【鳥わたるこきこきこきと缶切れば】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

俳句は、五七五という短い文で作られ、詠む人によって様々な表現がされる文学です。

 

自分で詠むことはもちろん、俳人たちが詠んだ句を自分なりに鑑賞できる楽しみが、俳句の魅力といえます。

 

今回は、秋元夫死男の有名な句の一つ「鳥わたるこきこきこきと缶切れば」という句をご紹介します。

 

 

本記事では、「鳥わたるこきこきこきと缶切れば」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「鳥わたるこきこきこきと缶切れば」の俳句の季語や意味・詠まれた背景

 

鳥わたる こきこきこきと 缶切れば

(読み方:とりわたる こきこきこきと かんきれば)

※「鳥渡る」とも書きます。

 

この句の作者は、「秋元不死男(あきもと ふじお)」です。

 

秋元夫死男は戦前から戦後に活躍した俳人です。

 

新興俳句運動に加わりましたが、治安維持法のもと言論弾圧を受けます。京大俳句事件で連帯責任を問われ、戦時中約2年間投獄。獄中も俳句活動を続けています。戦後、さらに活躍し多くの作品を残しました。

 

季語

この句の季語は「鳥わたる」、季節は「秋」です。

 

「鳥わたる」とは、北の方角から日本で冬を越すために多くの鳥が渡ってくることをいいます。暖かくなると、鳥たちはまた元の地へと帰っていきます。

 

俳句では、「鳥わたる」は「渡ってきた鳥」や「鳥が渡ってくる様子」を意味し、秋の季語です。

 

渡り鳥の種類は、カモ、ガン、コハクチョウ、ツル、オオヒシクイなどがありますが、俳句では特定されません。

 

季語「鳥わたる」は、俳句では孤独や寂しい思いを詠う際に多く扱われます。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると…

 

「こきこきこきと缶詰を開けていると、渡り鳥たちが空を渡っていくことだ」

 

という意味です。

 

この句が詠まれた背景

この句は、終戦直後の昭和21年に詠まれたものです。

 

夫死男は、戦時中振興俳句運動に連座し約2年間投獄されていました。この句は、投獄されていた当時のことも表現しています。

 

政府に弾圧され、自由を奪われていた頃の夫死男にとって、自由に空を飛ぶ渡り鳥たちは、大変羨ましいものでした。

 

自由の身となれた戦後ですが、日本では壮絶な食糧難で人びとは苦しみます。夫死男が「こきこきこき」と切る、缶詰は大変貴重なものでした。

 

「こきこきこき」と、ゆっくりと丁寧に缶を開ける様子に、自由を得た中でも味わう悲しみとともに、これから生きていこうとする強い意志が表現されています。

 

「鳥わたるこきこきこきと缶切れば」の表現技法

倒置法

倒置法とは、普通の順序と逆に表現する方法のことです。この句が「ば」で終わっているように、助詞で終わるものを倒置法といいます。

 

この句では、通常であれば「こきこきこきと缶切れば鳥わたる」となりますが、「鳥わたるこきこきこきと缶切れば」と倒置法を用いて表現しています。

 

倒置法を用いることで、「缶切れば」の部分を強調し、情緒的な場面を印象付ける効果をもたらしているのです。

 

擬音語(オノマトペ)

この句では、缶を缶切りで開ける「こきこきこき」という擬音語を用いています。擬音語のことを、オノマトペともいいます。

 

食糧難の中、やっと手に入れることができた缶詰を開ける「こきこきこき」という音。

 

缶をゆっくりと開ける音と、飛んでくる鳥たちとの対比によって、これから強く生きていこうとする作者の決意も表現されているのです。

 

秋元不死男の俳句には、このオノマトペを使ったユニークなものが他にも多くあります。

 

初句切れ

俳句におけるリズムや意味の切れ目のことを「句切れ」と言います。

 

この句では、最初に「鳥わたる」と言い切りの表現があり、「初句切れ」となっています。初句切れの句とすることで、句に印象的な効果を与えています。

 

取り合わせ

俳句の表現方法「取り合わせ」とは、季語と直接は関係のない言葉を組み合わせて句を作ることをいいます。

 

この句では、「秋空を飛んでいく渡り鳥たち」と「缶詰を開ける音」という、本来は関係のない言葉を組み合わせることで、句に強い印象を与えているのです。

 

「渡り鳥」という自然のものと、人間の「缶を開ける」行動の対比が素晴らしいものとなっています。

 

「鳥わたるこきこきこきと缶切れば」の鑑賞文

 

戦後の食糧難の中、やっと手に入れることができた缶詰を、作者は「こきこきこき」と缶切りを使って開けています。

 

その作者の頭上を、渡り鳥たちがゆうゆうと秋の空を渡っていきます。

 

戦時中投獄され、辛い思いをした作者にとって、いま缶を開けている身は自由です。

 

しかし、戦後食糧難が続く日本では、人びとはまだ悲しみを味わうことが多い状態でした。

 

まだ厳しい日常の中、作者は自由に飛ぶ渡り鳥たちを見て、「これから強く生きていこう。」と思いをこめて、ゆっくりと缶を開けているのです。

 

作者「秋元不死男」の生涯を簡単にご紹介!

 

秋元不死男は、1901年、明治34年に神奈川県横浜市に生まれました。本名は、「不二雄」といいます。

 

13歳の頃に父親が亡くなり、高等小学校卒業後に入社した火災海上保険会社で俳句を始めました。

 

島田青峰(せいほう)に師事し、「土上(どじょう)」に参加。昭和十年代には、「東 京三(ひがし きょうぞう)」の俳号を名乗りました。

 

1941年、振興俳句運動に入り戦争俳句を詠んだとして、治安維持法に基づき検挙され、約2年間の牢獄生活を送ります。

 

そして第二次世界大戦後、山口誓子の『天狼(てんろう)』に参加。不死男は、俳句は「もの」に執着する最短詩であるという、「俳句もの説」を唱え、当時世間に影響を与えました。

 

1968年には蛇笏賞受賞します。しかし、1977年(昭和52年)75歳で「ねたきりの わがつかみたし 銀河の尾」と絶句を遺し、病のため亡くなりました。

 

作者のそのほかの俳句

 

  • 子を殴ちしながき一瞬天の蝉
  • 三月やモナリザを売る石畳
  • 北欧の船腹垂るる冬鴎
  • 獄を出て触れし枯木と聖き妻
  • 運動会少女の腿の百聖し
  • 死の見ゆる日や山中に栗おとす
  • ライターの火のポポポポと滝涸るる
  • 冷されて牛の貫禄しづかなり
  • 終戦日妻子入れむと風呂洗ふ
  • 降る雪に胸飾られて捕へらる