【きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

日本には、著名な俳人に詠まれた数多くの俳句が残されています。

 

その中には、自分の心情をストレートに表現した作品も多いです。

 

今回は、数ある名句の中から高柳重信の句「きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり」をご紹介します。

 

 

本記事では、「きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり」の作者や季語・意味

 

きみ嫁けり 遠き一つの 訃に似たり

(読み方 きみゆけり とおきひとつの ふににたり)

 

こちらの句の作者は、日本を代表する俳人「高柳重信(たかやなぎじゅうしん)」です。

 

こちらの俳句は、作者が片思いをしていた女性が結婚したと聞き、これまでの想いが玉砕してしまったシーンを詠んでいます。

 

恋をテーマに詠まれた作品として知られています。

 

季語

こちらの俳句には季語は存在しません。季語が存在したいため「無季俳句」となります。

 

意味&解釈

こちらの句の現代語訳は・・・

 

「きみが嫁に行ってしまった。遠くからの訃報を聞く気持ちだよ」

 

という意味になります。

 

こちらは「想いを寄せていた女性が嫁に行った」と聞いた時の悲しい気持ちを表現した作品です。

 

本来であれば結婚は、その人の第二の人生のスタートとなるおめでたい日です。

 

しかし、自分が恋焦がれていた人が、第3者と結婚したと聞いたら絶望感や孤独感でいっぱいになります。そのような寂しい気持ちを「訃報」に例えることで、感情がうまく表現されています。

 

読み手の中には、高柳と同じような経験をしている方も少なくはないはずです。

 

この作品を読むことにより「失恋をし、自分もあの時は悲しくてつらかった」と共感する方も多いのではと思われます。

 

「きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり」の表現技法

 

こちらの俳句で使われている表現技法は・・・

 

  • 「きみ嫁けり」の部分の「けり」が「切れ字」
  • 「きみ嫁けり」の部分の「嫁けり」の当て字
  • 「訃に似たり」の部分の比喩

 

になります。

 

切れ字「けり」(初句切れ)

「きみ嫁けり」の「けり」の部分が「切れ字」です。

 

切れ字は、感動・共感・詠嘆を表現する技法で、その情景をイメージしやすくなります。

 

こちらでは、切れ字を使用することにより、「きみが誰かの嫁さんになってしまったんだなあ」と悲しみに浸っている作者の心情が効果的に表されています。

 

また、切れ字のあるところで句が切れることを句切れと言います。この句は初句に「けり」がついており、そこで一度切れるため「初句切れ」となります。

 

当て字

「きみ嫁けり」の「嫁」が当て字となっています。

 

一般的に「嫁」は、【音読み「か」】【訓読み「よめ」・「とつ(ぐ)」】と読みます。

 

しかし、この作品ではあえて「ゆ(けり)」と表記しています。こうすることで、リズムのいい作品になりますし、読者の印象に残りやすい句になります。

 

比喩

比喩とは、「まるで〜のようだ」と物事を何かに置き換えて表現する技法です。この技法を用いることで句の情景をイメージしやしくなり、インパクトを強められます。

 

今回の句では、「訃に似たり」の部分が、比喩です。

 

結婚という晴れのイベントに対し、対語となる葬儀を表す「訃」を用いることにより、自分の気持ちがどんなに暗く、重苦しいものであるかが表現されています。

 

「きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり」の鑑賞文

 

思いをずっと寄せていた片思い中の女性が人妻になったと人づてに聞き、悲しんでいる作者の気持ちが伝わって来ます。

 

あくまでも一方的な想いで、これから先は作者と一緒になる可能性はほぼなかったはずです。

 

それでも「もしかしたら・・」という淡い期待もあったのでしょう。

 

それだけに、見も知らぬ男の嫁となってしまったと聞いて、私の心の中は親しい人達が亡くなったという訃報を聞いてしまったかのように、とてもつなく暗いという様子が汲み取れる作品です。

 

晴れやかな結婚に対し、人生の最後を伝える「訃報」、この対比する表現が素晴らしい作品です。

 

こちらの作品を読んで、「自分も同じような苦い思いをしたことがあったなあ・・・」とシミジミと人生を振り返る方も多いはずです。

 

恋心を詠んだ作品だけに、人々の共感を得て親やすい俳句と言えます。

 

作者「高柳重信」の生涯を簡単にご紹介!

 

高柳重信は、1923年1月9日に群馬県左波郡に生まれました。本名は高柳重信(たかやなぎ しげのぶ)、俳号は重信と表記し「じゅしん」と読みます。

 

現代俳句の先駆者として、多行書き(3行書きや4行書きの俳句を指す)を実行し、普及させました。

 

重信は父から俳句を教えてもらい、『春蘭』・『不易』などに投稿していたそうです。

 

1940年に早稲田大学に進学し「早稲田俳句研究会」に所属。『早稲田俳句』を創刊しています。この頃に新興俳句に目覚めて活動していました。

 

第二次世界大戦が終わりを告げた後に、富沢赤黄男(かきお)に従事。ここの頃から多行書き俳句に目覚め、『太陽系』等で活躍しています。

 

1958年から『俳句評論』の編集を担当します。その後1967年以降は、総合俳句誌『俳句研究』の編集に携わり活躍。『蕗子』・『伯爵領』などの句集が残されています。そして、60歳で亡くなりました。

 

高柳重信のそのほかの俳句

 

  • 友はみな征けりとおもふ懐手
  • 友よ我は片腕すでに鬼となりぬ
  • 軍鼓鳴り荒涼と秋の痣となる
  • 金魚玉明日は歴史の試験かな
  • 小松宮殿下の銅像近き桜かな
  • 日本の夜霧の中の懐手
  • 後朝やいづこも伊豆の神無月
  • まなこ荒れたちまち朝の終りかな
  • われら永く悪友たりき春火鉢
  • 孤島にて不眠の鴉白くなる
  • 人恋ひてかなしきときを昼寝かな
  • 日が落ちて山脈といふ言葉かな
  • 身をそらす虹の絶巓処刑台