【野村朱燐洞の有名俳句 20選】自由律俳句の天才俳人!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

俳句は五七五の十七音の韻律に季節を表す季語を詠み込む詩です。

 

しかし、俳句の中には韻律や季語を含まないなど定石ではない「自由律俳句」というジャンルがあります。

 

今回は、自由律俳句が世に現れ始めた頃(明治時代後期〜大正時代の初め)に活躍した天才俳人「野村朱鱗洞」の有名俳句を20句紹介します。

 

 

俳句仙人
ぜひ参考にしてください。

 

野村朱鱗洞の人物像や作風

 

野村朱鱗洞(のむら しゅりんどう)は、1893年(明治26年)に現在の愛媛県松山市に生まれました。本名は野村守隣(もりちか)といいます。

 

幼くして母を亡くした朱鱗洞は父と同じ職場で働きながら夜学校に通い、短歌を嗜む上司の影響から句作を始めます。

 

同じく愛媛県松山市生まれの河東碧梧桐が帰郷した際に「新傾向俳句」に興味を持ち、18歳のときに森田雷死久に師事します。

(※新傾向俳句・・・定型を破り、季題趣味から脱して生活的・心理描写的なものを追求した俳句。 のちに自由律俳句へと展開。)

 

 

18歳の時に愛媛新報の俳壇に入選、上京したときに出会った荻原井泉水の勧めで、自由律俳句の雑誌『層雲』に参加しました。このとき、無季自由律俳句で後に有名になる種田山頭火も同時期に『層雲』に参加しています。

 

20歳にして新聞の俳句欄の撰者に選ばれたり、俳句結社「十六夜吟社」の設立や『層雲』の松山支部の設立に関わったりと精力的に活動していましたが、当時世界中で流行したスペイン風邪に感染したことにより1918年(大正7年)に24歳という若さで亡くなりました。(数え年:享年26歳)

 

野村朱鱗洞は荻原井泉水が自らの後継と認めていたこと、死後20年以上経っても朱鱗洞を慕っていた種田山頭火が墓を探し続けたエピソードが有名であることなど、自由律俳句の俳壇で期待されていた若き天才でした。

 

俳句仙人
荻原井泉水はその作風を「美しく潤う柔らかみ」「淋しく澄んだ夕空の明るさ」と称しています。

 

野村朱鱗洞の有名俳句・代表作【20選】

 

【NO.1】

『 倉のひまより 見ゆ春の山 夕月が 』

季語:春(春)

意味:倉と倉の隙間から見える春の山には夕方の月がかかっている。

俳句仙人

「ひま」とは隙間のことで、倉の隙間から見える風景を詠んでいます。どの方角向いているかわからないため昇る月か沈む月かはわかりませんが、夕焼けと白い月のコントラストが映える一句です。

【NO.2】

『 れうらんの はなのはるひを ふらせる 』

季語:はな(春)

意味:繚乱とも言えるほどの花が春のひざしを降らせるように咲いている。

俳句仙人

「れうらん」は「繚乱」と書き、「はるひ」は春のひざしを意味します。春の柔らかなひざしに照らされた満開の花の様子が目に浮かぶようです。

【NO.3】

『 淋しき花があれば 蝶蝶は寄りて行きけり 』

季語:蝶蝶(春)

意味:淋しげに咲いている花があれば、蝶は寄って行くのだ。

俳句仙人

花に止まっている蝶を見ての一句です。その花が寂しそうにしていたから蝶が立ち寄っているという作者の優しさを表現しています。

【NO.4】

『 いと高き木が一つ さやぎやまぬかな 』

季語:無季

意味:とても高い木が一つある。さやさやとした葉の音が止まないなぁ。

俳句仙人

「さやぎ」とはさやさやと葉が風で音を立てている様子を表しています。視覚と聴覚に訴えかける映像のような一句です。

【NO.5】

『 わだのはらより ひとも鯛つり われも鯛つり 』

季語:無季

意味:大海原で、あの人も鯛を釣っているし私も鯛を釣っている。

俳句仙人

「わだのはら」とは「わたのはら」とも書き、大海原のことです。鯛は単独では季語にならないため、この俳句は無季の自由律俳句になります。

【NO.6】

『 ふうりんに さびしいかぜが ながれゆく 』

季語:ふうりん(夏)

意味:風鈴に寂しい風が流れていくような音がする。

俳句仙人

すべて平仮名で書かれているのが特徴の俳句です。柔らかな印象を持たせるのと同時に、「さびしい」という感情も表しています。

【NO.7】

『 若葉冷えゆく 星の光なり 』

季語:若葉(夏)

意味:若葉が冷えていくような星の光だ。

俳句仙人

暑いひざしと対照的な星のさえざえとした光を詠んでいます。「若葉冷えゆく」という表現が初夏であたためられた葉と対照的な夜の涼しさを表現している一句です。

【NO.8】

『 しくしくと 蝉鳴き暮の 雨光る 』

季語:蝉(夏)

