俳句は、日本で広く親しまれている詩です。
五・七・五の十七音という短さが手軽さをかんじさせ、俳句をたしなむ人も少なくありません。
俳人として多くの名句を残した俳人も数多くいますが、夏目漱石や芥川龍之介など、小説家として名を成した文学者もいます。
今回は「羅生門」、「蜘蛛の糸」などの小説で有名な芥川龍之介の句「木枯らしや目刺しに残る海の色」をご紹介します。
木がらしや
目刺にのこる
海のいろ 芥川龍之介
#折々のうたー春夏秋冬ー秋#澄江堂句集#芥川龍之介 pic.twitter.com/A6Y7TFmzC8
— 菜花 咲子 (@nanohanasakiko2) September 28, 2018
本記事では、「木枯らしや目刺しに残る海の色」の季語や意味・表現技法・鑑賞文など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「木枯らしや目刺しに残る海の色」の作者や季語・意味
木枯らしや 目刺しに残る 海の色
(読み方:こがらしや めざしにのこる うみのいろ)
こちらの句の作者は明治生まれの小説家「芥川龍之介」です。
季語
この句の季語は「木枯らし」で、季節は「冬」を示します。冬に吹く冷たい北風を「木枯らし」と言います。
実は、この句の中の「目刺し」も季語になる言葉です。目刺しは小型のイワシの干物ですが、イワシの産卵期は春にあたることや、春の漁でたくさんとれたイワシを目刺しにすることなどから、春の季語として扱われることもあります。
しかし、この句では作者の感動の中心を表す切れ字「や」のついている「木枯らし」が優先的に季語となります。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「木枯らしが吹いていることだ。目刺しには、かつてこの魚が泳いでいた海の色が残っている。」
という意味になります。
「目刺し」というのは、小さいイワシの干物のこと。目からあごにかけてくしやわらひもを通してある干物を指します。
この句が詠まれた背景
この句は「澄江堂句集(ちょうこうどうくしゅう)」という本に所収されている句になります。昭和2年(1927年)刊行の本です。
「澄江堂句集」は自選の句集ですが、この句集に収められているのは77句に過ぎず、選び抜かれた句ばかりということになるでしょう
【木枯らしや目刺しに残る海の色】の句自体は、大正6年ころの作とされます。
芥川氏に長崎から目刺しを送ってくれた人がいたそうで、そのときの目刺しを詠んだ句と言われています。
「木枯らしや目刺しに残る海の色」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 切れ字「や」(初句切れ)
- 暗喩
- 体言止め「海の色」
になります。
切れ字「や」(初句切れ)
俳句の一句の中の感動の中心を表す言葉を切れ字と言います。切れ字には代表的なものとして「かな」「や」「けり」などあり、「…だなあ」と言ったように訳されることが多いです。
この句は「木枯らしや」の「や」が切れ字に当たります。
(※切れ字「や」は、初句に用いられることが多く、感動や詠嘆を表すとともに俳句らしい調子を作り出します)
つまり、作者が「木枯らし」の寒さを実感したことがこの句を作り出すきっかけになったことが分かります。
この句は初句に「や」がついている、「初句切れ」の句となります。
暗喩
暗喩とは、「~のように」「~のごとく」といったような例えであることがわかる言葉を使わない比喩表現のことを言います。
(※同じ比喩表現に「直喩」というものもあり、こちらは「~のように」「~のごとく」などを例えであることがわかる言葉を使います)
たとえば、「彼女の手は氷のように冷たい。」という表現は直喩、「彼女の手は氷となっていた。」と言う表現は暗喩になります。
直喩よりも暗喩の方が、少ない言葉でより印象を強めることができるため、俳句ではよく用いられる表現技法になります。
今回の句の「目刺しに残る海の色」とは、意味するところは、「今は干物となった目刺しに、海の色が残っているように感じられる」ということですが、「~のように」などの言葉を使わずに暗喩で表現しています。
暗喩を用いることによって、読み手に「海の色」がより濃く感じられるようになっています。
体言止め「海の色」
体言止めとは、文や句の終わりを名詞・体言で終わる技法のことを言い、句に余韻を残したり、強調する効果があります。
この句は「海の色」という名詞で終わる体言止めの句であり、句に余韻を残して終わっています。
読者は「海の色とはどんな色合いであったのか」「この目刺しがかつて魚として泳いだ海はどんなであったか」と想像がふくらみます。
「木枯らしや目刺しに残る海の色」の鑑賞文
【木枯らしや目刺しに残る海の色】は、作者の鋭い観察眼が光る句となっています。
目刺しは小型のイワシを塩水につけてから干して作ります。その乾いたイワシのひふの色に海の色を見出したと詠んでいるのです。
イワシは、背側が青っぽく、腹側が白っぽい魚ですが、鈍い銀色のような…濃い青のような…微妙な色合いです。
作者は、干物にされてなお残る青みをおびた銀色に海の色をイメージしたのです。
長崎の知人から送られた目刺しと言うことなので、目刺しがまだイワシだったころ泳いでいたのは、南の海なのでしょう。
今は生気なく皿の上に横たわっている目刺しですが、かつては、あたたかい南の海を泳ぎまわっていたはずです。
作者は冷たい木枯らしに身をすくめながら、遠い南の海の豊かさを思い、深い海の色を目の前の目刺しに見出したのです。
木枯らしと目刺しという取り合わせも実にユニークな句です。
作者「芥川龍之介」の生涯を簡単にご紹介!
(芥川龍之介の肖像 出典:Wikipedia)
芥川龍之介は明治25年(1892年)東京に生まれました。「澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)」という号も名乗り、俳号として「我鬼(がき)」という号も用いました。
龍之介は幼い頃に母を亡くし、親戚の家に養子として迎えられてそだちました。
大正2年(1913年)東京帝国大学に進学。同窓には、久米正雄、松岡讓、菊池寛ら、後に日本を代表する小説家となる、そうそうたる面々がいました。
その後は夏目漱石に師事しながら、在学中に小説を書き始めました。大正5年(1916年)同人誌「新思潮」に発表した短編小説「鼻」が夏目漱石の絶賛を受け、その後も次々と短編小説を発表します。
大正8年(1919年)、塚本文と結婚、夫人との間に三人の子をもうけました。
しかし、大正10年(1921年)ころから心身に変調をきたすようになり、療養を繰り返します。
「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」を動機として、昭和2年(1927年)服毒自殺を遂げました。享年は数えの36歳でした。