【暗黒や関東平野に火事一つ】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

五七五のわずか17音で綴られた短い詩「俳句」。

 

「俳句」と聞くと、敷居が高く、気後れしてしまう方も少なくありません。しかし、「俳句」はもともと庶民の生活に密着し、人々にとても身近に親しまれていた文芸の一つです。

 

今回は、日本人であれば知っておきたい現代の名句「暗黒や関東平野に火事一つ」をご紹介します。

 

 

この句の奥深さや高い評価はどこにあるのでしょうか?

 

本記事では、「暗黒や関東平野に火事一つ」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「暗黒や関東平野に火事一つ」の作者や季語・意味・詠まれた背景

(関東平野 出典:Wikipedia

 

暗黒や 関東平野に 火事一つ

(読み方:あんこくや かんとうへいやに かじひとつ)

 

この句の作者は「金子兜太(かねここうた)」です。昭和から平成にかけて活躍した前衛俳句の俳人です。

 

この句は、兜太が1969年ころに詠んだ句で句集「暗緑地誌」に収録されています。

 

季語

この句の季語は「火事」で、季節は「冬」です。

 

火事が冬の季語になるのは、冬になると火事が増えるため。昔は暖房器具に火を使用することが多く、空気も乾燥しがちなため火事が多くありました。

 

さらに冬は強風の日が多いため、火事が起こると大きく燃え広がりやすい季節でもあります。

 

意味

この句の現代語訳は・・・

 

「真っ暗闇の関東平野に遠くでポツンと火事が一つ見える。」

 

という意味になります。

 

この句が詠まれた背景

この句は1969年ごろに通勤電車の中で思いついた句と言われています。

 

当時の兜太は埼玉県熊谷に住まいがあり、日本銀行本店(東京都中央区日本橋)まで電車通勤をしていました。

 

そして兜太はこの句に関して想像の句だと語っており、「これは関東平野を走る、真昼間の列車のなかで飛び出してきたもの」と言っています。

 

つまり実際見たのではなく、何気なく見続けていた景色から作り上げた想像を具体化した句です。

 

「暗黒や関東平野に火事一つ」の表現技法

切れ字「や」(初句切れ)

切れ字「や」は詠嘆の切れ字と呼ばれ、作者の感動の中心を示しています。

 

つまり暗黒の度合いや広がりについて兜太が驚いている意味になります。

 

また、切れ字や意味によって句の意味が切れることを句切れと呼びます。

 

今回は初句の「暗黒や」における「や」が切れ字に該当し、「初句切れ」の句になります。

 

初句切れは初句で端的に説明することで、後半の文章が短く分かりやすくなり、全体にインパクトが生まれます。

 

体言止め

体言止めとは、俳句の結びを名詞で止める表現技法で、そのシーンをイメージしやすくなります。また、同時にインパクトのある作品に仕上がり、読者の記憶に残りやすい俳句となります。

 

今回の句は「一つ」という名詞で終わっているため体言止めにあたります。今回は一つポツンとある様子を強調しています。

 

また、体言止めは切れ字「や」との相性(語感など)が良く、セットで使用されることが多いです。

 

対比

対比とは、物事を並べて広がりや強調を強める手法のことを言います。

 

今回は(暗黒の)関東平野と火事一つを並べています。関東平野の広い中で一つだけ見える明かりがあると詠むことで、非常に高い位置からの俯瞰を描いています。

 

つまり、大きな物事と小さな物事を比較し、小さい「火事一つ」を強調しています。

 

また、「暗黒」と「火事」を並べることで、火事が一つきりである様子を強調しています。

 

「暗黒や関東平野に火事一つ」の鑑賞

 

【暗黒や関東平野に火事一つ】は、自分の中で見続けた景色を凝縮して作り上げた、イメージでありながらも強烈な印象を残す句です。

 

関東平野に火事が一つだけという状況は簡単に考え付くものではありません。加えて、関東平野を見下ろすという非常に高い視点であることも注目すべきポイントです。

 

これは兜太が通勤電車で見慣れた景色に対して、自由に想像できた証拠でもあります。

 

毎日見ているものを現実の枠を超えて考えることは非常に難しいことです。そういった想像力の豊かさも評価されています。

 

また、表現方法が真っ黒に明るい赤い光という分かりやすい構成です。

 

光が一つしかないため黒い闇の深さと広さが強調され、作品に奥行きを与えています。

 

実際ではありえない状況を鮮やかに率直な言葉で詠むことで、読み手は句の素朴さと大胆さを感じることができます。

 

作者「金子兜太」の生涯を簡単にご紹介!

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(金子兜太 出典:Wikipedia

 

金子兜太(かねこ とうた)。1919年生まれ2018年没。埼玉県出身の俳人です。

 

兜太氏は、開業医で俳人でもあった金子元春の長男として誕生。生後は埼玉県で育ちましたが、2歳から4歳まで父の仕事の関係で上海に住んでいました。

 

高校在学中には、俳人である出澤三太に誘われて本格的に句作します。そして加藤楸邨主催の句誌「寒雷」に投句し、その後師事するようになります。

 

その後、東京帝国大学に入学。卒業後は日本銀行に入行しますが、戦時中は海軍主計中尉になり、トラック島へ赴きました。

 

日本が敗戦するとアメリカ軍の捕虜となり、1946年に帰国し、1947年に日本銀行へ復職します。復職後は神戸、福島、長崎、東京へ転勤し、55歳の定年まで働きました。

 

定年後は上武大学の教授や「お~いお茶新俳句大賞」の最終選考者として活動しました。

 

句作の特徴は前衛的で、実存俳句(自分が物事の中心として詠むこと)を中心に活動しました。解釈が難解な句も多数存在し、前衛俳句の重鎮とも評されています。

 

 

金子兜太のそのほかの俳句