俳句は五七五の十七音で構成され、季節を表す季語を詠むことでさまざまな風景や心情を表現する詩です。
江戸時代に始まった俳句は近代俳句を経て現代俳句として発展を続け、多くの俳人が世に生まれています。
今回は、昭和から平成、令和にかけて活躍している「友岡子郷(ともおか しきょう)」の有名俳句を20句紹介します。
夕刊のあとにゆふぐれ立葵(友岡子郷) https://t.co/Pzad0QWbPh pic.twitter.com/irmcFhfsWT
— オクタビオフェルナンデス🏳️🌈 (@okutabio) August 5, 2017
友岡子郷の人物像や作風
友岡子郷(ともおか しきょう)は、1934年(昭和9年)に神戸市灘区に生まれました。本名は「友岡清」といいます。
子郷は小学生の頃に終戦をむかえ、兵庫県立神戸高等学校から甲南大学の文学部へと進学します。俳句を作り出したのは大学在学中で、高浜虚子の「ホトトギス」、波多野爽波の「青」に投句を始めました。
大学卒業後は飯田龍太の「雲母」に入会し師事します。昭和から平成にかけて「椰子」を始めとした多くの俳句雑誌の創刊に携わり、積極的に句集を発表するなど現代俳句を代表する俳人になっていきました。
1978年に第25回現代俳句協会賞を受賞したのを皮切りに、詩歌文学館賞や蛇笏賞など著名な賞を受賞し現在にいたっています。1995年には阪神・淡路大震災に被災し、震災俳句を作ったことでも有名になりました。現在も精力的に活動を続けています。
友岡子郷の作る俳句は、木漏れ日や澄み切った蒸留水のような世界と評されます。子郷は「俳句で大切なのは心のままに詠むこと」と語っており、ありのままの自然から感じたものを詠む作風です。
友岡子郷の有名俳句・代表作【20選】
【NO.1】
『 晴ればれと 亡きひとはいま 辛夷(こぶし)の芽 』
季語:辛夷(春)
意味:晴れた日にコブシが芽を出しているのを見た。赤子の手のような芽を見ていると、亡き人は今また赤ん坊になっているのだろうか。
コブシの芽が赤ん坊の手に似ていることから、亡き人が赤ん坊になっているのではないかという輪廻転生に思いを馳せている一句です。「いま」と切っていることで万感の想いを抱いていることが察せられます。
【NO.2】
『 遠く航(ゆ)く ための仮泊の 春灯(はるともし) 』
季語:春灯(春)
意味:遠くを航行していく船の仮り泊まりを表している春の灯火だ。
作者は神戸在住のため、おそらく春の神戸港を詠んだ一句だと考えられています。「仮泊」とは天候などの事情で港の沖に仮に停泊することで、船に取り付けられた明かりを見て「春灯」と表現しています。
【NO.3】
『 春萱(はるかや)に 氷ノ山 その 氷(ひ)のひかり 』
季語:春(春)
意味:春になりカヤが茂り出したが、氷ノ山に積もった残雪の氷が日の光で輝いている。
「氷ノ山(ひょうのせん)」とは兵庫県と鳥取県の県境にある山で、豪雪地帯として知られています。春になったにも関わらず雪が残っている山は、その名の通りに氷が日の光で輝いて見えるという氷ノ山への讃歌です。
【NO.4】
『 春の月 良書に出会ひ たるごとく 』
季語:春の月(春)
意味:春の月は良書に出会ったように嬉しいものだ。
春は朧月が有名なように、薄曇りでなかなか月を拝めません。偶然見られた月に対して良い本を手に入れられたくらい喜んでいるところが作家らしい一句です。
【NO.5】
『 舟小屋の どの戸も開いて 梅日和 』
季語:梅(春)
意味:船小屋のどの窓も開いている梅の花見にちょうどいい日和だ。
「舟小屋」とは船を閉まっておく水辺の倉庫のことです。冬の間は閉められていた窓が、梅の花という春の訪れで漁の時期を伺おうと開き始めた長閑な風景を詠んでいます。
【NO.6】
『 チングルマ 一岳霧に 現れず 』
季語:チングルマ(夏)
意味:チングルマの花は見られたが、遠くにあるはずのあの山は霧に隠されてついに現れなかった。
チングルマとは標高3,000mの山で見られる高山植物です。お目当てのチングルマの花は見られましたが、遠景として期待していた山々は霧に隠されて見えないという夏山の特徴的な風景を描いています。
【NO.7】
『 研ぐべきは みな研ぎ了(お)へし 立夏かな 』
季語:立夏(夏)
意味:研ぐべきものはみんな研ぎ終えた。立夏がやってくるなぁ。
最近は包丁やハサミなどの刃物を自分で研ぐことが少なくなりました。立夏という季節の変わり目を前にして、きちんと研ぐことで夏への心の準備も終えたと詠んでいます。
【NO.8】
『 足音も なく象歩む 晩夏かな 』
季語:晩夏(夏)
意味:足音もなく象が歩いていく晩夏の光景であることだ。
象は体重が重いため、実際には足音なく歩くことはありません。ここでは晩夏という夏の終わりの寂しさを、実際にはありえない空想の象に託して詠んでいます。
