【川柳と無季俳句の違い】簡単にわかりやすく解説!! 意味や効果・例文など

 

俳句を趣味にしている方のなかには、俳句と同じ575のリズムをもつ「川柳」に興味がある人もいるのではないでしょうか。

 

川柳は季語を必要としませんが、俳句にも季語を使わない「無季俳句」があります。

 

「川柳と無季俳句」には一体どのような違いがあるでしょうか?

 

 

 

そこで今回は、この「川柳と無季俳句の違い」にスポットを当てて、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

リス先生
ぜひ参考にしてみてね!

 

川柳と無季俳句の違い

 

まず、おおまかに大別すると「川柳には季語がない」「俳句には季語がある」という認識が一般的な常識です。

 

しかし、さきほどの序文でも述べたように、俳句には季語のない俳句「無季俳句」というものがあります。

 

では、「川柳」と「無季俳句」の大きな違いはなにかというと、以下の4点があります。

 

【川柳の特徴】

  1. 季語はあってもなくてもどちらでも良い
  2. 口語(話し言葉)
  3. 人情や時勢が主な題材となる
  4. 庶民的でユーモアがある風刺的な表現を用いる
  5. 決まりごとがなく概ね自由

 

【例】 大阪は よいところなり 橋の雨

  • 作者:岸本水府(きしもと-すいふ)
  • 季語:ありません
  • 意味:雨が降る日に見る橋の袂や水面は、別れの涙や悔し涙はたまた喜びの涙など、さまざまな気持ちを映し出しているようで、川柳の題材に困りません。そんな橋が多く存在している大阪の街は、本当にとても良いところです。

【無季俳句の特徴】

  1. 季語がない
  2. 文語調(書き言葉)
  3. 情景や情緒が主な題材となる
  4. 文学的で味わい豊かな風流を感じさせる表現を用いる
  5. 細々としたルールによる縛りが多い

 

【例】 亡き母や 海見る度に 見る度に

  • 作者:小林一茶(こばやし-いっさ)
  • 季語:ありません
  • 意味:生命の源である「母なる海」を見るたびに、そのたびごとに、幼い頃に亡くなった顔すら覚えていない母の朧げな面影を探して、懐かしい思いにとらわれながら海辺に立ち尽くしてしまいます。(注釈:小林一茶は、幼き頃に実母と死別したと言われています)

 

川柳には、人間関係や苦労話などをテーマにした「サラリーマン川柳」、学校生活や友情などをテーマにした「小学生川柳・中学生川柳・高校生川柳」、家族や夫婦をテーマにした「主婦川柳」などがあります。ほかにも、犬や猫などペットとの生活模様などをテーマにしたペット川柳もあります。

 

いずれも、身近な出来事をテーマにしているので比較的難しくはないでしょう。川柳は無季俳句に比べて決まり事も少なく、口語(話し言葉)で詠めるので、いざ取り組んでみると思いのほか自由度が高いです。

 

おすすめ有名川柳【3選】

 

【NO.1】不明

『 孝行の したい時分に 親はなし 』

意味:親孝行がしたいと思った時には、この世から親は去っていて、いくら孝行がしたいと強く願っても、もはや叶うことがありません。

※注釈:古川柳より選定しました。古川柳とは、柄井川柳(からい-せんりゅう)という江戸時代中後期の選者が7音7音で構成される14音の前句を詠み、その14音を題材に5音7音5音の附句を別の人が付けて、ユーモアを競い合うという娯楽的な文芸で、当時の庶民の間で流行しました。なお、柄井川柳は「川柳の始祖」と言われています。

俳句仙人

現在では、ことわざや慣用句としても流布している有名な一文。「親の生きているうちに孝行しておかないと、いずれ後悔することになりますよ」という意味です。長い年月を重ねることで、親心が理解できるようになってきます。そして、親への感謝の気持ちが沸き上がり孝行したいと思うようになります。しかし、もし親が亡くなっていたらどうしようもありません。若さのあまり、いまいち親心が読めなかったとしても、多少の親孝行はしておくべきだなと、しみじみと思いました。

【NO.2】不明

『 盗人を 捕らえて見れば 我が子なり 』

意味:盗人を捕らえて、よくよく顔を見てみれば、なんたることか我が子でした。

※注釈:古川柳より選定しました。

俳句仙人

現在では、ことわざや慣用句としても流布している有名な一文。「あまりにも意外な事柄なので、どうしてよいか処置に困る」または「身近な人や親しい間柄だったとしても油断してはいけない」という意味です。予想していないような思いがけない出来事には、上手く立ち回れずに右往左往しそうな気もしますが、なるべく冷静沈着に行動できたら良いなと思いました。