意味:しくしくとセミが鳴き、日暮れに振っている雨が光っている。

俳句仙人

「雨光る」という表現から天気雨を連想します。真っ黒な雲の雨ではなく、夕日が射し込む中で光を反射しながら降っている様子が浮かんでくる句です。

【NO.9】

『 舟をのぼれば 島人の墓が見えわたり 』

季語:無季

意味:船に登ると島の人たちの墓が辺り一面に見える。

俳句仙人

海からある島を見た時の様子を詠んだ句です。高いところから見渡すと、島に住んでいる人達のお墓がよく見えるという写真のような一句になっています。

【NO.10】

『 かがやきの きはみしら波 うち返し 』

季語:無季

意味:輝きの極みのような白い波が寄せては返している。

俳句仙人

「しら波」は季語にならないため、無季の俳句です。「き」という言葉を繰り返すことで、きらきらと陽の光を反射して輝く海岸が見えるような韻律になっています。

 

【NO.11】

『 風ひそひそ 柿の葉落としゆく 月夜 』

季語:月(秋)

意味:ひそひそとささやくような風が、柿の葉を落としていく月夜の晩だ。

俳句仙人

「柿の葉」は季語にならないため、「月」が季語になります。強風ではなくささやき声のような風がそっと葉を落としていく幻想的な句に仕上がっています。

【NO.12】

『 いち早く 枯れる草なれば 実を結ぶ 』

季語:実/草の実(秋)

意味:いち早く枯れる草であるから実を結ぶのだ。

俳句仙人

「枯れ草」も季語ですが、ここでの主題は「実を結ぶ」方であるため草の実を季語としました。この句は事実上の作者の辞世の句であり、若くして亡くなる身の上を予想していたかのような一句です。

【NO.13】

『 かそけき月の かげつくりゆく 蟲の音よ 』

季語:月(秋)

意味:今にも消えてしまいそうな月の光が影を作っていく。そんな中で虫の音はハッキリと聞こえてくる。

俳句仙人

「かそけき」は今にもきえてしまいそうな儚い様子を意味する言葉です。明かりが見えない暗闇の中で、虫の声だけがはっきりと聞こえています。

【NO.14】

『 月夜の雲 ひえびえと野の 四方にありし 』

季語:月(秋)

意味:月夜の雲が冷え冷えとした様子で野の四方にある。

俳句仙人

360°見渡せるような大パノラマの草原の夜空が浮かんできます。月の白白とした光に照らされた雲がどこまでも続いているようです。

【NO.15】

『 わが淋しき日に そだちゆく秋芽かな 』

季語:秋芽(秋)

意味:私が寂しいと思うこの日々にも、秋の芽は育っていくのだなぁ。

俳句仙人

「秋芽」とは秋に生え始めた木の芽で、天候不良など秋に成長したものを指します。どんなに自分が寂しい秋の日でも、自然のものは成長していくという寂寥感が感じられる句です。

【NO.16】

『 小さき火に 炭起し話し 暮れてをり 』

季語:炭(冬)

意味:小さい火種で炭を起こして話していると、日が暮れている。

俳句仙人

かつての暖房器具は炭を使った火鉢でした。「小さき火」という表現から、話し込んでいたらいつの間にか火も小さくなり日が暮れていた様子が浮かんできます。

【NO.17】

『 あかつきかけて 雪消す雨の そそぎ居り 』

季語:雪(冬)

意味:夜明けにかけて、雪を消すような雨が降り注いでいる。

俳句仙人

「雪」が季語ですが、雪を消すという表現から暖かい地方にめずらしく降った雪や、春に近い暖かい日の雪を連想します。夜明け前は最も気温の下がる時間のため、あたたかな日になる予感も感じられる句です。

【NO.18】

『 かまどの火に寄れば 幼き日に燃ゆる 』

季語:無季

意味:竈の火に近寄ると、幼い日々にもこうやって火が燃えていたことを思い出す。

俳句仙人

竈は現在ではあまり想像ができない煮炊きのための道具ですが、穴から火が燃えている様子が見えます。小さな頃に竈の近くで遊んでいた様子を思い出したのかもしれません。

【NO.19】

『 人の前にて 伸べし手のかばかりに汚れ 』

季語:無季

意味:人前で差し伸べた手がこれほど汚れている。

俳句仙人

「かばかり」とは「これほど」という意味です。転んだ人に手を差し伸べている様子と、比喩表現として援助のために伸ばした手なのか、想像がふくらみます。

【NO.20】

『 するする陽がしずむ 海のかなたの國へ 』

季語:無季

意味:するすると陽が沈んでいく。海の彼方にある国に向かって。

俳句仙人

するするという表現から、あっという間に日没をむかえてしまった様子が浮かびます。「海のかなたの國」は実際の海外のことなのか、海の向こうにあるという楽園や浄土のような場所なのか、どちらにも取れる句です。

以上、野村朱鱗洞の有名俳句20選でした!

 

 

俳句仙人

今回は、野村朱鱗洞の作風や人物像、有名俳句を20句ご紹介しました。
20代という若さで夭逝した作者ですが、すでに熟達者の域に達していたと荻原井泉水は評価しています。
自由律俳句にはさまざまな流派があり、同じ自由律俳句でも季語を含むものと含まないものなどいろいろあるので、ぜひ読み比べてみてください。