
五・七・五の十七音で四季の自然の美しさや、それに伴う感動などを詠みこむ「俳句」。
古典文学にその源泉は求められますが、令和を迎えた現代でも俳句をたしなみ、愛好する人はたくさんいて多くの句が詠まれています。
その中でも、趣味や単なる自己表現を超えた芸術性を持つ句は名句として親しまれています。
今回は国語の教科書でも取り上げられることの多い「滝落ちて群青世界とどろけり」という水原秋桜子の句を紹介していきます。
「群青世界とどろけり」ですね pic.twitter.com/HLU8b48YKT
— 猛省するダライ (@tenma_dalai) November 3, 2015
本記事では、「滝落ちて群青世界とどろけり」の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者について徹底解説していきます。

ぜひ参考にしてみてください。
目次
「滝落ちて群青世界とどろけり」の作者や季語・意味

滝落ちて 群青世界 とどろけり
(読み方:たきおちて ぐんじょうせかい とどろけり)
こちらの句の作者は「水原秋桜子」です。
(1948年の水原秋桜子 出典:Wikipedia)
大正時代から昭和後期にかけて活躍した俳人です。
高浜虚子に師事し、昭和初期には「ホトトギスの四S」(水原秋桜子、山口誓子、高野素十、阿波野青畝)の一人と称されました。
季語
こちらの句の季語は「滝」、季節は夏です。
滝は年中あるものですが、その涼しげなイメージから夏の句に詠みこまれるものとされています。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「滝が力強く滝つぼに向かって落ち、周囲の、青々とした葉をつける木々の広がる森林に水音をとどろかせている。」
という意味になります。
「群青世界」というのは、水原秋桜子の造語です。

滝とそれを取り巻く山深い杉の森林、滝つぼに満ちる青い水と、どこまでも続く青々とした森林が作り上げる空間を「群青世界」と表現しているのです。
この句が詠まれた背景
こちらの句は、水原秋桜子が62歳、昭和29年(1954年)に詠んだ句で「帰心」という句集に収録されています。
この句にある滝は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智滝(なちのたき)です。
(熊野古道 那智大滝 出典:Wikipedia)
那智滝は、那智大滝ともいい、水量、一段の滝としての落差日本一、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産にもなっている名勝です。
滝そのものが熊野那智大社の別宮、飛瀧神社のご神体とされ、古くから神聖な滝とされてきました。

この句は、水原秋桜子の代表作のひとつでファンも多い句です。そのため、この句にちなんで、秋桜子の命日7月17日を群青忌日と呼び、夏の季語となりました。
「滝落ちて群青世界とどろけり」の表現技法

こちらの句で用いられている表現技法は、特にありません。
ちなみに、間違いがちですが、こちらの句は「句切れなし」の句になります。
句切れなし
俳句には、一句の途中で切れるところを持つものがあります。
普通の文でいえば句点「。」がつくところ、「や」「かな」「けり」などの切れ字があるところで切れ、これを「句切れ」と呼びます。切れ字とは、句の作者の感動の中心を表す言葉で、「…だなあ」という詠嘆の意味がこめられます。
この句は、終わりが「けり」となっています。まぎらわしいですが、この「けり」は切れ字ではありません。
動詞「とどろく」の已然形「とどろけ」に、存続の助動詞「り」がついたものです。
しかし、「とどろけり」と言い切る言い方からは激しく音を立てて落ちる滝に対する作者の感動が強く表されています。
終わりまで、この句には切れるところがありません。このような句を「句切れなし」の句と呼びます。

