【石田波郷の俳句36選】代表作(有名句)はこれ!!俳句の特徴や人物像など徹底解説!

 

世界中の人々から愛され、親しまれている日本の伝統芸能「俳句」。

 

五七五のわずか17音で綴られた物語は、時代を経て現代の私たちの心に響きます。

 

今回は、青春を感じさせる叙情句や人間探求派で有名な「石田波郷」の代表作品(有名俳句)を紹介していきます。

 

 

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有名俳句を紹介する前に、まずは石田波郷の人物像や作風を簡単に解説していきます。

 

石田波郷の人物像と作風

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(石田波郷 出典:Wikipedia)

 

石田波郷(いしだはきょう)は、昭和6年(1931年)に 愛媛県で生まれました。本名は「哲大(てつひろ)」と言います。

 

県立松山中学校校(現在の県立松山東高等学校)の時に同級生の勧めで句作を始め、村上霽月の「今出吟社」句会に参加します。

 

明治大学文芸科入学を機に、水原秋桜子主宰の俳誌「馬酔木(あしび)」に投句を始めその後編集に関わり、秋桜子門下の代表的俳人となりました。

 

波郷の作品は、初期の頃は青春あふれるものが多く、31歳の頃に結核を患い闘病生活を送るようになってからは人間性を詠んだものが多く残されています。

 

生涯に渡って入退院を繰り返し、晩年は自らの闘病生活を見つめた句が多いのが特徴です。

 

そんな波郷の作品は「人間探求派」と呼ばれ、現在でも多くの人々に親しまれています。

 

 

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次に、波郷が詠んだ数多くの俳句の中から、季節(春夏秋冬)別に代表的な作品を紹介していきます。

 

石田波郷の有名俳句・代表作【36選】

(石田波郷 画像引用:EEKの紀行 春夏秋冬

春の俳句9選

 

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バスを待つ間、ぼんやりと待っている間にふと感じたことを詠んだ一句です。春が来ていることは疑いようがないと確信し、春の訪れに気づいた生き生きとした気持ちが伝わってきますね。

 

【NO.2】

『 初蝶や 吾が三十の 袖袂 』

季語:初蝶(春)

現代語訳:あぁ、この春初めて見る蝶(初蝶)だ。自分も三十路。袖から袂を羽にしてみたりして…。

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初蝶の舞っている様子が目に浮んできます。作者は着物の袖や袂を風に吹かれながら野に立ち、初蝶を見ています。三十路になった作者の感慨が伝わってくる一句です。

 

【NO.3】

『 立春の 米こぼれおり 葛西橋 』

季語:立春(春)

現代語訳:今日は立春だ。葛西橋を歩いていると、米粒がところどころに落ちているのを見つけたよ。

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この句が詠まれた和21年といえば、戦後、物資の著しく欠乏した時代であり、橋のところどころにこぼれていた米粒の白さは、鮮烈に作者の眼に焼き付いたのに違いありません。また、ごく庶民的な、買い出しに行き来する橋である「葛西橋」をテーマとしているところが面白いですね。

 

【NO.4】

『 はこべらや 焦土のいろの 雀ども 』

季語:はこべら(春)

現代語訳:ハコベがぽつぽつと咲いている焼け野原に、地面と同じ色(焦土のいろ)にすすけたスズメが群がっているよ。

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焼け野原となった荒野のところどころに、白いハコベの小花が揺れていて、それをついばむ雀たちの姿が描かれています。戦争で何もなくなってしまったところでも、自然は強く、変わらない営みを続けている、ということを表現したかったのかもしれませんね。

 

【NO.5】

『 春宵(しゅんしょう)や セロリを削る 細身の刃  』

季語:春宵(春)

現代語訳:春のまだ夜も明けきらない宵に、セロリを細身の刃で削っている。

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朝食の仕込みなのか、夜も明けないうちからセロリを料理しています。なんてことのない日常の風景ですが、細身の刃物で黙々とセロリを薄切りしていく様子にどこか凄みを感じる句です。

 

【NO.6】

『 夜桜や うらわかき月 本郷に 』

季語:夜桜(春)

現代語訳:夜桜が咲いているなぁ。私のようにうら若き月が本郷の地で輝いている。

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「本郷」とは東京都にある地名で、作者が大学時代を過ごした地に近い場所にあります。「うらわかき」が月と自分自身にかかっている一句です。

