【金剛の露ひとつぶや石の上】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞(作者の心情や魅力)など徹底解説!!

 

五・七・五というわずか十七音に、四季の美しさや詠み手の情景をこめる「俳句」。

 

限られた文字数の中で、風景や心情を詠みこむという広がりを持った表現が魅力です。

 

今回は数ある名句の中から【金剛の露ひとつぶや石の上という川端茅舎の句を紹介していきます。

 

 

「金剛」とはどういった意味をもつ言葉なのか、またこの句が詠まれた背景とはどのようなものだったのでしょうか。

 

本記事では、金剛の露ひとつぶや石の上」の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきます。

 

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ぜひ参考にしてください。

 

「金剛の露ひとつぶや石の上」の作者や季語・意味

 

金剛の 露ひとつぶや 石の上

(読み方:こんごうの つゆひとつぶや いしのうえ)

 

この句の作者は「(かわばたぼうしゃ)」です。

 

(川端茅舎 出典:俳誌『六分儀』

 

川端茅舎は大正・昭和の俳人で、若くから病を患い病床俳句を紡ぎました。花鳥諷詠の態度を貫き、仏教やキリスト教の精神を土台とした句風は「茅舎浄土」と称されています。

 

「松本たかし」「中村草田男」などともに「四S」以降のホトトギスの代表的俳人として活躍しました。

 

 

季語

この句に含まれている季語は「露」で、季節は「秋」を表します。

 

露は万葉集以来、実に多くの和歌や俳句に詠まれてきました。

 

日の光にあたるとたちまち乾いて消えてしまうことから、儚いもの」の例えとして扱われています。

 

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大気が冷えてくると水蒸気が凝結し、草葉や地上のものに水滴となって現れます。これが露であり、夏の終わりから晩秋にかけて多く見られるため、秋の季語として用いられています。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「石の上に降りた一粒の露。儚いはずでありながら、金剛石のように堅固で気高く、確実なものとして美しく輝いている。」

 

という意味になります。

 

金剛(こんごう)とは、「金属の中で最も堅いもの」「堅固で破れないもの」を意味します。

 

「金剛の露ひとつぶや石の上」が詠まれた背景

 

詠みこまれた情景を解釈するには、妻子もなく長い闘病生活を送った茅舎の人生を知ることが必要です。

 

茅舎は30歳を過ぎて結核を発病し、脊髄カリエスに悩まされ、10年にわたる長い闘病生活を続けました。

 

当時結核は「死の病」と恐れられ、脊髄が結核菌におかされる脊髄カリエスは、長期間にわたり背中や腰に痛みが生じる病気です。

 

絶望の淵に立たされていた茅舎ですが、病床においても数々の名句を残しています。

 

この「金剛の露ひとつぶや石の上」も昭和6年(1931年)、茅舎34歳のときの句です。俳句結社師『ホトトギス』(昭和612月号)で巻頭にも選ばれました。

 

茅舎は病む人生を生きながら、儚さを象徴する「露」に特別な思いを抱いていました。

 

おそらく、日があたればたちまち消えてしまう露に、自分自身を重ね合わせて見ていたことでしょう。

 

第一句集『川端茅舎句集』には、「金剛の」の句を含め、26もの露を詠んだ句が収められています。他にも露を季題とすることが多かったことから、「露の茅舎」とも呼ばれていました。

 

この句もほんの束の間の現象ではあるものの、まるで金剛のような硬質の輝きをみせる、一粒の露の美しさを描いています。

 

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儚さだけを強調するのではなく、生命感みなぎる力強さを感じさせます。

 

「金剛の露ひとつぶや石の上」の表現技法

「露ひとつぶや」の切れ字「や」(二句切れ)

切れ字とは「かな・けり・や」などの語で、文としての切れ目である句切れや作者の感動の中心を表します。

 

今回の句は、「露ひとつぶや」部分の「や」が切れ字に当たります。

 

「や」は詠嘆の意味が込められており、「露がひとつぶあることだよ・・・」と訳すことができます。

 

また二句目に切れ字が用いられていることから、この句は「二句切れ」となります。

 

「石の上」の体言止め

体言止めとは、文末を助詞や助動詞ではなく、体言(名詞・代名詞)で結ぶ表現方法です。

 

文を断ち切ることで言葉が強調され、「余韻・余情を持たせる」「リズム感をつける」効果があります。

 

今回の句では、下五の「石の上」には体言止めが用いられています。

 

この句も体言止めにより、「石の上」という場所や状態がより強調されています。

 

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もろい存在の露が、金剛のような硬いきらめきを放つのは、「石の上」だからこそ可能なのです。「草の上」のであれば生まれなかった句でしょう。

 

露を金剛に例えた隠喩表現

隠喩とは、「~のようだ」「~ごとし」といった語を使わずに、物事を例える表現技法です。

 

「金剛の露ひとつぶや」には、「まるで金剛のような一粒の露だなぁ・・・」を意味しています。

 

露という極めてはかなげな存在に、「金剛」という堅固で凛然とした言葉で比喩することにより、確実性をもたらしています。

 

「金剛」と「露」の取り合わせ

取り合わせとは、季節を表す語とそれ以外の関連性のない語を組み合わせる表現技法です。

 

あえて意外な言葉を合わせることで、句の情景に広がりを持たせる効果があります。

 

小さく消えやすい「露」とこの世で最も強靭で確かな「金剛」は、正反対の存在です。この異なる二つの世界が相乗効果を発揮し、句に深い味わいをもたらしています。

 

