五七五の十七音で構成される定型詩「俳句」。
十七音の中に季節を表す季語を詠みこみ、心情や風景を自在に表現します。
今回は、松尾芭蕉の高弟である蕉門十哲に数えられ、『去来抄』という現在でも俳句の研究に欠かせない著書を記した「向井去来(むかい きょらい)」について、人物像や作風、有名俳句を20句ご紹介します。
【今日の名句】向井去来1704.9.10没 「手のうへにかなしく消ゆる蛍かな」 pic.twitter.com/9J9Jxxs9Ob
— jijihesoやまひで (@jijiheso) September 9, 2015
向井去来の人物像や俳句の特徴
(向井去来 出典:Wikipedia)
向井去来(むかい きょらい)は1651(慶安4)年に肥前国、現在の長崎県に生まれました。実家は医師で、去来は武芸を修めたり陰陽道の豊富な知識を持っていたりと、多才な人物です。
1681(貞享元)年に松尾芭蕉と出会い、俳諧の道に進みます。翌年に京都の嵯峨の地に「落柿舎」という庵を建て、芭蕉一門の代表的撰集となった『猿蓑』編纂を任されるなど、芭蕉の信頼厚い高弟となりました。芭蕉からは「関西の俳諧奉行」とも呼ばれ、非常に高い評価を得ていた俳人です。
芭蕉没後は芭蕉の俳句を伝えることに努め、『旅寝論』や『去来抄』など現在でも俳句論において重要な役割を果たす書物を残しましたが、1704(宝永元)年に53歳で亡くなりました。
去来の俳句の特徴は高尚で優雅、清らかで静かという意味の「高雅清寂」という言葉で表されます。芭蕉の一門の真髄とも言える作風ですが、晩年はわかりやすい平明の作風へと変化していったのが特徴です。
芭蕉門人の向井去来の遺跡である落柿舎へ。柿がなっていて、可愛いらしい建物でした。「落下柿注意」との看板がありました。 pic.twitter.com/UBMOtnQH12
— samurai NN (@samuraiNN) December 4, 2015
向井去来の有名俳句・代表作【20選】
【NO.1】
『 何事ぞ 花みる人の 長刀(なががたな) 』
季語:花みる(春)
意味:いったい何事だろうか。花見の客の中に長い刀をさしている人がいる。
江戸時代では職業上、武士と刀はきってもきれない関係です。しかし、花見というおめでたいお祭りの最中にも刀をさしている人がいる、という無粋さを町人の立場で嘆いています。
【NO.2】
『 手をはなつ 中に落ちけり 朧月 』
季語:朧月(春)
意味:手を離す2人の間に朧月が落ちていくようだ。
別れを惜しみながら手を離す2人を客観的に描写しています。朧月を2人の間に詠むことで、離された2人の手がより際立つ見事な表現です。
【NO.3】
『 うごくとも 見えで畑うつ 男かな 』
季語:畑うつ(春)
意味:遠くから見ていると動いていないように見えるけれど、畑が耕されていって色が変わることであの男の人が動いていることがわかるなぁ。
作者は遠いところから畑とそこにいるだろう男性を眺めています。遠くからではよくわからなくても、耕されて黒く色が変わっていく畑を見て、男性が動いていることがわかったという面白い句です。
【NO.4】
『 一昨日は あの山越つ 花盛り 』
季語:花(春)
意味:一昨日はあの山を越えたのだなぁ。咲き始めだった桜が花盛りになっているのが見える。
一昨日という時間の経過が絶妙な俳句です。通ったときはまだ咲き始めだった桜が、振り返って見てみると満開の花に覆われている風景が目に浮かびます。
【NO.5】
『 振舞や 下座になをる 去年の雛 』
季語:雛(春)
意味:今年の雛人形ができたので、新しい雛人形が上座に座り、去年の雛人形は下座に座っている振る舞いであることよ。
この当時の雛人形は紙で作られたものが多く、毎年新調されていました。新しい年の雛人形ができると、去年の雛人形は下座に置かれてしまうという、人間の慣習に合わせた面白さを詠んでいます。
【NO.6】
『 つかみ合ふ こどものたけや 麦畠 』
季語:麦(夏)
意味:お互いをつかみあって遊ぶ子供の背丈が麦畑と同じくらいで、見えたり見えなかったりするなぁ。
麦畑で遊ぶ子供たちの頭が、同じくらいの草丈の麦で見え隠れしている微笑ましい光景を詠んだ句です。収穫期の麦の草丈は1m前後のものが多いため、5歳くらいの男の子たちが遊んでいたのでしょうか。
【NO.7】
『 湖の 水まさりけり 五月雨 』
季語:五月雨(夏)
意味:琵琶湖の水かさが増している。雨が降り続く五月雨の季節だ。
【NO.8】
『 たけの子や 畠隣に 悪太郎 』
季語:たけの子(夏)
意味:タケノコが生えてきたなぁ。畑の隣にいたずらっ子が住んでいるので、いたずらされないか心配だ。
「悪太郎」とはいたずらをする子、乱暴な男性などを表す単語ですが、ここではいたずら好きな子供を詠んでいます。いたずらの心配をしてしまうほど元気な子であることが伝わってくる句です。
