俳句は五七五の十七音に季節を表す季語を詠み込む形式の詩ですが、韻律を自由に詠む自由律俳句や季語を詠まない無季俳句という形式もあります。
明治時代に始まった自由律俳句は大正、昭和初期にかけて隆盛しました。
今回は、自由律俳句の俳人として名高い種田山頭火の師として知られる「荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)」の有名俳句を20句紹介します。
荻原井泉水(1884-1996)俳人「たんぽぽたんぽぽ砂浜に春が目を開く」自由律の人です。#作家の似顔絵 pic.twitter.com/nJU619NCpw
— イクタケマコト〈イラストレーター〉 (@m_ikutake2) September 6, 2014
荻原井泉水の人物像や作風
(荻原井泉水 出典:広辞苑無料検索)
荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)は、1906年(明治39年)に現在の東京都浜松町に生まれました。
俳句は中学時代から始めていて、東京大学を卒業した後の1911年に、新興俳句の機関誌である「層雲(そううん)」を主宰しています。尾崎放哉や種田山頭火を指導しながら、季語を詠まない「季語無用」を提唱しました。
1923年に妻が亡くなると各地への遍歴の旅が多くなります。昭和に入りプロレタリア文学が興ると、「層雲」にも橋本夢道などプロレタリア志向の俳人が加わっていきました。1940年の大政翼賛会の発足と同時に日本俳句作家協会が設立され、理事になっています。
戦後は自由律俳句の俳人では唯一日本芸術院の会員に選ばれ、「層雲」の主宰も続行し現代俳壇での自由律俳句の牽引者になりました。昭和女子大学の教授もつとめるなど精力的に活動していましたが、1976年(昭和51年)に92歳で亡くなっています。
荻原井泉水は自由律俳句を打ち立てた。「層雲」を創刊。河東碧梧桐が同人として加わるが、季語を廃する運動に袖を別つ。同人の尾崎放哉や種田山頭火を生んだ。芭蕉軽視の中で芭蕉再評価の気運を作る。また一茶校注で一茶を世に送り出した功績。 pic.twitter.com/lcjpGrs4
— 北野辰一 Kitano Shinichi (@takayukitaka) November 9, 2012
荻原井泉水の作風は、自由律俳句の中でも季語を詠まず韻律も踏まない無季自由律俳句が特徴です。この作風は門下の尾崎放哉や種田山頭火に受け継がれ、「層雲」から多くの無季自由律俳句の俳人を輩出しています。
荻原井泉水の有名俳句・代表作【20選】
【NO.1】
『 たんぽぽたんぽぽ 砂浜に春が 目を開く 』
季語:たんぽぽ(春)
意味:タンポポが咲いている。黄色い鮮やかな花の色の砂浜を見て、春が目を開いたようだ。
「たんぽぽや」ではなくたんぽぽを2回繰り返すことによって、砂浜に花が咲き乱れている様子を詠んでいます。冬の間は目を閉じていた春が、鮮やかな花の色に「目を開く」という構造の句です。
【NO.2】
『 咲きいづるや 桜さくらと 咲きつらなり 』
季語:桜(春)
意味:桜が咲き始めている。あちらも桜、こちらもさくらと花が咲き連なっている。
桜の花が連なるように咲いている様子を詠んでいます。「咲き」と「さくら」という言葉を2回ずつ重ねることによってテンポの良い句に仕上げている表現です。
【NO.3】
『 うちの蝶として とんでいるしばらく 』
季語:蝶(春)
意味:我が家の蝶としてしばらく飛んでいるようだ。
庭やベランダにずっと同じ蝶が飛んでいる様子を詠んだ句です。まるで「うちの蝶」になったようだなと観察している作者が浮かんできます。
【NO.4】
『 さくらさいて 三里の灸は 旅するというでもなく 』
季語:さくら(春)
意味:桜が咲いたので三里に灸をすえたが、旅をするというわけではない。
「三里」とは灸をすえると脚の疲労に効くと言われているツボで、江戸時代には旅をする人たちがよくすえていました。そのことをふまえて、桜を見に旅をするわけではないがと断っています。
【NO.5】
『 湯呑久しく こはさずに持ち 四十となる 』
季語:無季
意味:湯のみを久しく使っているが、壊さないまま持っていて40歳になる。
同じ湯のみをずっと使い続けたまま40歳を迎えられたというおめでたい一句です。物を大切に使っている作者の姿勢と、壊さないまま40歳になれたという喜びが伝わってきます。
【NO.6】
『 月光ほろほろ 風鈴に戯れ 』
季語:風鈴(夏)
意味:月光がほろほろと光をこぼし、風に揺れて鳴っている風鈴と戯れている。
作者の代表的な自由律俳句です。「ほろほろ」と月光を表現することで、揺れている風鈴に降り注ぐ月の光が淡いものであることを表現しています。
【NO.7】
『 かごからほたる 一つ一つを 星にする 』
季語:ほたる(夏)
意味:カゴから蛍を出して、一つ一つを星にする。