【NO.9】
『 空の奥にも 空ありて 五月の木 』
季語:五月(夏)
意味:空の奥にも空がある五月の木立よ。
5月になり青葉が茂り出した頃の木立と空を詠んだ一句です。葉と葉の間から覗く小さな空の向こう側に大きな空が広がっている様子を「空の奥」と表現しています。
【NO.10】
『 処方箋 一枚に南風 吹く日なり 』
季語:南風(夏)
意味:処方箋を1枚発行してもらうと、南風が吹いてくる日であった。
「南風」とは季語では「みなみ」「なんぷう」とも読みますが、この句には特に読み方の指定がありません。病院帰りに処方箋を持って薬局へ行く最中に感じた風を詠んだ句です。
【NO.11】
『 投網(とあみ)打つ ごとくに風の 川芒(すすき) 』
季語:芒(秋)
意味:投網を打つように風で広がっている川端のススキの穂だ。
ススキの群生が風で揺れている様子を、目の細かい投網に例えた一句です。投網は人の手で広げますが、ススキは風で揺れることで広がった穂が目の細かい網に見えてきます。
【NO.12】
『 石榴淡紅(ざくろたんこう) 雨の日には 雨の詩を 』
季語:石榴(秋)
意味:石榴の鮮やかな赤い種が雨で淡い赤に見える。雨の日には雨を詠んだ詩を詠もう。
作者の自解によると、句作のために連れ立って外に出たときに雨が降ってきたことを嘆いた人に慰めで詠んだのがこの俳句です。例え晴れている風景が詠みたくても、ありのままを詠むのが伝統的な俳句なのだという諭す言葉にも聞こえてきます。
【NO.13】
『 錵(にえ)のごとくに 秋雷の遠きまま 』
季語:秋雷(秋)
意味:日本刀の刀身に浮かぶ錵のように、かすかに聞こえる秋の雷は遠いままだ。
「錵」とは「沸」とも書き、日本刀の刀身に浮かぶ雲のような模様です。作者は自解で小さな頃に見せてもらった日本刀の美しさを述べていて、「遠きまま」なのは実際に雷が鳴っている距離と、日本刀を見た幼い頃という時間的な距離のことであると考えられています。
【NO.14】
『 一輪の ごとく鷺(さぎ)立つ 秋彼岸 』
季語:秋彼岸(秋)
意味:一輪の花のように鷺が立っている秋の彼岸の日だ。
鷺を花に例えているのは、「鷺草」という羽を広げた鷺によく似た花を連想したためです。鷺草は夏の終わりに咲くため、異なる季節の花を暗示することによって秋の彼岸をより一層強調する俳句になっています。
【NO.15】
『 秋の金魚 一番星の ごと光り 』
季語:秋(秋)
意味:秋の金魚が一番星のように光っている。
お祭りの屋台では金魚すくいが人気です。金魚の鱗に光が反射してその名の通り「金」に光っている様子を星に例えています。
【NO.16】
『 跳び箱の 突き手一瞬 冬が来る 』
季語:冬(冬)
意味:跳び箱を飛ぶために突いた手が、一瞬で冬が来ることを感じさせた。
跳び箱を飛ぶために手を突いた、その一瞬を捉えた一句です。暦や気温といった客観的な判断ではなく、手を突いた瞬間に「ああ冬が来たんだな」と主観で判断しています。
【NO.17】
『 十二月 真向きの船の 鋭さも 』
季語:十二月(冬)
意味:十二月だ。寒さで真向かいから来る船の舳先もより一層鋭く見える。
十二月という年の暮れの寒さと、鋭角の船の舳先から「身が引き締まる想い」を表現しています。川か海かで水面の穏やかさも変わるため、読む人によって浮かんでくる情景が変わってくる一句です。
【NO.18】
『 冬木と石と 冬木と石と ありにけり 』
季語:冬木(冬)
意味:どこまで歩いても冬の木と石、冬の木と石が続いている。
「冬木と石」を繰り返すことで、どこまでも風景の変わらない様子を表しています。冬以外の季節ならば花や虫、鳥などで変化がある場所なのでしょう。
【NO.19】
『 にはとりを 叱りつつ雪 掃きゐたる 』
季語:雪(冬)
意味:寄ってくるニワトリを叱りながら雪を掃いている。
ニワトリを放し飼いにしているのか、飼っている場所の掃除をしているのか、箒が動く度にニワトリが寄ってきてしまって仕事にならない光景を詠んでいます。冬の寒さの中で微笑ましい一幕です。
【NO.20】
『 濤(なみ)こだま 実朝忌まだ 先の日ぞ 』
季語:実朝忌(新春)
意味:波の音がこだまのように聞こえてくる。実朝忌はまだ先の日だ。
実朝とは鎌倉幕府三代将軍の源実朝のことで、1月27日が忌日です。鎌倉で亡くなったため、こだまのように響く波の音に鎌倉の様子を偲んでいます。
以上、友岡子郷の有名俳句20選でした!
今回は、友岡子郷の作風や人物像、有名俳句を20句ご紹介しました。
現在も精力的に活動を続ける作者は現代俳句の中でも伝統を守りつつ叙情的な俳句を多く作っています。
現代俳句も近代俳句に負けず劣らずさまざまな作風がありますので、ぜひ読み比べてみてください。