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「石の上」という固い基盤を得ることで、二度とない露の硬質な輝きを捉えた一句です。

 

「金剛の露ひとつぶや石の上」の鑑賞文(作者の心情や魅力)

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全身を病魔に冒され、露のように危うくもろい自分自身と冷静に向き合い続けた茅舎。

 

硬い石の上で、やがて消えてしまうはずの儚い露が、金剛のように光り輝く様子は、彼が求め続けた救いが描かれているようです。

 

上五の「金剛」とは元は仏教用語で、「最も硬い金属」もしくは一説にダイヤモンドを意味するといわれています。

 

硬い石の上にあって、さらに石よりも強固なものの形容として「金剛」を用いたところが、この句の最大の魅力といえるでしょう。

 

石の上におちた露の一瞬のきらめきを写生的に詠みながら、仏教世界が入り混じる不思議な雰囲気を醸し出しています。

 

また、この句には動詞や形容詞がほとんど省かれているのも特徴です。

 

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「金剛」「露」「ひとつぶ」「石の上」といった名詞をうまく並べ、露の燦然たる美しさをありありと表した素晴らしい名句です。

 

知っておきたい!露に関する有名俳句【5選】

 

「露」は、万葉集の頃から季節や人生の儚さを象徴する季題として使用されてきました。

 

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ここでは、「露」に関するさまざまな有名俳句を紹介していきます。

 

 

【NO.1】松尾芭蕉

『 今日よりは 書付消さん 笠の露 』

季語:露(秋)

意味:今日からは書付を消さないといけないなぁ、笠に露が転がっていく。

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この句は『おくのほそ道』で同行していた弟子と別れることになり、「同行二人」と笠に書き付けていた文字を消さないといけないと嘆いている句です。「笠の露」という描写が、露で文字が消されていく作者本人の悲しみを物語っています。

 

【NO.2】小林一茶

『 露の世は 露の世ながら さりながら 』

季語:露(秋)

意味:この世は露のように儚いものだとわかっていたのに。

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この句は『この句は、作者が子供を亡くした時に詠まれた一句です。この世は露のように儚いものだとわかっていたのに、それでも可愛い我が子には生きていて欲しかったという気持ちが、「露の世」を繰り返している様子から伝わってきます。

 

【NO.3】正岡子規

『 芋の葉に 月のころがる 夜露哉 』

季語:夜露(秋)

意味:芋の葉に月のような夜露が転がっているなぁ。

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芋の葉は露を球体のまま弾きます。そのため、夜露が転がっていく様子が月のように美しいと詠んでいる一句です。月光を受けてほのかに輝く月のような露が芋の葉を転がり落ちる一瞬を捉えたような一瞬を切り取った、写真のような描写になっています。

 

【NO.4】飯田蛇笏

『 芋の露 連山影を 正うす 』

季語:露(秋)

意味:芋の葉の上に露がある。露は連山の姿を整然と映し出している。

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この句に詠まれた「連山」とは南アルプス山脈のことです。「芋の露」という目の前のミクロな世界と、「連山」というマクロな世界が同時に表現されており、対比によってダイナミックな風景を表しています。花鳥風月の写実を試みるホトトギス派に相応しい一句です。

 

【NO.5】加藤楸邨

『 猫と生(な)れ 人間と生(な)れ 露に歩す 』

季語:露(秋)

意味:猫として生まれようと、人間として生まれようと、この露のような儚い世界を歩くことに違いはないのだ。

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猫として生まれても人間として生まれても、結局は露のように儚い世界をどうにか歩いていくしかないのだという、人生の内面に深く切り込んだ一句です。作者はこのような個人や人間の内面を描写する「人間探求派」と呼ばれる俳句を多く詠んでおり、この句もその世界観によく沿っています。

 

作者「川端茅舎」の生涯を簡単に紹介!

 

川端茅舎(18971941年)は、東京都日本橋に生まれ、本名を信一(のぶかず)と言います。

 

父親の影響で、幼い頃から俳句や絵画、宗教に親しんできました。異母兄弟で12歳年上の兄・龍子(りゅうし)は画家として独立しており、やがて茅舎自身も画家を志すようになります。

 

父とともに17歳の頃から句作をするようになり、「茅舎」という俳号を名乗りはじめます。俳句雑誌『ホトトギス』や『キラヽ』(後の『雲母』)で活躍する俳人たちに強い影響を受けていました。

 

西洋絵画を志した茅舎は、白樺派の岸田劉生に師事し、俳人としても画家としても才能を発揮していきます。禅僧などの影響を受け、京都・東福寺の正覚庵で修行をするかたわら、絵や句の製作に没頭します。

 

これらの経験により茅舎の詠む句には、仏教の教養や絵画で培われた写生力が加わり、独特の世界観を展開して行きました。

 

しかし昭和4年に劉生が死去し、自身も病に冒されていたことから画道の夢を断ち、俳句に専念するようになります。投句を続けていた『ホトトギス』では、巻頭をかざるまでになり代表俳人として活躍しました。

 

その後高浜虚子の愛弟子になり、俳句の実力も認められていましたが、昭和16年に病の悪化により44歳という短い生涯を閉じました。

 

 

川端茅舎のそのほかの俳句

 

  • 一枚の餅のごとくに雪残る
  • ぜんまいののの字ばかりの寂光土
  • 約束の寒の土筆を煮て下さい
  • 咳き込めば我火の玉のごとくなり
  • 朴散華即ちしれぬ行方かな