【阿波野青畝の有名俳句 20選】ホトトギス四Sの一人!!人物像や代表作などを紹介!

 

俳句は、五七五といった短いリズムが心地よく、日本の美や心情を伝えるものとして今日でも人気が高い文学です。

 

今回は、抒情的な句を多く残し昭和の俳人の代表といわれた「阿波野青畝(あわの せいほ)」が詠んだ名句を20句ご紹介します。

 

 

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ぜひ参考にしてください。

 

阿波野青畝の人物像や作風

 

阿波野青畝(あわの せいほ)は、明治32210日、奈良県高市郡高取町にて橋本家の四男として生まれました。本名は橋本敏雄といいます。青畝は、幼少の時に耳を患い難聴となります。

 

父は八木銀行高取支店長を勤め、士族の家系という裕福な家庭で育ちました。

 

青畝は、奈良県立畝傍(うねび)中学(現奈良県立畝傍高等学校)に在学中、県立郡山中学で英語の教師をしていた「ホトトギス」同人の原田浜人から俳句を学びます。そして原田浜人宅で開催されていた句会で高浜虚子と出会い、師弟の間柄となりました。

 

難聴のため高校へ進学せず、八木銀行に入行。青畝は進学をあきらめた苦しみを癒すため読書に没頭しましたが、この経験が後の抒情的な句を作り出す元となったとされています。

 

 

その後、青畝は25歳の若さ「ホトトギス」の課題句選者となりました。水原秋櫻子、山口誓子、高野素十と共に『ホトトギス』の4Sと称され俳句会で活躍し、俳句界の黄金時代を築きました。

 

そして32歳で第1句集「萬両」を発行し、さらに俳句界で注目を浴びるようになります。48歳の時にはカトリック入信しました。

 

蛇笏賞など様々な賞を受賞・多くの句集を残し、「長生きは徳でっせ」と自らを語っていた青畝は、平成3年心不全のため93歳で亡くなりました。

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阿波野青畝は、五七五の中に生活感のあるしみじみとした抒情を詠っています。
自身の難聴、そして生前に妻二人や娘を亡くすなど様々な苦労を経験した青畝の俳句には、誠実で温かみを感じさせられるものが多く、今日でも多くの人々に親しまれています。

 

阿波野青畝の有名俳句・代表作【20選】

 

【NO.1】

『 虫の灯に 読み昂(たかぶ)りぬ 耳しひ児(ご) 』

季語:虫の灯(夏)

意味:虫が寄ってくる灯のもとで、読書にひたっている耳が聞こえないこどもがいることだ。

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この句は、青畝が19歳の時に詠んだとされており、青畝の生家の中庭に句碑が建てられています。

「虫の灯」とは、夏の夜灯に集まってくる蛾などの虫のことです。

「耳しひ児」とは、耳が聞こえない子どものことで、青畝自身のことを表してしています。

幼いころから耳の疾患による難聴のため、青畝は進学をあきらめ読書にひたすら浸っていました。

青畝の聞こえないことへの苦悩がひしひしと伝わってきます。

【NO.2】

『 葛城の 山懐に 寝釈迦かな 』

季語:寝釈迦(春)

意味:葛城山のふところに寝釈迦があることだ。

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「かつらぎの やまふところに ねしゃかかな」と読みます。

この句は、青畝が29歳の頃の作品です。

「寝釈迦」とは春の季語で、陰暦二月十五日に日本各地の寺院で行われる法法会で掲げられる、釈迦が入滅したときの寝姿を画いた絵のことです。

「葛城山」は奈良県と大阪府の境にある山々の総称で、修験道の最古の霊場とされています。

この句では、春を迎えた葛城山が、寝釈迦を腕に抱いているかのようだと詠うことで神秘的な広がりを読み手に想像させます。

【NO.3】

『 大空に 長き能登あり お花畑 』

季語:お花畑(夏)

意味:大空に長く伸びる能登半島がある、お花畑だ。

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「お花畑」は夏の季語で、高山植物の花が咲き誇る様子のことです。

「能登」とは、北陸地方の中央付近から日本海に突き出た、海に囲まれた半島のことで、作者は夏のお花畑から能登半島を眺めているのでしょう。

大空に向かって長く伸びる能登半島の美しい情景が浮かんできます。

【NO.4】

『 蟻地獄 みな生きてゐる 伽藍(がらん)かな 』

季語:蟻地獄(夏)

