『 子等に試験 なき菊月の われ愉し(たのし) 』
季語:菊月(秋)
意味:生徒たちに試験がない菊月は、教師の私も楽しいのだ。
ここで詠まれている「子等」とは自分の子ではなく、学校の生徒たちです。試験の作成や採点、補習など忙しい仕事がないため、先生たちも楽なのでしょう。
【NO.16】
『 火を焚くや 枯野の沖を 誰か過ぐ 』
季語:枯野(冬)
意味:火を焚いていると、枯野の向こう側を誰かが横切っていった。
枯れ野を海に例え、遠くに誰かが歩いている様子を沖と表現しています。火を焚いていたのは寒さからかキャンプのような娯楽のためか、いろいろな想像がふくらむ句です。
【NO.17】
『 霜掃きし 箒しばらく して倒る 』
季語:霜(冬)
意味:霜を掃いた箒がしばらくして倒れる音が響いた。
冬の静かな朝の中で箒が倒れるという、静けさを破る音を詠んだ句です。冬の朝の静けさと取るか、朝になって気温が上がりゆるんでいく空気と取るか、さまざまな解釈が可能になっています。
【NO.18】
『 遠い木が 見えてくる夕 十二月 』
季語:十二月(冬)
意味:遠い木が見えてくる夕方だ。今はもう十二月になった。
冬になると空気が澄み、遠くまで見渡すことができます。夕焼けも雲ひとつなくまさに焼けるような色をしていて、遠くにあった木がはっきり見えてくるという十二月の風景を詠んだ句です。
【NO.19】
『 今思へば 皆遠火事の ごとくなり 』
季語:火事(冬)
意味:今思うと、みんな遠くに見える火事のようである。
この句は2000年の年末に作られました。その年に友人を2人亡くしている作者が、2人との思い出や別れが続いた1年間を思い返している一句です。
【NO.20】
『 数へ日の 素うどんに身の あたたまり 』
季語:数へ日(冬)
意味:年末まで残り少ない日々であるが、素うどんを食べると体があたたまるなぁ。
「数へ日」とは年末まで残り少ない日数であることです。寒く忙しい時期だからこそ素うどんの素朴なおいしさとあたたかさが身に染みています。
以上、能村登四郎の有名俳句20選でした!
今回は、能村登四郎の作風や人物像、有名俳句を20句ご紹介しました。
能村登四郎は40年におよんだ教師生活や、3つの句集それぞれで作風が変わる多彩な才能を発揮した俳人です。
明治大正期の近代俳句とはまた違った現代俳句の創始者の1人でもあるので、ぜひ句集を読んでみてください。