カゴから出した蛍の光が星のように見える、という絵画のような一句です。「かごから」と添えられているため、自分の手で星を増やしているような楽しさが感じ取れます。
【NO.8】
『 瀧は玉だれ 天女しらぶる 琴を聞く 』
季語:瀧(夏)
意味:滝は玉すだれのように広がり、天女が奏でる琴のような水の音を聞く。
この句は神奈川県の箱根湯本にある「天成園」という温泉の近くにある玉簾の滝を詠んだ句です。作者はこの滝をとても気に入りこの句を残しています。
【NO.9】
『 みどりゆらゆら ゆらめきて動く暁 』
季語:みどり(夏)
意味:緑がゆらゆらとゆらめいて動く夜明けだ。
暗い闇からうっすらと夜が明けていくなかで、風に吹かれて揺らめいている木々を詠んだ句です。「ゆら」という言葉を3回繰り返すことで映像として揺れている様子が目に見えるような表現になっています。
【NO.10】
『 はつしと蚊を、おのれの血を打つ 』
季語:蚊(夏)
意味:はっしと蚊を打つと、吸われた自分の血も打った。
蚊に刺された後に叩くと、吸われた血が見えることがあります。この句はそんな状況を詠んでいて、蚊と同時に自分の血を打ってしまったと面白がっている句です。
【NO.11】
『 芦の葉月となる橋から 汐(しお)のさし入るらしく 』
季語:葉月(秋)
意味:芦が生えてまさに葉月となる橋から、海の潮が入ってくるらしい。
「芦」とは「アシ」や「ヨシ」のどちらにも読める植物で、水辺に繁殖します。「葉月」の名のとおり葉の多い橋から先は、海水と淡水が混じり合う汽水域のようだと風景を描写している句です。
【NO.12】
『 友が住めるは 此の里か 稲田ひろびろ 』
季語:稲田(秋)
意味:友が住んでいるのはこの里か。稲田が広々と広がっている。
友人が住んでいる場所を訪ねたときの一句です。「此の里か」と感嘆で一度切り、「ひろびろ」と倒置法を使うことで稲田の広さを表現しています。
【NO.13】
『 空をあゆむ 朗朗と月ひとり 』
季語:月(秋)
意味:空を歩んでいるように朗々と月が1人で輝いている。
美しい月を人に例えている擬人化の句です。月が「空をあゆむ」ように動き、朗々と輝いている姿が堂々とした人に見えてくる表現になっています。
【NO.14】
『 棹(さお)さして 月のただ中 』
季語:月(秋)
意味:棹をさして船を漕ぐ。月の光が降り注ぐただ中を。
月光が降り注ぐ只中を進む船の様子を詠んだ句です。水面に月光が反射する中に棹をさすというとても幻想的な句のため、想像上の風景を詠んだ絵画のような一句になっています。
【NO.15】
『 げに山河あり 雲のいでて 月の清さなり 』
季語:月(秋)
意味:なるほど確かに山河はある。雲が出て月がとても清らかに輝いている。
この句は終戦直後に詠まれたものです。「国破れて山河あり」という杜甫の「春望」の詩を踏まえて、敗戦しても確かに山河は残り月はいつも通り輝くのだと痛感しています。
【NO.16】
『 わらやふる ゆきつもる 』
季語:ゆき(冬)
意味:藁屋に雪が降る。雪が積もっていく。
平仮名10文字で詠まれた特徴的な俳句です。「藁屋」とは藁葺き屋根の家の事で、押しつぶされそうなほど雪が降り積もっていく風景を淡々と描写しています。
【NO.17】
『 石のしたしさよ しぐれけり 』
季語:しぐれ(冬)
意味:いつも見ている庭石の親しさよ。時雨が降ってきた。
この句が詠まれたのは遍歴の旅に出ていたときで、滞在先の京都の東福寺の庭石を詠んでいます。故郷から離れ、妻を亡くした悲しさを庭石を見て慰めている一句です。
【NO.18】
『 荷をおろされて 寒い馬よ 雨降る 』
季語:寒い(冬)
意味:荷を下ろされて背中が露出して寒そうな馬だ。雨が降ってきた。
馬の背中から荷を下ろしたために背中が露出して、寒そうな馬を詠んでいます。運の悪いことに雨まで降ってきたことでより一層寒さを感じる句です。
【NO.19】
『 鳥屋の鳥よ 暮れゆく街を 眺めをる 』
季語:無季
意味:鳥小屋の鳥よ。暮れていく街をじっと眺めている。
鳥小屋の鳥が空を飛ぶことなく夕暮れをむかえる街を見ている様子を詠んだ句です。空を飛ぶ鳥が小屋の中にいて、流し見ではなくじっと見つめているところが野生の鳥との対比になっています。
【NO.20】
『 われ一口 犬一口の パンがおしまい 』
季語:無季
意味:私が一口、犬が一口食べてパンがおしまいになってしまった。
自分と犬でパンを分け合って食べている様子を詠んでいます。小さくとも同じものを分かち合おうという犬との絆が感じられる一句です。
以上、荻原井泉水の有名俳句20選でした!
今回は、荻原井泉水の作風や人物像、有名俳句を20句紹介しました。
尾崎放哉や種田山頭火の自由律俳句と比べると季語を詠むものが多く、自由律俳句の過渡期に位置することがわかります。
自由律俳句を牽引した俳人の中では最も長生きし戦後も俳壇で活躍し続けた荻原井泉水の俳句をぜひ読んでみてください。