「俳句」は日本の伝統的な芸能の一つで、いまや世界中で詠まれ、愛されています。
今回は、数ある名句の中から日野草城の「みずみずしセロリを噛めば夏匂う」という句をご紹介します。
日野草城の
「みづみづし セロリを噛めば 夏匂う」って、まさに山崎まさよしの「セロリ」のイメージなんだけど、セロリって冬の季語なんだね。— ひーちゃん@かまいたち応援 (@Hiiichankenpa) August 9, 2018
本記事では、「みずみずしセロリを噛めば夏匂う」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。
目次
「みずみずしセロリを噛めば夏匂う」の季語や意味・詠まれた背景
みずみずし セロリを噛めば 夏匂う
(読み方:みずみずし せろりをかめば なつにおう)
こちらの句の作者は「日野草城」です。
明治後期に生まれ、大正、昭和の中期に活躍した俳人です。
季語
こちらの句の季語は「セロリ」で、季節は「冬」を表します。
セロリは、夏に種蒔きをして冬に収穫することから、三冬の季語として使われます。
また、句中に「夏匂う」とあることから、この句の季語は「夏」だと捉えてしまいがちですが、季語は「セロリ」になりますのでご注意ください。
意味
この句を現代語訳すると・・・
「寒い時期に取れたてのセロをほおばったら、その水分が口いっぱいに広がり、なんだか夏のような感じがした。」
という意味になります。
「夏匂う」と断定的な表現をしていますが、実際には「夏」ではなく、「夏のようだなぁ」と解釈するのが一般的です。
この句が詠まれた背景
「ずみずしセロリを噛めば夏匂う」という句は、日野草城が詠んだ句の中でもそれほど有名なものではありません。
この句は夏に書かれたものではなく、「セロリ」を季語とする寒い時期に書かれたと解釈するのが一般的です。
『ホトトギス』で高濱虚子に学び、水原秋桜子らとともに主観的な叙情俳句を追求した日野草城らしく、若々しく新鮮な感性が印象的な一句だといえます。
「みずみずしセロリを噛めば夏匂う」の表現技法
この句で使われている表現技法は・・・
- 「みずみずし」という書き出し
- 比喩(隠喩)
になります。
「みずみずし」という書き出し
「みずみずし」がセロリにかかるのか、「夏匂う」にかかるのか、その解釈は読み手に委ねられています。
「みずみずしいセロリ」と素直に捉えると、新鮮なセロリを思い浮かべることができます。
もう一歩深入りして、「セロリを噛むと夏が匂ってくる、みずみずしいものだなぁ」と、良いことが起こる前触れと解釈することもてきます。
比喩(隠喩)
「隠喩(暗喩)」は、「~のような」「~のごとし」といったような比喩言葉を使わずに物事を例える表現技法のことです。
先ほど説明した通り、この句の季語は「セロリ」で季節は「冬」です。
つまり、「夏匂う」といってはいますが、実際には夏ではありません。
そのため、「夏匂う」という表現は「隠喩」、たとえとして使われていることが分かります。
比喩表現を使うことで句のセロリのみずみずしさがよりイメージしやすくなっています。
「ずみずしセロリを噛めば夏匂う」の鑑賞文
「みずみずし」という出だしが印象的なこちらの句は、冬が旬の「セロリ」を頬張ったら、溢れるセロリの水分に驚き、まるで夏が匂ってくるようだと日常生活の一コマを詠んだ一句です。
何の変哲もないセロリは、その歯ごたえと独特の風味、そしてみずみずしさに溢れ、さまざまな感覚を感じさせてくれます。
同時に、季節としてはまだまだ先のことではありますが、セロリを齧ったことで一瞬夏を感じ、その感覚を「みずみずしい」と表現したと解釈することもできます。
普段何気なく食べている「セロリ」に愛情を感じる一句となっています。
作者「日野草城」の生涯を簡単にご紹介!
日野草城(1901年~1956年)は東京都出身の俳人で、本名を克修(よしのぶ)といいます。
草城忌,東鶴忌,銀忌
俳人・日野草城の1956(昭和31)年1月29日の忌日。
無季俳句、連作俳向を率先し、モダンな作風で新興俳句の一翼を担った。「春の灯や 女は持たぬ のどぼとけ」 pic.twitter.com/eKkMZHNuK8
— 久延毘古⛩陶 皇紀2679年令和元年師走 (@amtr1117) January 28, 2019
草城は4歳の頃に朝鮮に移住し、京城(現在のソウル特別市)の小学校を卒業し、中学校(現在のソウル高等学校)までを挑戦で学びます。その後帰国しますが、歌俳をたしなんだ父の影響で、草城は10代の頃から文学に親しんでいたといわれています。
草城は、1934年の『俳句研究』4月号に、京都東山に実在するミヤコホテルを舞台とする新婚初夜を題材としたエロティックな連作「ミヤコホテル」10句を発表したことで、注目を集めることとなります。
しかし、時代が時代であったため、フィクションの句やエロティシズムの句への理解は乏しく、草城は『ホトトギス』から除名されてしまいます。
『ホトトギス』除名後はエロティシズムや「無季俳句」を積極的に唱導し、新興俳句の主導的役割を担ったといわれています。
1946年には肺結核を発症。以後10数年は病床におり、その間はこれまでの新興俳句とは異なる静謐な句をつくったといわれています。
死の前年1955年には虚子に許されて『ホトトギス』同人に復帰。翌1956年に心臓衰弱のため55歳で亡くなりました。
日野草城のそのほかの俳句
- 春暁や人こそ知らね木々の雨
- 春の灯や女は持たぬのどぼとけ
- ものの種にぎればいのちひしめける
- ところてん煙の如く沈み居り
- 高熱の鶴青空に漂へり
- 夏布団ふわりとかかる骨の上
- 見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く