【NO.9】
『 蛍火や 吹とばされて 鳰(にお)のやみ 』
季語:蛍(夏)
意味:蛍が舞っているなぁ。湖を渡る風に吹き飛ばされて、蛍がいなくなってまた闇夜に戻ってしまった。
「鳰」とは琵琶湖を意味する「鳰の湖」と意味で使われています。琵琶湖のほとりで舞っていた蛍が、湖の上の風で吹き飛ばされていなくなってしまった様子を詠んだ句です。
【NO.10】
『 立ありく 人にまぎれて すずみかな 』
季語:すずみ(夏)
意味:忙しそうに立ち歩いている人にまぎれて涼んでいることだ。
用事があって往来を歩いている人と、涼むために歩いている自分を対比しています。涼むために往来を闊歩する作者の粋な様子が浮かんでくるようです。
【NO.11】
『 君が手も まじる成べし はな薄(すすき) 』
季語:はな薄(秋)
意味:別れを惜しんで手を振る君の手も、このススキの穂の中にきっと混じっているのだろう。
作者の義理の兄弟との別れを詠んだ句です。ススキの穂しか見えなくなっても、きっとこの穂の中に兄弟の手も混じって見えているはずだという願望が、別れへの寂しさを際立たせています。
【NO.12】
『 柿ぬしや 梢(こずえ)はちかき あらし山 』
季語:柿(秋)
意味:柿の持ち主よ。この木は風がとても強い嵐山の近くにあるぞ。
向井去来の営んだ庵に「落柿舎」があります。この句はその落柿舎の由来となった話の最後に載せられた句です。柿を買っていった商人が、一晩にして実が落ちてしまって返金を求めてきたというエピソードが下地になっています。
【NO.13】
『 秋風や 白木の弓に 弦はらん 』
季語:秋風(秋)
意味:秋風が吹いているなぁ。白木の弓に弦を張ろう。
【NO.14】
『 岩鼻や ここにもひとり 月の客 』
季語:月の客(秋)
意味:岩の先端にいる。ここにも一人月見をする風流人がいるぞ。
作者は当初この句を「月の猿」と詠もうとしていました。自分の他にも猿が月見をしているという意味にしようとしましたが、師匠である松尾芭蕉に「ここにもいるぞと名乗り出た方がいい」とそのままにしておくように指摘されたエピソードがあります。
【NO.15】
『 秋はまづ 目にたつ菊の つぼみ哉 』
季語:菊(秋)
意味:秋になってまず目を引くのは菊のつぼみである。菊の花のつぼみを見ていると、いよいよ秋になったなあと感慨深い。
秋の訪れを菊がつぼみをつけることで実感している一句です。菊は重陽の節句に必須の花だったため、江戸時代は特に関心が高い花でした。
【NO.16】
『 おうおうと いへど敲くや 雪の門 』
季語:雪(冬)
意味:誰かが外で門を叩いているので、「おうおう」と中から答えているが、なお門を叩かれている雪の日の門だ。
寒い雪の中で戸を叩いている客と、暖かい部屋の中で答えている家人の対比を詠んでいます。お互いに気安い関係性だからこそ、答えを返すだけの家人となお戸を叩く客の関係性を表している句です。
【NO.17】
『 鳶(とび)の羽も 刷(かいつくろい)ぬ はつしぐれ 』
季語:はつしぐれ(冬)
意味:鳶の羽も、初時雨を受けて羽繕いをしたように黒々と光っている。
「刷ぬ」とは「かいつくろいぬ」と読み、羽繕いという意味になります。雨に濡れた鳶の羽根の美しさを称えた表現です。
【NO.18】
『 うす壁の 一重は何か としの宿 』
季語:としの宿(冬)
意味:今年も我が家の薄い一重の壁を通過して新年がやってくる。時間とは何なのだろう。
「としの宿」とは年越しをする家のことです。この句は時間という概念を問う句で少し難解ですが、実体を持たずに薄い壁すら通り過ぎていく時間の流れを考えさせます。
【NO.19】
『 尾頭の こころもとなき 海鼠(なまこ)哉 』
季語:海鼠(冬)
意味:どちらが尾か頭かわからない海鼠だなぁ。
海鼠を見てどちらが頭か言い当てられる人は少ないのではないでしょうか。写実的に詠んでいるように見えて、海鼠の面白さを存分に楽しんでいる句です。
【NO.20】
『 月雪の ためにもしたし 門の松 』
季語:門の松(新年)
意味:単なる新年の飾りではなく、月や雪を楽しむために門松を置きたいなぁ。
門松はお正月のための飾りですが、飾っている日に月や雪が出てくれるとは限りません。月夜の門松や雪の降る日の門松を楽しむために、お正月以外でも置けたらいいのに、と風流さを求めています。
以上、向井去来が詠んだ有名俳句でした!
今回は、向井去来の俳句の特徴や人物像、有名な俳句を紹介してきました。
向井去来はその後の俳句論に重要な役割を果たす書物をいくつも残し、さまざまな名句を残しています。
俳句に興味のある方は、『去来抄』などで解説されている去来の俳句を読んでみてはいかがでしょうか。