 

【NO.7】

『 きらきらと 八十八夜の 雨墓に 』

季語:八十八夜(春)

現代語訳:きらきらと光るような八十八夜の雨がお墓に降り注いでいる。

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「八十八夜」とは立春から数えて88日目のことで52日頃のことです。冷たい雨ではなく暖かく心地よい雨であることが「きらきら」という表現からも伝わってきます。

 

【NO.8】

『 勿忘草(わすれなぐさ) 若者の墓標 ばかりなり 』

季語:勿忘草(春)

現代語訳:勿忘草が咲いている。見渡すと若者の墓標ばかりが広がっている。

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「勿忘草」とは中世ドイツの物語が名前の由来で、若者たちの悲恋を扱っています。名前の由来である若者たちとともに、戦争で失われた若い命を思って詠んだ句と言われています。

 

【NO.9】

『 梅の香や 吸ふ前に息は 深く吐け 』

季語:梅(春)

現代語訳:梅の花の香りがする。吸う前に息は深く吐いておいた方がいい。

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香りを堪能するためにまずは息を深く吐いてから吸いなさい、という日常の動作を詠んだ句です。何事にもまず一旦深呼吸をしようという作者の実感も含まれています。

 

夏の俳句9選

 

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先に行く友人たちがいるため、一人でも迷うことなく目的地へたどり着くことができるという安心感が伝わってきます。「泉」という言葉が、清涼感を感じさせてくれます。

 

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街の中央にある公園の噴水でしょうか。その噴水からしぶきが上がり、周囲に涼しい風が吹きすさんでいる様子が目に浮かびます。噴水のしぶきが太陽の光できらきらと輝き、爽やかさを感じます。

 

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夜になっても「色鮮やかな若葉の緑」と言い切ってしまうことで、生命力みなぎる暑い夏を表現しています。また、句の中に「プラタナス」という外国語を使うことで、都会生活への憧れが感じられます。

 

【NO.4】

『 六月の 女すわれる 荒筵 』

季語:六月(夏)

現代語訳:六月のある日、戦争ですべてが焼き尽くされ、何も残っていない「荒筵(あらむしろ)」に、女が一人座っているよ。

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戦後、焼け跡の地で春を売って生業としている女性をテーマに詠んだ句といわれています。大胆に、人間の生命力のすさまじさを鷲掴みに表現した力強い一句です。

 

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「吹流し」とは鯉のほかに掲げられる5つの色を使った布のことです。作者の息子が生まれた時に詠まれたと言われており、息子を雀に例えて風にも負けないように大きく育って欲しいという願いが込められています。

 

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この句の「父子」とは作者と作者の息子のことです。息子の誕生日が端午の節句である55日に近く、節句の祝いと誕生日が近づいてきてそわそわしている様子を詠んでいます。

 

【NO.7】

『 西日中 電車のどこか 掴みて居り 』

季語:西日(夏)

現代語訳:西日が差し込む中で、みんな電車のどこかを掴んで立っている。

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帰りの通勤電車の様子を詠んだ句です。つり革や手すりに掴まれるとは限らず、体が倒れないように「どこか」を掴むほど混雑している様子が伝わってきます。

 

【NO.8】

『 手花火を 命継ぐ如 燃やすなり 』

季語:手花火(夏)

現代語訳:手で持って遊ぶ花火を、命を継ぐかのように燃やしている。

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この句は作者が肺結核で闘病していた時期に詠まれた句です。すぐに燃え尽きてしまう花火を絶やさぬように、次々と燃やし続ける凄みを感じます。

 

【NO.9】

『 雷の下 キヤベツ抱きて 走り出す 』

季語:雷(夏)

現代語訳:雷が鳴っている下でキャベツを抱えて走り出す。

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キャベツの収穫をしていたところ急に雷が鳴り出したのか、あわてて抱えて走っている様子を詠んだ句です。敗戦直後に詠まれたとされていて、食べ物を大事にしている様子が「抱きて」という表現から伝わってきます。

 

秋の俳句9選

 

【NO.1】

『 吹きおこる 秋風鶴を あゆましむ 』

季語:秋風(秋)

現代語訳:突然吹きおこった秋風に押されるかのように、鶴が歩き出したよ。

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秋風が少し勢いよく吹きだし、その少し勢いのある秋風に後ろから押されて思わず鶴が歩き出す様子が目に浮かぶようです。ある秋の日の鶴のいる光景が生き生きと描かれています。

