【跳び箱の突き手一瞬冬が来る】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

俳句は、短い言葉に万感の思いを込めることのできる日本が誇る短形詩です。

 

昔ながらの俳句もあれば、現代的な感覚を印象的な言葉で詠み込んだ句も多く詠まれています。

 

今回は数ある現代名句の中から友岡子郷の句跳び箱の突き手一瞬冬が来る」をご紹介します。

 

 

本記事では、跳び箱の突き手一瞬冬が来る」の季語や意味・表現技法・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「跳び箱の突き手一瞬冬が来る」の作者や季語・意味

 

跳び箱の 突き手一瞬 冬が来る

(読み方:とびばこの つきていっしゅん ふゆがくる)

 

こちらの句の作者は「友岡子郷」(ともおかしきょう)です。昭和から平成、現在も活躍している俳人です。

 

季語

この句の季語は「冬」です。

 

「冬が来る」とあることから、作者は冬の到来を感じ取っていることが分かります。つまり、この句が詠まれたのは、晩秋から冬にうつろう頃です。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「跳び箱を跳ぼうと手をついたその瞬間、ふと冬の訪れを感じ取ったことだ。」

 

という意味になります。

 

友岡子郷の俳風

この句は友岡子郷の第二句集「日の径」に収録されている句です。この句集の刊行は昭和55(1980)です。

 

句集「日の径」には、師である飯田龍太の文章が寄せられています。

 

「俳壇の前途にかすかな不安をおぼえるとき。

あるいはまた、量が質を上廻って堕落の危険を感ずるとき。

私は、ひそかに何人かのひとを思い浮べて、こころを明るい方へひき戻そうとする。

友岡子郷はそのなかのひとりである。

子郷さんの作品には、木洩日のような繊(ほそ)さと勁(つよ)さと、そしてやさしさがある。

人知れぬきびしい鍛錬を重ねながら、苦渋のあとを止めないためか。

これでは俳句が、おのずから好意を示したくなるのも無理はないと思う。」

(引用:朔出版

 

飯田龍太は、俳人飯田蛇笏の息子です。飯田蛇笏は俳壇の巨頭・高浜虚子に師事し、郷土山梨の風土を愛して抒情性豊かな格調高い句を多く詠んだ俳人です。息子龍太もその流れを汲み、美しい句を多く詠みました。

 

友岡子郷もその流れを汲む俳人で、しなやかで抒情性のある句を得意としています。

 

「跳び箱の突き手一瞬冬が来る」の句は昭和の後期に詠まれたものですが、時代を感じさせない普遍性がある句で、友岡子郷の代表作と言われています。また、立冬のころの句としても代表的な作品です。

 

「跳び箱の突き手一瞬冬が来る」の表現技法

句切れなし

一句の中で、意味の上、リズムの上で大きく切れるところを句切れと呼びます。普通の文でいえば句点「。」がつくところで切れます。

 

この句は途中で切れるところはありませんので、「句切れなし」の句となります。

 

跳び箱を跳ぶ一連の流れが途切れることなく一句で表現されています。

 

省略

省略とは、文章の中の言葉を省き、読み手に推測させることで余韻を残す表現技法です。短い言葉で表現する俳句では頻繁に用いられる技法です。

 

この句の「突き手一瞬冬が来る」は、「手を突いたその瞬間に、冬が来るのを感じ取った」と言うことです。

 

「感じ取った」という言葉は俳句中にはありません。冬の到来を感覚的にとらえたことを印象的に伝えています。

 

「跳び箱の突き手一瞬冬が来る」の鑑賞文

 

【跳び箱の突き手一瞬冬が来る】は、躍動感の中に繊細な感覚も感じられる句となっています。

 

助走をつけタイミングを計って跳躍し、手を突いて跳び箱を跳びこえる。その一連の動作の中で、手を突く間という本当にわずかな時間を切り取って一句に仕立てています。

 

一連の動きの中の一瞬を静止画のように詠むことでかえっ躍動感を感じさせる句です。

 

また、「一瞬」という時間を「冬」という長い時間にリンクさせて詠んだところにもこの句の特徴です。

 

「冬が来る」と作者が感じ取ったということは、気温が低く、手を突いた跳び箱が思いのほか冷え切っていて、空気が冴えて感じられたのでしょう。

 

跳び箱をうまく跳ぼうという緊張感や、しなやかな躍動感、しんと冷えて澄んだあたりの空気感もよく伝わってきます。

 

作者「友岡子郷」の生涯を簡単にご紹介!

 

友岡子郷(本名・友岡清)は、昭和9(1934)兵庫県神戸市生まれの俳人です。

 

学生時代から高浜虚子の俳句雑誌「ホトトギス」に投句していました。のちに、飯田龍太に師事しています。

 

小学生のころ、太平洋戦争、そして終戦を迎えています。戦争で親族も亡くしました。

 

軍国教育から民主主義の教育へと、国の方向性、教育の在り方が大きく転換する時期に多感な少年時代を過ごしたことになります。

 

2009年、『友岡子郷俳句集成』で第24回詩歌文学館賞を受賞していますが、その受賞に際し、

 

 軍国少年たれが一変し、米国の民主主義に倣えと言われても、少年の私には全く理解不能でした。俳句を始めたのは十代の終わり。有季定型という堅固な詩型は、懐疑に揺れる私の心を集中させ、何が不変の純真さなのかを問おうとする志を育みました。以後この歳になるまで私は俳句と共に生きてきたと思います。」

(引用:詩歌文学館賞

 

と述べています。

 

最近では、句集「海の音」を2017年に刊行、蛇笏賞を受賞しました。現代を代表する俳人です。

 

友岡子郷のそのほかの俳句

 

  • 海の夕陽にも似て桃の浮かびをり
  • 鈴虫を飼ひ晩節の一つとす
  • 雄ごころは檣のごと暮れ易し
  • 手毬唄あとかたもなき生家より
  • 一月の雲の自浄の白さかな
  • 龍太句碑笹鳴を待つごとくあり
  • 真闇経て朝は来るゆりかもめにも
  • 友の訃ははるけき昨日きんぽうげ
  • 教壇は果てなき道か春の蟬
  • 足音もなく象歩む晩夏かな