日本が誇る伝統芸能「俳句」。
わずか17音の短い詩で、今や世界中の人々から愛され、親しまれています。俳句は作者の人生を物語り、それゆえに深みを持つ作品が数多くあります。
今回は、数ある名句の中から「泉への道後れゆく安けさよ」という石田波郷の句をご紹介します。
泉への道後れゆく安けさよ 波郷
少しでも涼しくなりますように #せやかて天ぷら紙がここにあったから pic.twitter.com/hmczSVf2bm
— 茆菜 (@jyunsai1) August 5, 2018
この句が年代を問わず大勢の方に理解されるポイントはどこにあるのでしょうか?
本記事では、「泉への道後れゆく安けさよ」の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者などについて徹底解説していきます。
目次
「泉への道後れゆく安けさよ」の季語や意味・詠まれた背景
泉への 道後れゆく 安けさよ
(読み方:いずみへの みちおくれゆく やすけさよ)
この句の作者は「石田波郷(いしだはきょう)」です。
石田氏は昭和期に活躍し、青春を感じさせる叙情句や人間探求派で有名な俳人です。
(※人間探求派…普段の生活を俳句にしながら、人間の内面も句に読み込む手法を取った人たちのこと)
季語
この句の季語は「泉」で、季節は「夏」を表します。
泉は、山や森で見られる湧き水の溜まり場のことを指します。水が湧き出る音や透明感、水道では感じにくい冷たさを昔の人々は暑い日の清涼感として受け取っていました。
そのため俳句では、泉は夏の季語として使用します。
意味
この句を現代語訳すると・・・
「目的地は泉と分かるし、皆(先導者)の後に遅れて歩いているから安心して歩いて行ける」
となります。
この句が詠まれた背景
この句は石田波郷が1952年に軽井沢で詠んだ句として知られています。句集「春嵐」に収録されています。
波郷は1952年、俳諧の友人と共に軽井沢で森を散策していました。波郷が遅れて歩いているのは、(当時は)不治の病とされていた結核の手術後だったからです。
若い頃から亡くなるまで手術を繰り返していたため、波郷の肺活量は健康な人の半分ほどしかありませんでした。
波郷がどんなに急いでも、また友人が気を使ってゆっくり歩いても、息が切れて遅れがちになります。
しかし、先に行く友人たちがいるため迷うことなく一人で歩いて行ける安心感もあります。そのような状況を詠んだ句です。
「泉への道後れゆく安けさよ」の表現技法
終助詞「よ」(句切れなし)
句中に句切れがない場合、または句末に句切れがある場合は句切れなしと呼ばれます。
今回は句の末尾に終助詞の「よ」がついているため、「句切れなし」となります。
終助詞の「よ」は話し手(波郷側)が話について確信を持ちたいときに使われます。
つまり、波郷自身が自分に対して「安心できる。うん、そうだ」と言っていることになります。
それを文末で使うこと(句切れなし)で、より確信を持って言っている様子を生み出しています
「泉への道後れゆく安けさよ」の鑑賞
【泉への道後れゆく安けさよ】は、波郷の人生において、自分のペースでいくことの大切さをかみしめている句です。
波郷は若い頃から手術と入退院を繰り返す病と闘う人生でした。そのため、健康な人であれば簡単にできることも、波郷にはできないこともありました。
この散策も同様で友人より遅れており、それに対して安けさ(安心感)があると言っています。
それは波郷が「病弱でも遅れることで心静かに楽しく思うこともある」と感じたからです。つまり、人より遅れる自分を肯定することになり、健康な人では感じられない境地でもあります。
波郷は後にこの句を「成立の事実を離れて私の心の置場所のような句になった」と語っており、自分のペースの大切さを感じています。
人生において自分のペースを大事にすることが難しいと感じる人が多いからこそ、愛される句となっています。
作者「石田波郷」の生涯を簡単にご紹介!
(石田波郷 出典:Wikipedia)
石田波郷(はきょう)。1931生まれ1969没。本名は哲大(てつひろ)、愛媛県出身の俳人です。
農家の五男として生まれ、高校生の時に俳句を始めます。
高校卒業の頃になると、新興俳句運動の中心人物であった水原秋桜子に師事し、上京しました。しかし、伝統的な俳句技法を重視する姿勢を取り、新興俳句運動とは異なった句作をしていました。
31歳ごろ戦地で肺病を発病し、その後は手術と入退院を生涯に渡って繰り返すようになります。
戦後は俳誌の創刊や現代俳句協会の設立に携わり、精力的に活動していました。
初期の作風は青春あふれる作品が多いですが、病と闘うようになってからは人間性を詠み続け、人間探求派として知られています。
石田波郷のそのほかの俳句
- バスを待ち大路の春をうたがはず
- プラタナス夜も緑なる夏は来ぬ
- 噴水のしぶけり四方に風の街
- 吹きおこる秋風鶴をあゆましむ
- 初蝶や吾が三十の袖袂
- 霜柱俳句は切字響きけり
- 雁やのこるものみな美しき
- 霜の墓抱起されしとき見たり
- 雪はしづかにゆたかにはやし屍室(かばねしつ)
- 今生は病む生なりき烏頭(とりかぶと)