 

【NO.2】

『 雁(かりがね)や のこるものみな 美しき 』

季語:雁(秋)

現代語訳:夕空を一群の雁が鳴きながら渡っていったよ。残される皆様は、本当に素晴らしい方々ばかりであったと、今更ながら思います。

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この句は、石川波郷が出征前に詠んだといわれています。雁も夕映えも、人も家族も故郷も、もう二度と見ることはないのかもしれないとなると、すべてが美しく感じる…そんな思いを込めて詠んだのではないでしょうか。

 

【NO.3】

『 今生は 病む生なりき 烏頭(とりかぶと) 』

季語:烏頭(秋)

現代語訳:自分の一生は病んでいる期間の方が多かった。どうか鳥頭よ、私の病に効いておくれよ。

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烏頭は猛毒の成分を含む漢方の生薬で、猛毒が薬と表裏一体をなし、自分の病にはどう効果があるものかと、憂いています。鮮やかな烏頭の花の色と、療養に明け暮れ、生死隣り合わせの自身の半生を重ね合わせているように読み取れます。

 

【NO.4】

『 朝顔の 紺の彼方の 夕日かな 』

季語:朝顔(秋)

現代語訳:朝顔の紺色の彼方に、過ぎ去った日々のことを思い浮かべる夕暮れどきだよ。

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石田波郷が29歳の時に詠んだ作品です。朝顔の紺色は未来永劫変わらないけれど、人間の心は変わらざるを得ないといった心の揺れが、朝顔の紺色(不変のもの)と対比されて伝わってきます。

 

【NO.5】

『 七夕竹 惜命の文字 隠れなし 』

季語:七夕竹(秋)

現代語訳:七夕の竹につるされた短冊には、「惜命」の文字が隠れずにはっきりと見える。

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作者か肺結核で入院していた病院で見た七夕の風景です。「快癒」ではなく命を惜しむ言葉が書かれているところから、当時の結核への恐怖が伺えます。

 

【NO.6】

『 栗食むや 若く悲しき 背を曲げて 』

季語:栗(秋)

現代語訳:クリを食べているのだろう。若者が悲しそうに背を曲げている。

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背を曲げて皮を剥きながらクリを食べる様子を「悲しき」と表現している一句です。戦後の食料難を詠んでいるともされていて、若者が必死に命を繋いでいる様子を表しているという説もあります。

 

【NO.7】

『 露草の瑠璃 十薬(どくだみ)の白 繁り合へ 』

季語:露草(秋)

現代語訳:露草の瑠璃色とドクダミの白い色が共に繁栄している。

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この句は作者が結婚した時に詠まれた句です。もう一句結婚について詠まれた句にも「露草」が登場するため、奥さんを「露草」に、自分を「ドクダミ」に例えていることが伺えます。

 

【NO.8】

『 うそ寒き ラヂオや麺麭(パン)を 焦がしけり 』

季語:うそ寒き(秋)

現代語訳:何となく寒くなってきた朝にラジオを聞いていたら、うっかりパンを焦がしてしまった。

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「うそ寒き」とは「薄寒い」の表現の1つで、少しずつ寒くなっていく様子を表しています。ラジオに気を取られていたらパンが焦げてしまったという日常の朝を詠んだ句です。

 

【NO.9】

『 草負うて 男もどりぬ 星祭 』

季語:星祭(秋)

現代語訳:草を背負って男が戻ってきた七夕の夜だ。

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「星祭」とは七夕のことです。七夕はさまざまな行事が行われますが、この句で詠まれている「男」はいつも通り草を刈って仕事をして戻ってきたようです。

 

冬の俳句9選

 

【NO.1】

『 霜柱 俳句は切字 響きけり 』

季語:霜柱(冬)

現代語訳:霜柱は柱が折れることによって音が響くが、俳句はやはり「切字」で余韻を奏でる。

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霜柱の音の響きは「霜の柱が切れる」ことによって生まれます。これに対し、俳句は切字を使うことによって言葉と言葉の間に「間合い」が生まれます。霜柱と切字といった何も関係のないもの同士をあえて対比させているところが面白い一句です。

 

【NO.2】

『 霜の墓 抱き起されし とき見たり 』

季語:霜(冬)

