
日本が誇る伝統芸能の一つ、俳句。
「五七五」の17音を定型とする短い詩で、その世界観は世界中の人々から高く評価されています。
今回は、数ある名句の中から「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」という池田澄子の句を紹介していきます。
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
池田澄子蛍を撮りました。
はかない光だなと思いました。※場所は非公開でお願いいたします。#photo pic.twitter.com/xTc88Mutbf
— 若葉🔰 (@b30690680) June 2, 2018
本記事では、「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきます。

目次
「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」の作者や季語・意味

じゃんけんで 負けて蛍に 生まれたの
(読み方:じゃんけんで まけてほたるに うまれたの)
この句の作者は「池田澄子(いけだすみこ)」です。
この句は、池田澄子が52歳の時に執筆した自身初となる句集『空の庭(1988年出版)』にしたためられている一句です。
池田澄子は40代に入った頃から句作をはじめ、「じゃんけんで負けて螢に生まれたの」という句は、彼女の代表作として知られています。

季語
こちらの句の季語は「蛍」、季節は「夏」を表します。
蛍が夜空で光を放つのは、パートナーを探すためといわれています。
成虫になった蛍が活発に活動する時期は、一般的に6月頃といわれていますので、春夏秋冬でいうとちょうど「夏」にあたります。
意味
この句を現代語訳すると・・・
「じゃんけんして何に生まれてくるかを決めたのですが、私は負けたから、蛍になりました。」
といった意味になります。
澄子がある夜、小さい蛍が光を放つ姿を見て詠んだ句になります。

「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」の表現技法

この句で使われている表現技法は・・・
- 擬人法
- 口語表現(現代語の文体)
- 句切れなし
になります。
擬人法
この句は、蛍を擬人化し、その蛍が自分を見ている作者に対して話しかけるといったスタイルで書かれています。
作者の思いや考えを蛍の言葉としているところに、技法があるといえる一句です。

口語表現(現代語の文体)
俳句の多くは文語表現ですが、こちらの句は口語表現が用いられています。
「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」という語り方は、現代の私たちが普段使用している文体、つまり口語表現で構成されています。
蛍がひとりごとなのか、蛍の美しさに見入っている作者に伝えているのか語りかけているような表現となっており、作者の思いが読み手に伝わりやすくなっています。
句切れなし
意味や内容、調子の切れ目を「句切れ」といい、俳句の技法の一つといわれています。
「句切れ」によって俳句にリズム感を持たせることができますが、こちらの句は、最後まで意味や調子の上で句が切れることがありません。

「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」の鑑賞文

蛍が成虫になり、光を放つようになってからの寿命は、1週間から2週間ほどと言われています。
闇の中、はかない光を放ちながら周囲を照らし、短い一生を終える蛍は、ただそのためだけにこの世に生まれてきたのだろうか、なんだか損な役回りを持っています。
だからこそ、作者は「じゃんけんで負けて」蛍に生まれたと表現しています。
裏を返せば、今ここに在るのは、じゃんけんの勝ち負けのような「偶然」にすぎないことをテーマにしています。
「偶然」に誕生した生命というものは、蛍が放つ光のように、いつ消えてもおかしくないほど危なっかしいもの。
人として生まれようが、蛍として生まれようが、生き続けることは決して当たり前のことではなく、偶然の連続なのかもしれない…といった命のはかなさと大切さを物語っています。

知っておきたい!蛍に関する有名俳句【5選】

この句で特徴的に使用されている蛍ですが、ほかの俳人も儚いものや魂の象徴として詠んでいるものがいくつかあります。

【NO.1】山口誓子
『 蛍獲て 少年の指 みどりなり 』
季語:蛍(夏)
意味:蛍をとった少年の指が光に照らされて緑に見える。

蛍を手でとった少年の指が、蛍の放つ光に照らされて緑に見える様子を詠んだ句です。蛍が舞う様子ではなく、蛍を捕まえた少年にフォーカスすることで、淡い緑色の光と照らされる少年の指を強調する、写真のような一句になっています。
【NO.2】飯田蛇笏
『 たましひの たとへば秋の ほたる哉 』
季語:秋のほたる(秋)
意味:魂は例えるなら秋の蛍に似ているなぁ。