【NO.3】不明

『 かんざしも 逆手に持てば 恐ろしい 』

意味:かんざしを逆手に持つと、尖った先が凶器になりえるので、恐ろしさを感じます。

※注釈:古川柳より選定しました。

俳句仙人

かんざしは、結い上げた髪や刀の鞘などに使えば素敵な飾りになります。しかし、玉飾りや紐飾りなどが付いていないほうは、なんとなくですけれど形状がアイスピックに似てなくもないような気がするのです。もし逆手にもって人に向けたとしたら、おそらく凶器になることは間違いなさそうに思えます。かんざしは美しく、愛らしさや華やかさが前面に出ているように思っていましたが、ほんのちょっと視点を変えてみれば恐ろしいものに様変わりするのですね。薔薇の花には「美しいものには棘がある」という例えがありますが、それに近い印象を抱きました。

 

おすすめ無季俳句【3選】

【NO.1】松尾芭蕉(まつお-ばしょう)

『 歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな 』

意味:歩いて行くとしたならば杖が必要であろう坂道を、馬に乗ったままで登ってしまったので、ついに落馬してしまいました。

俳句仙人

松尾芭蕉が、江戸から伊賀に帰る途中に詠んだ一句と言われています。舞台となったのは、三重県の四日市から鈴鹿にかけての坂道で、古事記に登場する地名「杖衝坂(つえつきざか)」のことであると推測されています。倭建命(ヤマトタケルノミコト)が杖衝坂を登ったときに、「吾が足は三重の勾がりの如くして、はなはだ疲れたり(私の足は三重に折れ曲がったようになり、たいそう疲れてしまいました)」と言ったという記述があります。よほどの急こう配の坂道だったのでしょう。松尾芭蕉は、たとえ急いでいたとしても、もし面倒だったのだとしても、馬から降りて歩くべきだったと思ってしまいました。

【NO.2】田原坊(たわらぼう)

『 松島や さて松島や 松島や 』

意味: 松島よ。その美しさに見入ってしまいます。さて、この情緒を俳句にしてみましょう。松島よ。松島よ。・・・。

※注釈:二句の「さて松島や」は「ああ松島や」であり、作者は松尾芭蕉であるという俗説もあります。現在は、狂歌師の田原坊が作者というのが定説になっています。

俳句仙人

日本三景に数えられるだけあって、松島の絶景たるもの壮大な眺めです。その美しい景色に感動し、深く胸を打つ情緒を言葉に託して俳句を詠みたいと作者は思ったのでしょう。ところが、あまりにも美しくて、言葉に変えるという陳腐なことができなかったようです。ひたすら、「松島よ、松島よ」と呼びかけては口ごもり、頭をポリポリと掻いてごまかしているような、そんな様子が目に浮かびます。

【NO.3】広瀬惟然(ひろせ-いぜん)

『 水さつと 鳥よふはふは ふうはふは 』

意味:水面ギリギリを颯爽とした雰囲気で横切っていく鳥の、ふわふわふーわふわと悠然と飛んでいる姿に見とれてしまいます。

俳句仙人

子供の頃に、なんども「鳥のように大空を飛んでみたい」と夢見ていました。大人になってからは、人間関係などの窮屈な生活から抜け出したくて「鳥のように飛び去ってしまいたい」と願うことがあります。作者の広瀬惟然も、なんのしがらみもなくゆったりと泳いでいる鳥を、のんびりできていいなぁ・・・と、羨ましく思ったのかもしれませんね。

 

さいごに

 

それでは、さいごに今回のテーマ「川柳と無季俳句の違い」を改めて、本文より抜粋いたします。

【川柳の特徴】

  1. 季語はあってもなくてもどちらでも良い
  2. 口語(話し言葉)
  3. 人情や時勢が主な題材となる
  4. 庶民的でユーモアがある風刺的な表現を用いる
  5. 決まりごとがなく概ね自由

【無季俳句の特徴】

  1. 季語がない
  2. 文語調(書き言葉)
  3. 情景や情緒が主な題材となる
  4. 文学的で味わい豊かな風流を感じさせる表現を用いる
  5. 細々としたルールによる縛りが多い

 

俳句仙人

川柳は俳句を詠む合間にでも、ちょっとしたティータイムにおしゃべりするような感じで、気楽に挑戦してみてはいかがでしょうか。