現代語訳:病に寝込む我が身が抱き起され、その時墓を見た。

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抱き起されたのは墓か、それとも波郷自身かと物議を醸した俳句です。文法上は「抱き起こされる」のは墓になりますので、「自らが抱き起された」と解釈するのは無理があることはいうまでもありませんが、波郷の置かれた状況を考えると、抱き起されたのでは墓ではなく自分自身であると考えるのが自然の流れなのではないでしょうか。

 

【NO.3】

『 雪はしづかに ゆたかにはやし 屍室(かばねしつ) 』

季語:雪(冬)

現代語訳:しんしんと静かに降り積もる雪よ、あちらには死者が眠る屍室が見える。

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結核手術による長期入院中の作品です。「屍室」は、病室から見える位置にあったようで、死者をテーマとする波郷晩年の代表作の一つです。「しづかにゆたかにはやし」は降る雪の様子を表していますが、「屍室」とも響き合っています。死者の冥福を祈っているようでもあるし、人の死は自然界では些細な現象にすぎないことを自らに言い聞かせるように表現しようとしているようでもあります。

 

【NO.4】

『 綿虫や そこは屍の 出でゆく門 』

季語:綿虫(冬)

現代語訳:あそこにいるのは綿虫かなぁ。そちらの門は屍(死んだ者)が出て行く扉だ。

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結核手術のため、長期で入院していたころに詠まれた作品です。「私もその門をくぐることになるのかもしれない」と言っているようであり、一方で「私は生者として正門から出て行くのだ」と自分に言い聞かせているようでもあります。この二つの間を揺れている感じを綿なのか虫なのか曖昧な「綿虫」が象徴しています。

 

【NO.5】

『 焼跡に 透きとほりけり 寒の水 』

季語:寒の水(冬)

現代語訳:戦争が終わって、焼け跡に見える寒の水は一層透きとおって見える。

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「寒の水」とは小寒の頃の水のことで、神秘的な力があるとされてお酒や餅つきに使われていました。焼け跡という非日常の中で見る水がこの上なく透き通って見えたという作者のやるせない心情を詠んだ句です。

 

【NO.6】

『 いつも来る 綿虫のころ 深大寺 』

季語:綿虫(冬)

現代語訳:いつも綿虫が飛ぶ頃に来ている深大寺だ。

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この句は晩年に肺結核が快癒したときに詠まれた句で、闘病中には「綿虫や そこは屍の 出でゆく門」と詠んでいました。綿虫の飛んでいる時の儚さを命に例えている句ですが、前者と後者では受ける印象が全く違う句になっています。

 

【NO.7】

『 年の夜や めざめて仰ぐ 星ひとつ 』

季語:年の夜(冬)

現代語訳:大晦日の夜だ。目が覚めて夜空を仰ぎ見ると、星が1つ輝いている。

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大晦日の夜は年明けを待つために夜更かしをしがちですが、うたた寝をして起きた時の一句かもしれません。冬の夜空は星がよく見えるため、一際輝く星が印象に残ったのでしょう。

 

【NO.8】

『 衰ふや 一椀おもき 小正月 』

季語:小正月(新年)

現代語訳:衰えたことだなぁ。茶碗も重く感じる小正月だ。

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作者は長年肺結核に悩まされて闘病生活を送っていました。小正月のお祝いの料理の椀も重く感じてしまう自分自身の衰えを嘆いています。

 

【NO.9】

『 寒卵 薔薇色させる 朝ありぬ 』

季語:寒卵(冬)

現代語訳:寒の中にニワトリが産んだ卵が、バラ色に染まる朝があったなぁ。

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「寒卵」とは寒の間に産まれた卵で、栄養価が最も高いと言われていました。白い卵の殻がバラ色に染まる夜明けを回想した句だと言われています。

 

さいごに

 

今回は、石田波郷が残した俳句の中でも特に有名な作品を現代語に訳し、そこに込められた意味など簡単な感想を紹介してきました。

 

石田波郷の作品は「青春あふれるもの」や「人間性を詠んだもの」が多いと言われています。

 

そして、晩年の作品は死と向き合った人間味あふれる作品が中心となっています。どの句も奥深く、魅力的なものばかりです。

 

今回紹介した俳句以外にも多くの句を残していますので、石田波郷について気になった方はぜひ調べてみてください。

 

 

俳句仙人

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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