意味:蟻地獄がみな生きている伽藍であることだ。

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蟻地獄は「うすばかげろう」の幼虫のことです。砂の中に作った巣に落ちてきた蟻などの小さな昆虫を捕食することから、「蟻地獄」と名づけられました。

「伽藍」とは、寺の建物の総称のことです。

寺の軒下の乾いた土には、蟻地獄の巣がいくつもあったのでしょう。土の中で、獲物が来るのを密かに待つ多くの蟻地獄の様子が伝わってきます。

【NO.5】

『 みのむしの 此奴(こやつ)は萩の 花衣 』

季語:みのむし(秋)

意味:みのむしのこやつは、萩の花衣を着ている。

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此奴とは、人や物に対して、ののしりや親しみをこめて使う言葉で、「花衣」とは、女性が着る美しい着物のことです。

萩の木にとまっている「みのむし」は、枝や葉ではなく萩の花で、蓑(みの)を作っていたのです。

「花衣」のように色づいた「みのむし」は、まるでおしゃれをしているかのようだと面白がる作者の姿が浮かんできます。

【NO.6】

『 ルノアルの 女に毛糸 編ませたし 』

季語:毛糸編む(冬)

意味:ルノアルの女に毛糸を編ませたいことだ。

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「ルノアルの女」とは、フランスの印象派の画家ルノワールが描いた女性のことです。

この句が作られた昭和24年の日本はまだ戦時中で荒んだ空気が流れていました。その中でルノワールが描いた女性は柔らかい暖色で美しく、青畝の心を打ったのでしょう。

「毛糸」の暖かい感触と、「ルノアルの女」の肌の質感の取り合わせが美しい句です。

【NO.7】

『 朝夕が どかとよろしき 残暑かな 』

季語:残暑(初秋)

意味:朝夕がどかとよろしくなる残暑のことだ。

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「残暑」とは、立秋の後に残る暑さのことです。

残暑となってもまだ暑さが残る日の中で、朝夕が涼しくなりすごしやすくなってきたのです。青畝は、その様子を「どかとよろしき」と表現しました。

「どかと」とは、「とてもよい」という意味です。

「どかと」の語によって、「残暑」と「朝夕の涼しさ」の対比が強調されています。

【NO.8】

『 飯にせむ 梅も亭午(ていご)と なりにけり 』

季語:梅(初春)

意味:そろそろ飯にしよう。梅も正午の時間となった。

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亭午とは、正午・真昼のことです。

青畝は上京した折、知人から梅見に誘われ慣れない場所を歩き周ったことを詠った句です。

酒盛りの客を尻目に歩きつづけた青畝達は、空腹でたまらなくなってのでしょう。

正午になり、「どこか飯を食うところはないか」と道行く人に尋ねたくなったのです。

「梅」の情緒を味わうよりも、「飯」を食べたいという正直な気持ちが伝わってきます。

【NO.9】

『 満山の つぼみのままの 躑躅(つつじ)かな 』

季語:躑躅(春)

意味:山全体でつぼみのままのつつじがあることだ。

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躑躅は春に咲く花です。色の種類が多く、古くから人びとに親しまれてきました。

これから咲こうとしている、山全体のつつじのつぼみに着目した句です。

【NO.10】

『 供藷(そなえいも) 眼耳鼻舌身(げんにびぜっしん) 意もなしと 』

季語:藷(秋)

意味:仏様に供えてあるさつま芋を住職に頂いて、全身で味わって全身でおいしかったと喜んだ。

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「眼耳鼻舌身 意もなし」とは、仏教用語「無眼耳鼻舌身意」のことで、「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識といった感覚もない」という意味です。

戦時中、青畝は長円寺に供えられたさつま芋を、住職から頂いたのです。

空腹の中で食べたさつま芋は、全身の全ての感覚がなくなってしまうくらい美味しかったのでしょう。

 

【NO.11】

『 居酒屋の 灯の佇める 雪だるま 』

季語:雪だるま(冬)

意味:居酒屋の灯りにたたずんでいる雪だるまだ。

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この句では、擬人法を用い、「雪だるまが佇んでいる」と表現しています。

作者が夜居酒屋の横を歩いていると、雪だるまがまるで客を呼ぶように店先に立っていたのです。

雪だるまは、その店の店主が作ったものなのでしょうか。ほのぼのとした雪の日の情景が伝わってきます。

【NO.12】

『 息白き 子のひらめかす 叡智(えいち)かな 』

季語:息白き(冬)

意味:息を白く吐く子が光らせる叡智であることだ。

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「息白き」は冬の季語です。「ひらめかす」とは「きらきらと光らせる」という意味です。