滝つぼに注ぎ込む水のいきおいそのままに、一息に詠みあげられた句です。
「滝落ちて群青世界とどろけり」の鑑賞文

【滝落ちて群青世界とどろけり】の句は、大きな滝とそれを取り囲む森林、深い山の荘厳で神秘的な様子を詠み込んだ壮大な句です。
「群青世界」という言葉は、先ほどもご説明しましたが、秋桜子がこの句を詠むにあたり作った言葉です。
群青とは、深い藍青色を言います。那智大滝の滝つぼに渦巻く深い水の色、熊野の山々の古杉の葉の青さの両方を表しています。
神さびてそびえたつ木々、神宿る滝が混然一体とした神秘的空間を表しています。「ぐんじょうせかい」という音読みの硬質な響きもこの句を引き締めています。
また、「とどろけり」という言葉にある通り、滝は轟音を森林に響かせているのでしょう。力強さを感じさせてくれます。
「群青」から受ける色彩イメージ、「とどろけり」から受ける音響イメージ、五感を刺激してくれる句です。

作者は吸い込まれるような森林と滝の青さに圧倒され、心を震わせているのです。
「滝落ちて群青世界とどろけり」の補足情報

那智の滝について
那智の滝は、一段の滝としては日本一となる133メートルの落差を誇り、岩肌を垂直に流れ落ちる水量は毎秒1トンにも及びます。
また、滝の周囲には古くから禁伐林として保護されてきた那智原始林が広がり、鬱蒼とした木々が神聖な空間をさらに引き立てていて、作者が「群青世界」と称したのはまさにこの原始林のことでしょう。
この滝が持つ意味は、単なる景観の美しさだけではなく、宗教的な意味も強く持っています。
那智の滝は、熊野那智大社の別宮である飛瀧神社のご神体そのものであり、古くからの自然信仰の象徴的な存在です。
滝の飛沫を浴びることで延命長寿の霊験があると信じられており、今も多くの参拝者がそのご利益を求めて訪れます。

壮大な自然が織りなす景観美と、そこに宿る奥深い信仰の歴史が一体となった那智の滝は、訪れる人々の心に深い感動と安らぎを与え続けているのです。
「群青世界」という造語
「群青世界」は作者が作り出した造語であることは広く知られていますが、元となった単語は仏教用語の「金色世界」だと言われています。
これは主に文殊菩薩の浄土のことを表しているとされますが、極楽浄土のことを金色に表現することも多々あります。
「中尊寺金色堂」のようなまさに金色に包まれた仏閣や、かつては金色に輝いていたとされる東大寺の大仏など、仏教と黄金は切っても切れない関係にあるのです。
そのような前提知識を元に作者は「群青世界」という単語を作ったと考えられます。
また、滝の項目でも述べた通り、那智の原始林は変わらぬ植生を保つ静的な場所です。

滝から落ちてくる水の轟音でさえ大昔から繰り返されている営みであることを考えると、那智の滝や原始林、落ちてくる水や滝壺の全てをひっくるめて作者は「群青世界」として、人間が立ち入れる領域ではないと畏れたのかもしれませんね。
作者「水原秋桜子」の生涯を簡単にご紹介!
(1948年の水原秋桜子 出典:Wikipedia)
水原秋桜子の本名は水原豊。明治25年(1892年)生まれ。大正期から昭和にかけて活躍した俳人・歌人です。
その一方で医師でもあり家業である病院を経営し、医科大学で教鞭をとる医学博士でもありました。
水原秋桜子は松根東洋城や高浜虚子らに師事して句作を学びます。
高浜虚子が携わる俳句雑誌「ホトトギス」の同人となり、日本の俳壇を席巻したホトトギス派の中でも特に注目され、ホトトギス派の黄金時代を築き上げた一人でもありました。
しかし、のちに虚子らとの創作の方向性に相違が生まれ、「ホトトギス」を離れることになります。
その後、俳句雑誌「馬酔木」を主宰し、ホトトギス派とは考えを異にする俳人たちと新興俳句運動の流れを生むこととなりました。

そして、水原秋桜子は昭和56年(1981年)88歳で亡くなりました。
水原秋桜子のそのほかの俳句

- 来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
- 啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
- 冬菊のまとふはおのがひかりのみ
- 梨咲くと葛飾の野はとの曇り
- 葛飾や桃の籬も水田べり
- ふるさとの沼のにほひや蛇苺






