【啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々】俳句の季語や意味・技法・背景・作者など徹底解説!!

 

五・七・五の十七音で四季の美しさや心情を詠みあげる「俳句」。

 

中学校や高校の国語の授業でも取り上げられ、なじみのある句も多くあることでしょう。

 

今回は、数ある名句の中から「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」という水原秋桜子の句をご紹介します。

 

 

本記事では、「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」の作者や季語・意味・詠まれた背景

 

啄木鳥や 落葉をいそぐ 牧の木々

(読み方:きつつきや おちばをいそぐ まきのきぎ)

 

こちらの句の作者は、「水原秋桜子(みずはら しゅうおうし)」です。

 

本名は水原豊。医学博士としての顔を持つ男性の俳人になります。

 

 季語

こちらの句の季語は「啄木鳥(キツツキ)」で、秋の季語になります。

 

キツツキは脚と尾羽で体を支えながら木の幹にとまり、くちばしで幹をコツコツと叩きます。叩いて開けた穴にキツツキは舌を入れて虫を食べたり、巣穴にしたりしています。

 

なぜキツツキが秋の季語なのかはっきりとした記載はありません。

 

しかし、キツツキがコツコツと木を叩く音や体の大きさに関係していると言われています。

 

木を叩くのは繁殖期の夏が最盛期で、かなり激しく素早く叩くのですが、秋になると落ち着いてコツコツとリズムよく叩き始めます。

 

その秋の音が森にいると心地よく聞こえるからという説があります。

 

また、キツツキは小型のため、秋で木が落葉してくると姿が確認しやすくなるからという説もあります。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「キツツキが木を叩く音が聞こえる。そして冬支度をいそぐように牧場の木々が落葉している」

 

という意味になります。

 

この句が詠まれた背景

この句は1928年に俳句会で群馬県の赤城山へ行った際の景色を詠んでいます。秋桜子の初めての句集「葛飾」に収録されています。

 

秋桜子が得意とするのは、言葉を巧みに用いて叙情的な雰囲気を持った詠み方です。

 

秋桜子の師である高浜虚子は物事をそのまま書きとめる「写生」の立場をとっており、師匠たちとは真逆の技法で俳句を詠んでいます。

 

さらに秋桜子は叙情に加えて、西洋絵画に似た美しい情景を描くのも特徴の一つです。その理由は秋桜子が句に対して美しさを追い求めたからと言われています。

 

秋桜子は短歌や古語を学び、これらを生かした言葉の美しさも研究していました。

 

つまり、この句は心情と情景どちらをとっても前時代にはない新鮮さと、美しい作品を生み出す境地の中で作られたものでした。

 

「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」の表現技法


季重なり

今回の季語は「啄木鳥」ですが、季語になりえる言葉がもう一つあります。

 

それは「落葉」。こちらは冬の季語です。

 

一つの句に二つ以上季語が入ると「季重なり」と呼ばれ、俳句の技法としては嫌われる傾向にあります。

 

それは句の注目するべきポイントが薄れてしまい、季節が異なれば季節感が不鮮明になるためです。

 

しかし、季重なりでも「切れ字」を使うことで注目ポイントを指定することができます。

 

「啄木鳥や」の「や」が切れ字にあたり、ここで意味を切ることで「啄木鳥」に焦点が当たり、季語が啄木鳥だと特定されます。

 

今回は一句目で切れ字が使用されているため、初句切れと呼ばれます。

 

擬人法

句の中に「落葉をいそぐ」という表現がありますが、これを擬人法と呼びます。

 

木々を人間に見立てて、何かの意思を持って落葉を急いでいる様子が詠まれています。

 

このように表現することで落葉の忙しなさが強調されると共に、秋桜子の心情を表すことができます。

 

詠んだ時のリズム感

句を平仮名でかくと「きつつきや おちばをいそぐ まきのきぎ」になります。

 

すると句の中に「き」という音が多く、タイミング良く入れられていることがわかります。

 

「き」の音のリズム感を作ることで、キツツキがリズムよく木を叩き、葉もそれに合わせるように落ちていく様子が伝わります。

 

「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」の鑑賞文

 

この句は秋桜子の思いが情景の美しさと共に詰め込まれています。

 

秋桜子は主観的に物事を詠むことを提唱していました。

 

それを踏まえると、木々が急いで落ち葉を散らせているように見えるのは、秋桜子が「まだ散ってほしくない」と感じていることの裏返しです。

 

そして、その情景を余すことなく豊かに表現することで「秋が過ぎていくことの惜しさ」を深めています。

 

情景に焦点を当てるとこの奥深さが際立ちます。

 

キツツキに注目すれば音が感じられ、視点を広く取れば木々の立ち並び、葉が次々と落ちていく様子が浮かびます。

 

そして季重なりである「落葉」を踏まえると、冬に近い澄んだ秋という空気感も感じられます。

 

要素をふんだんに用いて、奥行きのある美しい景色を用いることで、秋桜子の秋が去る口惜しさがどれほどだったかという様子が伝わります。

 

作者「水原秋桜子」の生涯を簡単にご紹介!

(1948年の水原秋桜子 出典:Wikipedia

 

水原秋桜子(しゅうおうし)。本名は水原豊(ゆたか)1892年生まれ1981年没。東京都出身です。

 

1921年に高浜虚子が主催する「ホトトギス」に参加し、指導を受け「ホトトギスの四S」と呼ばれる新進の俳人として有名になります。

 

しかし虚子の客観写実に対し、秋桜子は主観写実の立場をとっていたため離反します。

 

その後は俳誌「馬酔木」(あしび)の中心人物として活躍しました。

 

また、秋桜子は俳人として活動する一方で医学博士として講義を行い、1955年まで家業の産婦人科も継いでいました。

 

水原秋桜子のそのほかの俳句