俳句は、五七五という短い語句の中に、季節や感情を込めることができる日本の文学です。
俳句の季語や作者についての理解を深めると、より作品鑑賞を楽しむことができます。
今回は細見綾子が詠んだ、春の代表句ともいえる「チューリップ喜びだけを持っている」をご紹介します。
チューリップ。晩春の季語。これからが見ごろ。
<チューリップ喜びだけを持つてゐる>─細見綾子 pic.twitter.com/eA62wcDNcf— ひねもす (@hinemos_amo2) March 28, 2019
本記事では、「チューリップ喜びだけを持っている」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「チューリップ喜びだけを持っている」の俳句の季語や意味・詠まれた背景
チューリップ 喜びだけを 持っている
(読み方:チューリップ よろこびだけを もっている)
この句の作者は、「細見 綾子(ほそみ あやこ)」です。
細見綾子は、明治から平成時代にかけて生きた兵庫県丹波市出身の女流俳人です。
若くして夫、両親を亡くし、さらに自身も病を患う中で俳句活動を続け、俳句界に多くの業績を残しました。
季語
この句の季語は「チューリップ」、季節は「晩春」です。
「チューリップ」は、春に咲く花の代表とされ、和名では「鬱金香(うこんこう)」「牡丹百合(ぼたんゆり)」ともいわれます。「チューリップ」は卵のようにふっくらとした花の形がかわいらしく、春の花壇や庭先で私たちを和ませてくれる花です。
「チューリップ」の花言葉は「思いやり」「博愛」ですが、花の色によって違う花言葉があり、赤色「真実の愛」・ピンク色「誠実な愛」・白色「失われた愛」・黄色「名声」などがあります。
ユリ科の球根植物である「チューリップ」は、まっすぐに伸びる緑の葉と、一輪の花の姿が美しく、世界で5000品種以上が登録されています。
花の形や、色などさまざまな種類の「チューリップ」は、見る物の目を楽しませてくれるのです。
意味
こちらの句の意味は…
「チューリップ、その花は喜びだけを持って咲いている」
綾子の作品には、感性豊かで明るく天真爛漫な写生俳句が多く残されています。こちらの句は、綾子の代表作品とされており、春の喜びを詠うものとして人気が高いです。
ちなみに、「チューリップ」の原産地は、スペイン、イタリア、中国、西シベリアなど広範囲といわれ、現在栽培されている「チューリップ」の品種の多くは品種改良されたものです。
日本に「チューリップ」が伝来したのは江戸時代後期とされ、大正時代から本格的に国内で栽培されるようになりました。
「チューリップ」の可愛らしい姿と「花が咲く喜び」こそ、人々に長く愛されるゆえんなのでしょう。
この句が詠まれた背景
この句は、1937年(昭和17年)、綾子が30歳の頃の作品です。
「チューリップ喜びだけを持っている」の句は、とても明るい希望に満ちた句のように感じられますが、実際の綾子自身の人生は愛しい人との相次ぐ別れ、そして自身の闘病生活という苦悩の連続でした。
綾子は13歳の頃父親を亡くし、結婚して間もなく夫と母親を病で亡くすという度重なる身内の不幸を経験します。
数々の絶望や苦悩を味わいながらも、その苦しみを自身で乗り越えていこうとする想いが、この句に込められているといえるでしょう。
「チューリップ喜びだけを持っている」の表現技法
初句切れ
俳句の句切れとは、五七五の中で意味が切れる部分のことで、作者が句で強調したいものに対して使われます。
俳句の句切れの見分け方は、主に「切れ字で見分ける」「切れ字がなく、名詞や句読点が入れられるような意味の切れ目をみつける」といった方法があります。
この句では、「切れ字」が使われておらず、初句に「チューリップ」という名詞を使うことで意味の切れ目となることから、「初句切れ」の俳句とすることができます。
擬人法
俳句の擬人法とは、植物や動物などの様子を人間がしているものとして表現する技法のことです。
この句は擬人法を用い「チューリップが喜びだけを持っている」と表現しています。
「チューリップ」の花は卵のように丸く、人が何かを優しく両手で包んでいるような形をしています。まさしく「チューリップ」は、その手の中に優しく「喜びだけを持っている」のです。
「チューリップ喜びだけを持っている」の鑑賞文
この句は、句集『桃は八重』に収録されています。
作者、細見綾子の自註では下記のように解釈されています。
春咲く花はみな明るいけれど、中でもチューリップは明るい。
少しも陰影を伴わない。喜びだけを持っている。
人間世界では喜びは深い陰影を背負うことが多くて、谷間の稀な日ざしのようなものだと私は考えているのだが、チューリップはちがう。
暗さを知らないものである。喜びそのもの。
わが陰影の中にチューリップの喜びが灯る。
綾子は、若くして身内の度重なる身内の不幸に見舞われ、さらに自身も辛い闘病生活を送ってきました。その中で絶望や苦しみという「深い陰影」からもがき、這い出てなんとか生きようとしてきたのでしょう。
「チューリップ」には、他の春の花のような影はなく、ただ見る者に「喜び」のみを与えてくれるのです。
苦しみを乗り越えて生きていこうとする力を、この句から感じることができると言えます。
【チューリップは、誰のために咲こうとしているのではなく、ただ咲いている。そんな生き方を私もしていきたい】という作者の想いも伝わってくるようです。
作者「細見綾子」の生涯を簡単にご紹介!
(細見綾子 引用元)
細見綾子は、1907年(明治40年)兵庫県丹波市青垣町で、江戸時代から名主であった素封家の長女として生まれました。
村長を務める程人びとの信頼を集めていた父は、綾子が13歳の時に亡くなってしまいます。
綾子は、日本女子大学国文科を卒業と同時に、東京大学医学部助手の夫と結婚しますが、夫はその後2年程して結核で死去し結婚生活は短く終わりを告げました。さらに同時期に母親も病で亡くなり、まさに度重なる身内の不幸が綾子を襲い続けました。
綾子自身も肋膜炎を患い療養のため帰省し、そこで医師であり俳人の田村菁斎から勧められ俳句を始めます。
綾子は病魔と闘いながら俳句活動を行う中で、松瀬青々に師事し俳句世界で頭角を現すようになりました。
1934年、大阪府池田市に療養のため転居。1947年俳人の沢木欣一と再婚。肋膜炎が完治したため、東京都武蔵野市に転居しました。
戦後の女流俳句の第一人者として活躍を続け、俳句世界で最高とされる「蛇笏賞」を受賞するなど、数々の名句を残し平成9年90歳でこの世を去りました。
綾子の句は、故郷丹波への想いを込めたものも多く残されています。
細見綾子のそのほかの俳句
- 菜の花がしあはせさうに黄色して
- 春雷や胸の上なる夜の厚み
- 葉桜の下帰り来て魚に塩
- そら豆はまことに青き味したり
- ふだん着でふだんの心桃の花
- つばめ/\泥が好きなる燕かな
- 鶏頭を三尺離れもの思ふ
- 女身仏に春剥落のつづきをり