【カブトムシ地球を損なわずに歩く】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

現代俳句のなかには、環境保全をテーマにしている句も数多く存在します。

 

過去には環境省が、未来を生きる若者へ環境保全の大切さを伝えるために、「未来への五七五メッセージ」を募集したこともあります。

 

今回は地球環境を題材にした有名な句「カブトムシ地球を損なわずに歩く」をご紹介します。

 

 

本記事では、「カブトムシ地球を損なわずに歩く」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、俳句を勉強する際にお役立てください。

 

「カブトムシ地球を損なわずに歩く」の俳句の季語・意味・詠まれた背景

 

カブトムシ 地球を損なわずに歩く

読み方:カブトムシ ちきゅうをそこなわずにあるく)

 

この俳句の作者は「宇田喜代子(うだ きよこ)」です。

 

宇多喜代子さんは、現代俳句を代表する俳人のひとりであり、催事や農事などをテーマにした句作が得意です。新興俳句特有の伸びやかな技法を持ち味としており、紫綬褒章、現代俳句大賞、日本芸術院賞などの数々の賞を受賞しています。

 

季語

この句の季語は「カブトムシ」、季節は「夏(三夏)」です。

 

「三夏」は一年のなかで、もっとも日差しが強く暑さが厳しくなる夏を表現する言葉です。

 

旧暦では夏を初夏・仲夏・晩夏と、あえて3つに区分していたことから、これらを総称して「三夏」と呼んでいました。旧暦と新暦では、約1ヶ月のズレがあるため、旧暦による「三夏」は、現在の5月〜7月頃を指します。

 

しかし、現代ではそのような厳格な概念も薄れており、「カブトムシ」は6月〜8月を表す季語としても使われています。

 

意味

 

この句を現代語訳すると・・・

 

「カブトムシさえも地球を損なわずに歩いている」

 

という意味になります。

 

この句をストレートに現代語に訳すと、意味が曖昧に感じられるかもしれません。

 

キーポイントは「カブトムシ」が、昆虫のなかでも大きな生き物であること。「昆虫のなかで体が大きなカブトムシさえ、地面にその足跡を残すことなく歩いている」という意味です。

 

「カブトムシに限らずに、昆虫はその身一つで生命を全うするため、地球環境を傷つけることはない」というニュアンスが含まれています。

 

この句が詠まれた時代背景

 

この句は『里山歳時記田んぼのまわりで』に収録されていますが、作品がつくられた具体的な年月日に関しては分かりません。

 

宇多喜代子が俳句をはじめたのは1953年。『里山歳時記田んぼのまわりで』が刊行されたのが2004年です。

 

戦後復興で産業活動が活発化するなかで、公害や地球温暖化などの新たなる課題が論点となった時代です。

 

この句は「のしのしと歩くカブトムシでさえも地球を傷つけることはない」という意味なので、これらの環境問題を題材にした句であると理解できます。

 

「生涯をその身一つで生き抜くカブトムシは、地球を傷つけることはないが、それに比べて私たち人間は自分達で地球環境を崩壊している」と、読者に伝えたいのでしょう。

 

「カブトムシ地球を損なわずに歩く」の表現技法

句またがり

句またがりとは、文節の切れ目を575の基本のリズムで切るのではなく、文節の意味が成立するところで区切ることを言います。独特のリズムを付けることで、強調したい部分を強める働きがあります。

 

こちらの句は中八音の「地球を損なわずに」が下三音「歩く」にまたがっています。

 

この句では「歩く」という動詞で文末を結んだ結果、カブトムシがのしのしと力強く前に進む情景が読者にしっかりと伝わってきます。

 

俳句は「五七五」のリズムで詠むというルールがある一方で、このように定型に当てはめずに句作する「自由律俳句」も存在します。特に、現代俳句の作品は「自由律」で詠まれている句が多く、作者の持ち味や感性の鋭さが的確に表現されています。

 

字余りと字足らず 

この句の中句「地球を損なわずに」は8音で字余り、下句「歩く」は3音のため字足らずです。

 

字余り・字足らずを使用することで、「五七五」の定型とは明らかにリズムが違うため、読者が違和感を感じます。これにより、作者が表現したい情景や心情を浮かび上がらせて、インパクトのある作品が出来上がります。

 

この句のような中八音の俳句は、バランスが非常に取りづらいとされていますが、こちらはリズムが良く、全体の調和が取れている句と言えるでしょう。

 

「カブトムシ地球を損なわずに歩く」の鑑賞文

 

この俳句の意味を知るには、カブトムシがどのような昆虫であるか知らないことには、その内容を理解できません。

 

カブトムシは「昆虫の王様」とも呼ばれているほど、夏を代表する虫のなかでもとりわけ体が大きく、立派なツノを持った生き物です。その歩く姿さえも、のしのしと大地を踏みしめるような貫禄が感じられます。

 

そのような体が大きく、のしのしと歩いているカブトムシでさえも地面をへこますなど、地球を傷つけることなく歩いている様子が詠まれている作品です。

 

生命を全うするのに、自分の身一つしか生きる術のない昆虫の潔さも感じ取れます。

 

さらに、この句を深く読解すると、人間は自分達が生きるために地球を破壊しているという「皮肉なニュアンス」も含まれているとも受け取れるでしょう。

 

作者「宇多喜代子」の生涯を簡単にご紹介!

(宇多喜代子 出典:Wikipedia

 

宇多喜代子(うだ きよこ)さんは、1935年(昭和10年)に山口県徳山市(現在の周防市)に生まれました。

 

兵庫県にある短期大学を卒業した後、1953年に俳人遠山麦浪の影響を受けて俳句をはじめました。

 

麦浪の没後は、前田正治が主催する「獅林」に入会。その後「草宛」の創刊にあたり、その才能を認められて編集長を務めました。「草宛」では桂信子に師事し、新興俳句のやわらかい表現に魅了されていきました。

 

その後、坪内稔典が率いる「現代俳句」に参加して、稔典特有の軽快なリズムと誰にでも分かる簡単な表現などからも強い影響を受けました。

 

また、俳人達だけではなく、作家中上健次や熊野との交流により、喜代子特有の句風が確立されたと言われています。喜代子の作品は新興俳句の伸びやかな表現と、伝統的な俳句の技法を織り交ぜた句風が特徴です。

 

喜代子氏は大阪俳句研究会の理事や現代俳句協会などの会長を務めた経歴があるほか、現代俳句協会賞、現代俳句大賞、日本芸術院賞をはじめとする数多くの賞を受賞しています。

 

宇多喜代子のその他の作品

 

  • 天皇の白髪にこそ夏の月
  • いつしかに余り苗にも耳や舌
  • あきざくら咽喉に穴あく情死かな
  • いしぶみの表裏に雨意の百舌鳥
  • うたがえば近景に目の青鷹(もろかえり)
  • すさまじき水のしむ歯に似非の神
  • たっぷりと泣き初鰹食ひにゆく
  • たっぷりと冬芽や四十五本の木
  • ひとところ盛り上がりたり蛇の水