【外にも出よ触るるばかりに春の月】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

古来より受け継がれてきた伝統文芸の一つである「俳句」。

 

俳句と聞けば、高尚で難解なイメージがあり、老人が楽しむ趣味と敬遠する方もいらっしゃるでしょう。

 

名句と呼ばれる中にも、身のまわりにある風物をわかりやすい表現で詠んだ名句が数多く残されています。

 

今回はそんな名句の中でも【外にも出よ触るるばかりに春の月】という中村汀女の句を紹介していきます。

 

 

作者はどのような背景でこの句を詠んだのか、またこめられた心情とはどのようなものだったのでしょうか。

 

本記事では、【外にも出よ触るるばかりに春の月】の季語や意味・作者など徹底解説していきます。

 

俳句仙人

ぜひ参考にしてみてください。

 

「外にも出よ触るるばかりに春の月」の俳句の季語や意味・詠まれた背景

 

外にも出よ 触るるばかりに 春の月

(読み方:とにもでよ ふるるばかりに はるのつき)

 

この句の作者は「中村汀女(なかむらていじょ)」です。

 

(1948年の中村汀女 出典:Wikipedia

 

中村汀女は明治時代生まれ、高浜虚子に師事し、昭和時代に活躍した女流俳人の第一人者です。

 

この句は句集「花影」に収められています。

 

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汀女が詠む句には日々の生活を詠んだものも多く、女性ならではの視点で情感豊かに表現しました。

 

季語

この句に含まれている季語は「春の月」で、季節は「春」を表します。

 

「月」という単語だけでは、一年で最も美しく輝いて見えることから秋の季語になります。そこに「春の」とつけることで、春の季節に見られる月を意味します。

 

春は大気中の水蒸気の量が増え、微細な水滴が空気中に漂うことから、あらゆるものが霞んで見えます。

 

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澄み渡った秋の月に比べ、おぼろげに見える春の月はどこか情緒的な雰囲気がします。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「外に出てごらんなさい。手を伸ばせば触れられそうなほどの春の月がある。」

 

となります。

 

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「外」は、 古語では「と」と読みます。

 

この句が詠まれた背景

この句は、昭和21年、中村汀女が敗戦間も無い時期に詠まれた句です。長い戦争がやっと終わり、安心感からくる心の弾みが感じ取れます。

 

汀女の長女・小川濤美子によると、この句は買出しの帰り、立ち寄った知人宅からの帰り際に見た春月を詠んだと言われています。

 

多くの日本人がそうであったように、当時の暮らしは決して楽なものではありませんでした。家は戦火を免れたものの、夫は職をなくし、小さな子供たちを抱えての苦しい生活を送っていました。

 

食料調達のため女流作家たちと買出しに行き、その帰りに陶芸家宅へ立ち寄っています。しかし汀女には家庭があるため長居ができず、後ろ髪を引かれる思いで外に出ました。

 

そこにハッと息を飲むほど間近に昇ってきた月の大きさに驚き、思わず家の中に残っていた仲間に向けて「外に出よ」と呼びかけたものだといいます。

 

しかし、この句を詠む限りではこうした背景までは読み取れません。

 

実際に「外にでてごらん」と呼びかけた相手は、心を同じくする仲間たちでしたが、しばしば自身の家族に向けて詠んだ句と鑑賞されています。

 

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俳句の世界では、忠実に事実に沿った解釈が必要というわけではなく、読み手によって解釈が異なるところが魅力だといえるでしょう。

 

「外にも出よ触るるばかりに春の月」の表現技法

「触るるばかりに」の直喩

直喩とは、「たとえば」「ようだ」など、例えを表す語を用いて比喩を表現する技法のことです。

 

この句でははっきりと比喩を表す「~ばかりに」が含まれていることから、「まるで手が届いてしまいそうなほど」と訳すことができます。

 

月の大きさを「触るるばかりに」と捉えたのも、女性ならではの感受性が垣間見えます。

 

汀女が見たおぼろげで間近に迫る美しい月が、私達の目にも浮かび上がってくるようです。

 

「春の月」の体言止め

この句の下五には、「春の月」という名詞で結ばれています。

 

こうした表現を体言止めといい、文末を体言(名詞・代名詞)で終わることで言葉が強調され、その後に余韻を残す効果があります。

 

体言止めにすることで、触れんばかりの潤んだ美しい月にいたく感動した汀女の心情が強調されています。

 

「外にも出よ」という表現

「外にも出よ」には、意味を強める表現が使われています。

 

現代語訳すると「外に出てごらんなさいよ!」となり、目の前に迫る大きな月に興奮した様子や若々しい素直さが溢れています。

 

また「出よ」と命令形をとっていることから、家の中にいる我が子たちへ呼びかけているようにも詠みとれます。

 

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この美しい月を子ども達にも見せてあげたいと願う、優しい母の表情も感じられます。

 

「外にも出よ触るるばかりに春の月」の鑑賞文

 

汀女は日々の暮らしの中で感じたことを、女性ならではの慎ましやかな気持ちで十七文字に表してきました。

 