この句は友人である芥川龍之介が亡くなった際に詠まれた追悼句です。若くして亡くなった友人の魂は、秋の蛍のように弱々しい光を放つ儚い存在になってしまったようだ、という悲しみが伝わってきます。
【NO.3】松尾芭蕉
『 此(この)ほたる 田ごとの月に くらべみん 』
季語:ほたる(夏)
意味:この蛍の光と田毎の月を比べてみたい。

「田毎の月」とは棚田のような田んぼが多くある場所で、田んぼごとに月が映る様子を表す言葉です。そのため「月」という秋の季語がありますが、ここでは蛍の光と比べてみたいと詠んでいるため「ほたる」が季語となります。棚田に映り込む無数の蛍の光を連想させる美しい一句です。
【NO.4】小林一茶
『 大蛍 ゆらりゆらりと 通りけり 』
季語:大蛍(夏)
意味:大きな蛍がゆらりゆらりと通っていく。

通常の蛍がちらちらと舞うのとは違い、大きな蛍が余裕を持って「ゆらりゆらり」と目の前を通っていく様子を詠んでいます。蛍と言われると儚い光の象徴を思いうかべますが、この句からは堂々たる光を放つ蛍が通り過ぎていく様子が目に浮かぶ一句です。
【NO.5】高浜虚子
『 蛍火の 今宵の闇の 美しき 』
季語:蛍火(夏)
意味:蛍火に照らされる今夜の闇はとても美しい。

蛍のほのかな光によって一層際立つ暗闇の美しさを詠んだ一句です。まるで絵画を見ているようなこの句は、「蛍火」「闇」というはっきりとした対比で読む人の脳裏に光と闇の濃淡を想像させます。
作者「池田澄子」の生涯を簡単に紹介!

池田澄子(1936年3月25日~)は神奈川県鎌倉市に生まれ、11歳の時に父親の出征のため新潟県村上市に疎開し、その後結婚まで新潟市で過ごします。
俳句に目覚めた時期は遅く、句作を始めたのは40代に入ってからだといわれています。
1983年より三橋敏雄を師として仰ぎ(のちに師事)、三橋指導の「檣の会」に入会し、本格的に俳人としての道を歩むようになります。
1988年に第一句集『空の庭』を刊行し、翌1989年に「第36回現代俳句協会賞」を受賞し、現在は角川俳句賞選考委員を務めています。
些細な出来事や身近な風景を口語体の平易な表現で、しかも意外性のある作風が印象的な、現代の俳句界を代表する俳人です。
池田澄子さんに久しぶりに会った。選句と読みに説得力あり。色紙を書く前や挨拶する前の照れぶりが半端ない。 pic.twitter.com/ikvVre2spj
— 小澤實 新刊『名句の所以』 (@seisyokyo99) November 11, 2018
池田澄子のそのほかの俳句

- よし分った君はつくつく法師である
- 気がゆるむたびの出目金魚ごこち哉
- 八月来る私史に正史の交わりし
- 立秋暑し昭和史写真集モノクローム
- こっちこっちと月と冥土が後退る
- きぬかつぎ嘆いたあとのよい気持
- 永き夜の可もなく不可もなく可なり
- 冷えてきて立ちぬ灯して坐りけり
- 風邪気味のたのしいのんべんだらりかな
- 初明り地球に人も寝て起きて
- 暖房や延期をすると老けてしまう
- 春浅しどちら傷つく岩と波
- 嗚呼と言うたびに舌古る桜散る
- 使い減りして可愛いいのち養花天
- 俳句思えば徐々に豪雨の吊忍






