【蝌蚪に打つ小石天変地異となる】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

俳句は五・七・五の十七音で表現する、世界でも短い詩の1つです。

 

季節の自然や出来事を取り入れた季語を詠み込むことによって、多彩な表現と感情を表現できます。

 

今回は、野見山朱鳥の有名な俳句の一つである「蝌蚪に打つ小石天変地異となる」という句をご紹介します。

 

 

本記事では、「蝌蚪に打つ小石天変地異となる」の季語や意味・詠まれた背景・表現技法・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「蝌蚪に打つ小石天変地異となる」の作者や季語・意味・詠まれた背景

 

蝌蚪に打つ小石 天変地異となる

(読み方:かとにうつこいし てんぺんちいとなる)

 

この句の作者は「野見山朱鳥(のみやまあすか)」です。

 

野見山朱鳥は昭和に活躍した俳人で、「花鳥諷詠真骨頂漢」と絶賛された川端茅舎と並んで高浜虚子に称えられたことで有名です。

 

画家を志したことで培われた観察眼で読まれる花鳥諷詠の他に、生来の肺の病での闘病生活を詠んだ「生命諷詠」で知られています。

 

季語

 

この句の季語は「蝌蚪(かと)」「春の季語」です。

 

蝌蚪とはカエルの幼体であるオタマジャクシのことで、形が柄杓に似ていることからこの名前が付けられました。

 

日本で見られるオタマジャクシはヒキガエルやアカガエル、トノサマガエルが主な種類です。関連する季語として、ゼリー状の紐の中に黒い卵が入っている様子を「蝌蚪の紐」、おたまじゃくしが泳いでいる水のことを「蝌蚪の水」という季語で表現します。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「オタマジャクシに小石を投げると、まるで天変地異が起きたようになる。」

 

という意味です。

 

この句は池や河岸などオタマジャクシ達が泳いでいるところに、小石を投げ込んで様子を伺っているところを詠んでいます。人間にとってはただの小石でもオタマジャクシ達にとっては天変地異のような衝撃と波が襲っている様子が見て取れます。

 

詠まれた背景

この句は1950年に発行された第一句集の『曼珠沙華(マンジュシャゲ)』に収録されています。この『曼珠沙華』は高浜虚子が寄稿した序文に「曩(さき)に茅舎を失い今は朱鳥を得た」と寄せるほど注目を集めていました。

 

この句を詠んだ頃の朱鳥は長く続く療養生活を送っており、花鳥風月に目を向ける伝統俳句を良く詠んでいる時期です。また「蝌蚪」には特別思い入れがあったようで、「蝌蚪乱れ一大交響楽おこる」という句も詠んでいます。

 

「蝌蚪に打つ小石天変地異となる」の表現技法

中間切れ

この句は「句またがり」と呼ばれる五七五の韻律ではない場所で切れる形の中でも、二句の途中で切れる「中間切れ」の技法を用いています。

 

「蝌蚪に打つ小石」が「天変地異となる」ため、初句の「打つ」という動詞ではなく「小石」という二句の途中で切れているのが特徴です。名詞で切ることによって小石を強調させる効果があり、読者の視点を投げ入れられた小石に集中させています。

 

「蝌蚪に打つ小石天変地異となる」の鑑賞文

 

この俳句は、作者が水辺でオタマジャクシの様子を眺めている様子を詠んだ句です。

 

オタマジャクシに向かって放られた小石は自然に落ちてきたのか、作者が戯れに落としてみたのかで解釈が分かれますが、悠々と泳いでいたオタマジャクシが蜘蛛の子を散らすように逃げ回ったことが「天変地異」という言葉から読み取れます。

 

この句が詠まれた頃の作者は肺の病で数年間療養生活をしていました。

 

このオタマジャクシ達に自分自身を重ねて、他人にはなんて事ない出来事でも自分にとっては天変地異に等しいのだと自己を投影していたのかもしれません。

 

作者「野見山朱鳥」の生涯を簡単にご紹介!

 

野見山朱鳥(のみやま あすか)は、1917年(大正6年)に現在の福岡県直方市に生まれました。

 

中学卒業後に肺結核を患ったのを始めとして、病床についていた時期が多かった俳人です。3年の療養のうちに快復後して会社勤めをしながら絵画を学ぶも、1942年に再発し、療養生活が始まります。

 

野見山朱鳥の俳句生活はこの療養期間中に始まりました。1945年に高浜虚子に師事し、1946年には「ホトトギス」600号記念号の巻頭を飾るなど頭角を表します。「ホトトギス」の同人となったほかに、1948年からは「菜殻火」という雑誌の主宰になり、様々な俳人の創刊する雑誌との連合会を作って新人育成に務めました。しかし、再発を繰り返していた肺の病により療養を余儀なくされ、1970年(昭和45年)に亡くなっています。

 

野見山朱鳥の作風は、自身と同じく病弱であったために画家の道を諦めた川端茅舎を手本にしていて、「如く俳句」と呼ばれる比喩を用いた句が多くなっています。また、ホトトギス派ではあるものの病床にいることが多く、自然ではなく自分の内面の描写を詠んだ句の数が多いのも特徴です。

 

野見山朱鳥のそのほかの俳句

 

  • 生涯は 一度落花は しきりなり
  • 火の隙間より 花の世を見たる悔
  • 火を投げし 如くに雲や 朴の花
  • 爪に火を 灯すばかりに 梅雨貧し
  • なほ続く 病床流転 天の川
  • 雉子鳴いて 冬はしづかに 軽井沢
  • つひに吾れも 枯野のとほき 樹となるか