五・七・五のわずか十七音で、読み手の情景や心情を表現する「俳句」。
俳句というと、「侘び」や「さび」といった趣ある感性や美意識が詠みこまれているものと思う方もいらっしゃるでしょう。
しかし中には、親しみやすく瑞々しい感性と浪漫に満ちた句も数多く存在します。
今回はその中から【星空へ店より林檎あふれをり】という句をご紹介します。
星空へ
店より林檎
あふれをり
橋本多佳子#折々のうたー春夏秋冬ー冬 #紅糸 #橋本多佳子 pic.twitter.com/y7sf9UITja
— 菜花 咲子 (@nanohanasakiko2) December 10, 2018
作者はどのような背景でこの句を詠んだのか、またこめられた心情とはどのようなものだったのでしょうか?
本記事では、【星空へ店より林檎あふれをり】の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「星空へ店より林檎あふれをり」の季語や意味・詠まれた背景
星空へ 店より林檎 あふれをり
(読み方:ほしぞらへ みせよりりんご あふれおり)
この句の作者は「橋本多佳子(はしもと たかこ)」です。
戦後俳壇を代表する女性俳人で、この句は第三句集『紅絲 』に収録されています。
多佳子は女性が持つ哀しみや不安、内側に秘められた感覚を、女性ならではの視点で情感豊かに表現しました。
季語
この句に含まれている季語は「林檎」で、季節は「秋」を表します。
林檎は秋を代表する果物の一つで、紅玉やふじ、国光、デリシャスなど多くの品種があります。果実の赤色が特徴で、鮮やかさを意識した句が多く詠まれています。
「林檎」だけでは秋を表す季語ですが、林檎の状態によっては他の四季を表すこともあります。
例えば・・・ほのかに紅を帯びた白い「林檎の花」は「春」を、まだ色づく前の未熟な「青林檎」は「夏」を表す季語となります。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「澄み切った夜空には星が瞬いている。店先に積まれた林檎が、この星空へといっぱいに溢れだしているようだなぁ」
となります。
この句が詠まれた背景
この句は、橋本多佳子が昭和24年の終戦直後に詠んだ作品になります。
当時の日本は戦争によって大きな痛手をこうむりましたが、くじけず立ち上がろうとする時代でした。
現代の生活では考えられない光景ですが、敗戦直後の町にはネオンや電灯といった明かりはほとんどありません。
そんな町だからこそ、果物店から溢れる淡い黄色い明かりや、うず高く積まれた真っ赤な林檎、頭上に広がる紺色の星空までも明確に見ることができるのです。
どこか童話的な世界観を持ちながら、色彩豊かに情景が詠みこまれています。
また当時、並木路子が歌う「リンゴの唄」(昭和20年)という楽曲が、「終戦後の日本人の心を勇気付ける歌」として爆発的に流行していました。
そんな背景も踏まえ、この句に詠まれた「林檎」には、日本の未来や人々の希望が象徴されているように感じます。
赤く鮮やかに輝く林檎を眺め、苦しい生活の中でも多佳子の心はいっぱいに満ち足りたことでしょう。
「星空へ店より林檎あふれをり」の表現技法
「あふれをり」の切れ字「をり」(句切れなし)
切れ字とは句の流れを断ち切り、作者の感動の中心を効果的に表す語を指します。
「や」「かな」「けり」は代表的なものとしてよく知られていますが、他にもたくさんの切れ字が存在します。
この句で使われている「あふれをり」にも、詠嘆の意味を表す「をり」が使われています。
「をり」は、同じ詠嘆を表す「けり」に比べ、柔らかい印象を持つ切れ字です。
「林檎」に「あふれをり」と繋げることで、「林檎があふれていることだなぁ・・・」と余韻を持った終わり方を表しています。
また、切れ字が含まれる句、もしくは句点「。」がつく場所を句切れといいます。今回の句は末尾に切れ字がついているので、「句切れなし」と呼びます。
「林檎あふれをり」の隠喩表現
隠喩とは、「~のようだ」「~ごとし」といった語を使わずに、物事を例える表現技法のことです。
この句でも隠喩が使われており、「店先に山盛りになった林檎が星空へと溢れ出す」と例えました。
その光景は、林檎が次々と夜空へ浮かんでいき、そのまま星に混じりきらきらと輝いているように感じられます。
比喩表現を使うことで句のイメージがより広がっていきます。
「星空へ店より林檎あふれをり」の鑑賞文
「よく磨かれた林檎が店先で山盛りに積まれている」という日常のありふれた光景から、星空へまで溢れ出ているようだと詠む多佳子の感性が際立つ名句です。
澄み渡った秋の夜空は、星の輝きもいっそう美しく感じたことでしょう。対比するように描かれた鮮やかな林檎が目に浮かびます。
また、「へ」と「より」に注目すると、林檎から夜空へと視線が移っていくのが分かります。
ただ「軒先に積まれた林檎」をイメージすると、多くの方は見下ろす視線で思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし、この句ではカメラのアングルは地上に近いところに置かれており、林檎から仰ぎ見る形で星空が描かれています。
つまり、地上にある林檎と天にある星空を「美しく輝くもの」として同一の視界で捉えている点に、この句の面白さが感じられます。
さらに「あふれをり」とつけることで、ただ置かれているに過ぎない林檎に、ダイナミックな「動き」が加えられています。
多佳子はこうした視点の角度や動きをつける句を得意としていました。
作者「橋本多佳子」の生涯を簡単にご紹介!
橋本多佳子(1899~1963年)は、「中村汀女」「星野立子」「三橋鷹女」とともに「四T」と称された、昭和を代表する女流俳人です。
東京市本郷区(現在の東京都文京区)の生まれで、本名を多満(たま)といいます。18歳の頃、建築家・実業家の橋本豊次郎と結婚し、4人の子どもを儲けました。
福岡県に櫓山荘を建築し移り住んだ後、高浜虚子を迎えての句会をきっかけに俳句に目覚めました。夫の勧めにより、杉田久女から俳句の手ほどきを受けます。
その後山口誓子に師事し、「馬酔木」の同人となりました。本格的に俳句にのめり込んでいった多佳子は、大胆な構図と女性らしい繊細な感性を表現し、注目を集めました。
また多佳子は美貌の俳人としても知られていました。小説家の松本清張は、50歳近い多佳子とはじめて対面した際、三十過ぎくらいにしか見えないとし、「髪は豊かで、面長ながら下膨れ、通った鼻筋とひきしまった唇が美しい」などと絶賛しています。
戦後俳壇の女流スターとなった多佳子ですが、64歳の頃肝臓、胆嚢癌によりこの世を去りました。
多佳子忌
俳人・橋本多佳子の1963年5月29日の忌日。
いとけなく
植田となりて
なびきをり pic.twitter.com/xtU03ODEwq— 久延毘古⛩陶 皇紀2679年令和元年師走 (@amtr1117) May 28, 2019
橋本多佳子のそのほかの俳句