作者が道で子どもとすれ違ったとき、その子どもが大人も驚くほどの叡智さを感じる言葉を白い息とともに放ったのでしょう。

「こんな小さな子が」と作者の息をのむような驚きが伝わってきます。

【NO.13】

『 遠花火 この家を出し 姉妹 』

季語:遠花火(夏)

意味:遠くで打ち上げられた花火を見ている。この家を出た姉妹とともに。

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「遠花火」とは、遠くで打ち上げられている花火のことです。

お盆で帰省した娘たちと共に遠花火を見ている作者は、子どもの成長を嬉しく思いながらも、子育てが終わったことへの寂しさも感じているのでしょう。

「遠花火」で始まることにより、この句全体に切ない情景を感じさせる効果を与えています。

【NO.14】

『 住吉に 住みなす空は 花火かな 』

季語:花火(夏)

意味:住吉に住んでいるようなその空には、花火がのぼっていることだ。

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「住吉」「住みなす」と、「住み」の語のリズムが印象的な句です。

「住吉」とは、大阪府大阪市住吉区にある町名で、「住みなす」とは「そこに住んでいる」という意味です。

住吉の空にいっぱいにのぼった花火の様子が浮かんできます。

【NO.15】

『 十六夜(いざよい)の きのふともなく 照らしけり 』

季語:十六夜(秋)

意味:十六夜の月が、昨日のものとは違うことなく照らしていることだ。

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「十六夜」とは、旧暦八月十六日の夜・またはその夜の月のことをいいます。

昨晩は誰かと楽しんでみた月を、今日は1人で眺めているのでしょう。

今晩の「十六夜の月」は昨晩とかわることなく美しく空に輝いているのです。

【NO.16】

『 しろしろと 畠(はたけ)の中の 梅一本 』

季語:梅(初春)

意味:しろしろとした畠の中に、梅の木が一本立っている。

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「しろしろとした畠」とは、雪が積もった畠のことでしょう。

その中に梅の木が一本立っているのです。

「白い畠」と「梅」の取り合わせによって、読み手に絵画を見ているような感覚を味合わせます。

【NO.17】

『 赤のまま 天平雲(てんぴょうぐも)は 天のもの 』

季語:赤のまま(秋)

意味:赤のままが咲いている、天平雲は天のものである。

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「赤のまま」とは、山野や路傍に生え、秋に小粒の紅色の花をつける植物のことです。「赤飯」になぞらえて「赤のまま」と名づけられたとされます。

「天平雲」とは、天上まで雄大にのぼることから、とても縁起がよいものとされる雲のことです。

この句では、「赤のまま」「天平雲」「天」と続くことで、幸運の兆しを示しています。

【NO.18】

『 モジリアニの 女の顔の 案山子(かかし)かな 』

季語:案山子(秋)

意味:モジリアニの女の顔をしている、案山子であることだ。

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「モジリアニの女の顔」とは、アメデオ・モディリアー二の絵画「夫人像」です。

この絵画の女性は卵形の顔に、多きな瞳が印象的ですが、青邨は秋に田に立つ「案山子」の顔を、その女性に似ているとしたのです。

「モジリアニ」と「案山子」の語の取り合わせが面白い句です。

【NO.19】

『 鑑真の 目を玉虫の 走りけり 』

季語:玉虫(夏)

意味:鑑真の目を玉虫が走っていったことだ。

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「鑑真」は、唐招提寺にある『鑑真和上像』のことです。

「玉虫」は、背中に赤紫色の筋があり金緑に光る、甲虫のことです。

この句は、「鑑真」の橡の目に玉虫が走っていった一瞬を、まるで鑑真の目が輝いたように見えたと詠っています。

【NO.20】

『 一軒家より 色がでて 春着(はるぎ)の児 』

季語:春着(新年)

意味:一軒家から色が出るそれは、春着を着た子どもである。

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「春着」とは、女性や子どもが正月に着る晴着のことです。

「一軒家から色が出たのは、春着を着たこどもの色であった」と正月の晴れやかな様子を詠っています。

以上、阿波野青畝が詠んだ有名俳句でした!

 

 

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青邨は難聴を患いながらも、すばらしい写生感覚で日本の風景や人々の心情を詠っています。青邨の俳句からは、人や自然への尊敬、優しさが感じられます。

これから俳句を始める方にも、親しみやすい俳句が多くありますので、ぜひ青邨の俳句を味わってみてください。