昭和から平成の初めころまで活躍した俳人「加藤楸邨」。
自己の懊悩や葛藤、社会や人々の生活へのまなざしを俳句に詠み込み、幅広い作風の句を詠んだ俳人です。
今回はそんな加藤楸邨の俳句の中でも特に有名な「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ」という句をご紹介します。
木の葉ふりやまず
いそぐないそぐなよ
加藤楸邨
#折々のうたー春夏秋冬ー秋#起伏#加藤楸邨 pic.twitter.com/eWhIUW5DIK
— 菜花 咲子 (@nanohanasakiko2) September 20, 2018
本記事では、「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ」の季語・意味・詠まれた背景
木の葉ふり やまずいそぐな いそぐなよ
(読み方:このはふり やまずいそぐな いそぐなよ)
こちらの句の作者は「加藤楸邨」です。
「人間探求派」の俳人ともいわれ、自己の内面に向き合った句を多く詠みました。
季語
この句の季語は「木の葉降る」、季節は「冬」です。
【木の葉】は「このは」と読みます。秋を過ぎ冬になって、落葉樹から降るように落ちてくる葉のことを指します。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「はらはら舞い散る木の葉がとまらない。いそぐな、いそぐなよ。」
という意味になります。
この句が生まれた背景
こちらの句は、昭和24年(1949年)の「起伏」という句集に収録されている句になります。
終戦後で、まだ社会も混乱しているころの作です。
加藤楸邨は、このころ肋膜炎を患い、寝たり起きたりの療養生活を送っていました。
句集「起伏」には、病を得た自分の内面に迫る句が多く収められています。
この句も、病を得て思うように動けない自分へのもどかしさや、戦後の復興に向けて動いていく社会に思うところがあったのでしょう。
「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 句またがり
- ひらがなの多用
になります。
句またがり
俳句は、【五音・七音・五音】で作られるのが基本です。
字余り、字足らずなどこのリズムから大きく外れるものを破調と言います。
この句は、意味上の観点から一見すると・・・
「このはふりやまず いそぐな いそぐなよ」
のように、八・四・五になっていて破調の句のように感じます。
しかし、この句は・・
「このはふり やまずいそぐな いそぐなよ」
と、五・七・五のリズムで読み上げられています。
上記のように、文節の終わりと句の切れ目があっていない状態を「句またがり」と言います。
(※文節:意味をこわさない程度に 短く区切った文中の一区切りの言葉のこと。ここでは「このはふりやまず」。)
ひらがなの多用
「ふりやまずいそぐないそぐなよ」とひらがなが多用されていることもこの句の特徴です。
普通であれば「降り止まず急ぐな急ぐなよ」と書きますが、今回はひらがなのみで句が書き上げられています。
ひらがなを多用することで、不安定な雰囲気を句にもたらし、はらはら木の葉が舞い落ちてくる様子、現在の状況への不安などが読み手により感じられるようになっています。
「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ」の鑑賞文
【木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ】は、やむことのない落葉に冬の深まるのを感じ、自己の内面をも見つめようとしている句になります。
句またがりで「いそぐないそぐなよ」と作者は呼び掛けています。
降りやまない木の葉に、そんなに急ぐことはないと呼び掛けているようにも、「自らに生きいそぐな」と呼び掛けているようにも感じられます。
また、木の葉が作者に「いそぐな」と語りかけているという解釈も成り立つでしょう。
破調のようにもみえる大胆な句またがりや「いそぐないそぐなよ」という繰り返しの表現で、焦燥感や不安も感じられます。
この時作者は病床にあり、もどかしさや焦り、先を見通せない不安を感じていたのかもしれません。
作者「加藤楸邨」の生涯を簡単にご紹介!
加藤楸邨は、昭和期から平成初期まで活躍した俳人です。
加藤楸邨(1905-1993)俳人 人間探究派。「鰯雲人に告ぐべきことならず」 #作家の似顔絵 pic.twitter.com/uHnN9aQIzF
— イクタケマコト:イラストレーター (@m_ikutake2) September 8, 2014
本名を健雄(たけお)、明治38年(1905)に生まれました。
若いころから苦労人でした。
生活のために進学をあきらめたこともありつつも、働きながら学びます。職場の同僚に勧められて句作をはじめ、その後水原秋桜子に師事。
師の勧めによって、働きながら東大に通うなど向学心をもってひたむきな努力を続けました。
戦争では空襲にあって、家財、蔵書、原稿の一切を失い、戦後は病を得て長期の療養生活を送りました。
石田波郷、中村草田男らとならび、「人間探求派」の俳人とも称される加藤楸邨ですが、「俳句の中に人間を生かす」ことを大切に、幅広い作風で俳句を詠み続けました。
平成5年(1993年)に亡くなりました。享年88歳でした。
加藤楸邨のそのほかの俳句
- 燕はや帰りて山河音もなし
- 鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる
- 寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃
- 鰯雲人に告ぐべきことならず
- 蟇(ひきがへる)誰かものいへ声かぎり
- 隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな
- 火の奥に牡丹崩るるさまを見つ
- 雉の眸(め)のかうかうとして売られけり
- たんぽぽのぽぽと綿毛のたちにけり