俳句は、五七五という短いリズムで楽しめる、すぐれた文芸です。
自分で詠みだけでなく有名な句を鑑賞することで、自分の俳句の感覚を磨くことができます。
今回は、石田波郷の有名な句の一つ「雨がちに端午近づく父子かな」という句をご紹介します。
「雨がちに端午ちかづく父子かな」石田波郷
— Jun Yoshii 由井純 (@yoshii_jun) May 4, 2011
本記事では、「雨がちに端午近づく父子かな」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「雨がちに端午近づく父子かな」の俳句の季語や意味・詠まれた背景
雨がちに 端午近づく 父子かな
(読み方:あめがちに たんごちかづく おやこかな)
この句の作者は、「石田波郷(いしだはきょう)」です。
石田波郷は、昭和時代に活躍した俳人です。
加藤楸邨、中村草田男らとともに「人間探求派」とよばれ、人間と自然を愛し多くの歌を残しました。現代でも、波郷の句は人気が高いです。
季語
この句の季語は「端午(たんご)」、季節は「夏」です。
「端午(たんご)」は五月五日のことで、現在では子どもの日となっています。
端午は男の子が生まれたことと、成長をお祝いする日です。古くは、薬草で病気や災いを祓うことを目的としていました。
「端午」は、「月の端の午の日」。つまり「月の最初の午の日」を意味していました。「午(ご)」と「五(ご)」が入れ替わって、五月五日となったといわれています。
「端午」の行事は、中国に由来します。日本では奈良時代から「端午の節句」として行われるようになりました。
「端午の節句」が「男の子の節句」になったのは、江戸時代に入ってからです。
将軍に男の子が生まれると、のぼりを立てるなどして祝ったり、5月5日を幕府の式日とし、大名や旗本に祝いの品を奉じさせるようになりました。
やがてこの風習は庶民にも広まり、現在の「端午の節句」となったのです。現在は「鎧(よろい)」や「兜(かぶと)」を飾り、「こいのぼり」を立てるなどして男の子の誕生を祝ったり、成長を願います。
意味
こちらの句を現代語訳すると…
「ずっと雨が続いている中、もうすぐ端午の節句の日が来る。それを心待ちにしている父と子がいることだなあ。」
という意味です。
「雨がち」は「雨勝ち」のことです。雨が数日間降り続いていることを意味します。端午の節句が近いのに、雨が続いている。「雨がちに」という語句で、その情景をうまく描いています。
この句が詠まれた背景
波郷には、修大(のぶお)という息子がいます。この句での「父子(おやこ)」は、波郷と息子のことを詠っていると考えられます。
息子修大が5月生まれであることから、「端午の節句」の行事は波郷にとっても、息子の成長を祝う大変意味のあるものだったのでしょう。
「端午の日には、雨がやんでほしい。大空に元気よくこいのぼりが泳いでほしい。」そんな気持ちがよく表現されています。
「雨がちに端午ちかづく父子かな」の表現技法
「父子かな」の「かな」の切れ字
「かな」は、感動を強く伝えるとともに、句に余韻をもたせる切れ字です。「~だなあ」という意味で、多くは下五の語尾につき、句をまとめる効果があります。
この句では「父子かな」と終わることで、「父親と子供がいることだなあ。」と断定的な強い感動を表現しています。
下五に切れ字があるため、この句は「句切れなし」の句です。
「雨がちに端午ちかづく父子かな」の鑑賞文
この句は、端午の節句を心待ちにしている父子(おやこ)の気持ちが表れています。
端午の節句の日には、こいのぼりを上げ、大空を泳いでいる姿を見たい。
しかし、雨の日が続いているのでそれができるだろうか、と父子がやきもきしている様子が伝わってきます。
父と子で空を見上げるとても微笑ましい句です。
また、波郷は、切れ字を大切にした俳人でした。「俳句の韻文精神徹底」を唱えて、「切れ字」を重視し伝統的な俳句を作ることに力を注いでいました。
この句でも、切れ字をうまく使い、印象を深めることに成功しています。
作者「石田波郷」の生涯を簡単にご紹介!
(石田波郷 出典:Wikipedia)
石田波郷(はきょう)。1931生まれ1969没。本名は哲大(てつひろ)、愛媛県出身の俳人です。
農家の五男として生まれ、高校生の時に俳句を始めます。
高校卒業の頃になると、新興俳句運動の中心人物であった水原秋桜子に師事し、上京しました。しかし、伝統的な俳句技法を重視する姿勢を取り、新興俳句運動とは異なった句作をしていました。
31歳ごろ戦地で肺病を発病し、その後は手術と入退院を生涯に渡って繰り返すようになります。
戦後は俳誌の創刊や現代俳句協会の設立に携わり、精力的に活動していました。
初期の作風は青春あふれる作品が多いですが、病と闘うようになってからは人間性を詠み続け、人間探求派として知られています。
石田波郷のそのほかの俳句
- バスを待ち大路の春をうたがはず
- プラタナス夜も緑なる夏は来ぬ
- 噴水のしぶけり四方に風の街
- 泉への道後れゆく安けさよ
- 初蝶や吾が三十の袖袂
- 霜柱俳句は切字響きけり
- 雁やのこるものみな美しき
- 霜の墓抱起されしとき見たり
- 雪はしづかにゆたかにはやし屍室(かばねしつ)
- 今生は病む生なりき烏頭(とりかぶと)