この句にも、穏やかな春の夜に見られた幸せな家族のひとときが描かれています。

 

母親が呼びかけると家の中で遊ぶ小さな子供たちが急いで外に飛び出していきます。家族みんなで空に上る大きな月に見入り、言葉を交し合っているのでしょうか。

 

子ども達の驚きやにぎやかな歓声が聞こえてくるようです。

 

現代の家庭では母親と子供の日常的なありようも変わりつつありますが、この句にはどこか懐かしさを感じさせる、日本の原風景ともいえるような句です。

 

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また、ほのぼのとした情景の中にも戦争という非日常を経験し、家族全員が無事に過ごせる時間の貴重さをかみ締めているようにも思えます。

 

知っておきたい!春の月に関する有名俳句【5選】

 

月といえば秋の季語ですが、昔から「秋の月はさやけきを賞で、春の月は朧なるを賞づ」と言われています。

 

秋の月とはひと味違う春の月を、俳人たちはどのように詠んだのでしょうか。

 

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ここでは、「春の月」に関する有名俳句を5句紹介していきます。

【NO.1】森川許六

『 清水の 上から出たり 春の月 』

季語:春の月(春)

意味:清水寺の上から春の月が出ている。

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清水寺という観光名所の上から春の月が出ているという写真のような一句です。清水寺は現在のようにライトアップされているわけではないので、月が唯一の光源だったことでしょう。ふわりと照らし出す幻想的な光景が目に浮かびます。

 

【NO.2】小林一茶

『 浅川や 鍋すすぐ手に 春の月 』

季語:春の月(春)

意味:浅い川で鍋をすすぐ手に春の月が映り込む。

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川で洗い物をしている最中に水面に春の月が映りこんだ様子を詠んだ句です。作者の生きた江戸時代では「小鍋立て」など1人用の鍋でいろいろな材料を煮込む料理が流行していて、夕食が小鍋立てだったのでしょう。食べ終わって洗っている手を春の月が照らしています。

 

【NO.3】水原秋桜子

『 暮雪(ぼせつ)飛び 風鳴りやがて 春の月 』

季語:春の月(春)

意味:夕方に積もった雪が飛び、風が鳴り、やがて春の月が姿をあらわした。

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「暮雪」とは夕方に降る雪のことです。夕方に積もった雪が鳴るような勢いで吹いている風に吹き飛ばされ、雲も晴れてやがて春の月が顔を出すという映像のような一句になっています。

 

【NO.4】松本たかし

『 春月の 病めるが如く 黄なるかな 』

季語:春月(春)

意味:春の月の病気のような黄色であることだ。

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月の色と言われると、白く輝く様子を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。実際には気象条件などにより赤や黄色にも見えます。ここでは黄色い月を「まるで病気のようだ」と表現しているのが独特な句です。まるで顔色を伺うように、普段の色とは違うことに注目しています。

 

【NO.5】富安風生

『 蹴あげたる 鞠のごとくに 春の月 』

季語:春の月(春)

意味:蹴り上げた鞠のように丸い春の月だ。

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鞠遊びは昔からよく遊ばれていますが、ここではわざわざ「蹴あげたる」と指定されています。地面に落として弾ませる遊びではなく蹴鞠のように空に向かって蹴りあげる遊びを指定することで、ふと見上げた空に鞠のようにまん丸な月が昇っていることをわかりやすく表現している一句です。

 

作者「中村汀女」の生涯を簡単に紹介!

(1948年の中村汀女 出典:Wikipedia

 

中村汀女(19001988年)は、「星野立子」「橋本多佳子」「三橋鷹女」とともに「四T」と称された女流俳人です。

 

汀女は熊本県の出身で、本名を破魔子(はまこ)といいました。

 

県立高等女学校を卒業して間もない18歳の師走の頃、日課の玄関掃除をしていてふと詠んだ句「吾に返り見直す隅に寒菊紅し」が絶賛されました。これが汀女の俳句を始めるきっかけとなります。

 

20歳の頃に結婚し、夫の転勤とともに東京、横浜、仙台、名古屋などを日本各地を転々とします。三人の子どもを儲け、子育てに追われ中、句作を中断したこともありました。再開後は高浜虚子に師事し、俳句雑誌『ホトトギス』同人となります。

 

この時代、俳句の世界では男性優位が続き、女性が詠む俳句は「台所俳句」だと蔑まれ、鑑賞するに値しないとまで言われていました。

 

そんな中、汀女は「それでよし」と毅然に受け止め、主婦としての日常を詠む姿勢を貫き通しています。

 

『汀女自画像』の中でも、「私たち普通の女性の職場ともいえるのは家庭であるし、仕事の中心は台所である。そこからの取材がなぜいけないのか」と、強く訴えかけました。

 

汀女は穏やかな良妻賢母の顔だけでなく、周囲の目を気にすることの無い気丈さを併せ持つ女性だったと伺えます。

 

後の女流俳人にも大きな影響を与えた汀女ですが、88歳の頃、東京女子医科大学病院で心不全によりこの世を去りました。

 

 

中村汀女のそのほかの俳句